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(連載21)ファッションショーを手伝ってくれた、ちょっとおかしな映像作家:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1992-94年

前回、自分のファッションショーについて、書きました。

ちょっと前後しますが、このショーをやるにあたっての、、、というあたりからから、今回はお話します。

もともと「ファッションショー」というものは、洋服の会社が服を売るためにやるもので、お客さんはそれを見て、気に入った服を買う、もしくはオーダーする。という「ビジネスのイベント」です。

つまり、

1。モデルがいる。

2。なにかしら、服をきてる。

3。ランウェイを歩く

という、この三つがあれば、モデルが着てる服が、どうであろうとも、「ファッションショー」として、成立する。

で、私が作品として、制作した服をみんなに見てもらう、それを、「アート・パフォーマンス」と呼ぶには、なんだか敷居が高い、、、。

見にくる方は、何があるのか予測もできないし、難しそうだし、もしかしたら、退屈だったりする?と、リスクが高い。でも、ファッションショーというと、誰もが先入観なく興味を持つにちがいないと思いました。

このなんだか、ポップよりに間口を広げている曖昧な抱擁性と、自分のやってる事をちょっとヒネって、ファッション自体を横から見て合体させる、このアイデアは、自分でもなかなか気に入りました。

そしてそれを、前回にナレーションをやってくれたドントがショーのために書いてくれた文章から、「デ・ファッションショー」と呼ぶようにしました。これは当時、現代思想の分野の方たちの間で「脱、なんとか」みたいな言葉が流行っていたので、哲学の世界でもそういう「ファッショナブル=流行」現象が起きているというのも面白いな〜とも、思ったんです。

「脱・ファッションショー」!!

この言葉の中に、なんだか、自分の強い意思のようなものが、もくもくと

夏の入道雲のように湧いてきました。

毎回、こういうのをやるたびに記録して、

ずっと、残していこう!

よっしゃ〜〜〜!!シールをペタっ!

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と、まあ、そう考えたものですから、、、、。

ショーをやる前に、これをビデオを撮影してくれる人がいないか、探してみました。当時は、今のように、誰でも簡単にケイタイでビデオが撮れる時代じゃなかったです。写真でさえも、カメラマンの人に頼んだりしないといけない時代でした。

また、カメラ自体も、高額で、誰でも持ってるものではなかったのです。ちなみに私が持ってたソニーの8ミリビデオカメラというのは、80年代前半に、東京で稼いでいる時に買ったのですが、当時30万円もしたんです。

のちに、泥棒に盗まれましたけど。トホホ

ま、そんな時代です。

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タダでビデオ撮影してくれる人!!


そこで、浮かんがのが、リラ・エクステインという女性。

彼女は夫のトッシュの友人で、当時フィルム学校の学生で(といっても、当時30歳くらいだったと思います)が、私は彼女の撮影のお手伝いをしたことがあったのでした。

早速きいてみたら、「丁度、自分のビデオカメラを買おうと思っていたから、撮影してあげる。」と!

リラ・エクステイン(当時)

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わ〜〜、ラッキー!!

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よろしくお願いしま〜す!!!

トントン拍子!!

ところが

(出た! いつもの〜〜〜。苦笑)


彼女は、ショーの当日に、買ったばっかりのカメラを箱ごと会場に持ってきた。

しかも、まだ、箱自体を開けてもいない!


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まあ、それはいいとしても、、、


テープをビリビリとはがして、取り扱い説明書を取り出して、

「私さー。ビデオカメラって初めてだから、ドキドキするわ〜〜」と言い、

説明書の最初のページから開いて読み始めたのです。

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そういえば。。。。

彼女はカレッジで、フィルムの勉強をしてたのですが、ずっ〜と落第し続けていたのでした。。。。

自分でも「アタシって、スローで、頭が悪いからねー、こういうのを読むのに、時間がかかるのよ〜。えっと、まず、スイッチは〜、どこだろな?」

ひぇ〜〜〜むちゃくちゃなシロウトな態度!

私としては、タダでやってもらってるから、文句も言えないし、2時間くらいたっても、まだずっ〜〜と、取説を読んでいて、

私は絶望的になった。

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しかし、、、、、。

ショーが始まる直前に、

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結果なんとか、間に合って撮影できてました。

ふーーー。


彼女は、「三脚をもってきてなかったので、腕が麻痺して、どうなるかと思ったわー。」言ってましたけど、あたし的には、いくら手ブレがあろうが、映ってただけでありがたい気持ちで、いっぱいになりました。

その後、彼女が編集までやってくれて、驚くべき事に、ちゃんとクレジットなども入れたビデオ映像になったのは、

奇跡としか言いようがありませんでした。


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そしてリラはビデオにはこんなタイトルのシーンも追加してくれました。

(以下は当時のビデオを写メしました。)

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ただ、作品のクローズアップを追加してもらったのですが、むちゃくちゃ、ゆる〜いフレームワーク。苦笑

追加で家で撮影したのがバレバレ!

床が見えてるし。。。。

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手が見えてるのはいいにしても、このシャツ?

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でも、こんな、ナイスな素敵なシーンも追加してくれましたよ。

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後から聞いたのですが、彼女がずっ〜と落第してたのは、わざとで、サウンドステージやカメラなどの学校の機材がタダで使えたからなのでした。

彼女の作っていた映画というのは、いわゆる実験映画?と言われるような、短い短編なのですが、いわゆるアート・フィルムと言われるようなものとは、ちょっと違ってて、軽いストーリーもあり、ちょっと笑えるような?かわいいような?摩訶不思議な?サイレント映画のようなコミカルなリアクションのある、独特なものでした。

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キャストは、毎回、同じで、その頃のポップスターだった、ゴーゴーズというバンドがあって、そのドラマーのジーナという女性、彼女はデビュー当時からのリラ友達で、、、これです。

80年代のゴーゴーズ。もう世界的に売れましたよ〜〜。

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一番右がジーナです。

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毎回このジーナが映画に出演する。そして、他に、私の夫のトッシュ、彼女とは高校時代からの友人、そして、同じく高校時代の元カレのケント、この3人がいつもレギュラーでした。

つまり、友達同士の手作り映画です。

これは「ルーム」という映画です。お針子の夢の話。ジーナとトッシュ。

このセット、私が描きました。

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このドレスは私のウェディングのリサイクル!笑

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この人が元カレのケント。

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これは「オートミール」という映画。1994年です。

メイクはサイレント映画風。衣装は「ルーム」と同じ。笑

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左がゴーゴーズのドラマーのジーナ。

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上のメイドが頭につけてる絵をスルスルと出して、テーブルに置くと、絵が実際のコーヒーカップになるという、ちょっとダダっぽい、シュールな場面。壁の絵は全部、顔出しパネル。

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予算がないので、夫も一人二役。私も出演もしないといけない事もありました。下の左がトッシュと私。

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右があたくし。

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これはダンボールに絵を書いた平面の服です。

リラと私のテイストが近いので、何をやってもいい。好きなものを作って、なんでも気に入ってもらえる!というので、リラとの映画制作は、大変面白かった。一つ一つが、3分とか5分くらいと短いので、まるで絵本を1ページずつ作っているような感覚でした。

依頼主がいるコマーシャル映画ではなく、純粋に作りたい映像を作る。全員が無償でやる。それが当たり前な世界。

ただ、いい事ばかりではありません。予算がないので、現場は素人ばかりで、段取りが悪く、時間が2倍も3倍もかかる。その為に自分の持ち場じゃないところの作業も増え、ものすごい忍耐力が必要です。お金を払ってないので、やってくれる人に文句も言えないし。、、、、

なので、いっしょに制作をしているメンバーの感覚を100%信じないとできない。

そして監督はそれをまとめるというか、かといって、自分の感覚もありますから、自分の作品になるわけなので、妥協もできないし。

だからリラは自分と感覚の合わない人、納得のできない人とは、絶対にいっしょに制作をしません。(ってか、不可能!)

そして、彼女は決して背伸びをしない。

「知らない事をやってみよう」とか、「わからない事に挑戦しよう」とか、「新しい人との出会いに期待しよう」まったく、なし!!

チャレンジ精神はゼロ!!

彼女は自分に正直で、自分にできる事しかやらない。自分のやり方で、自分のスピードで(超スロー)自分の世界の中で生きている。

だからこそ、やりたい事がやれるし、

ユニークで、独特なものができるような気もしました。

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自分の型をやぶならないことが、

かえって、世間の型をやぶることになる?


そんなリラの制作態度は、とても参考になりました。そして、彼女とは、30年以上もの付き合いになりました。

最近のリラです。

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今だに30年前のセットを保管している!笑

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理由を聞いたら、

いつでも、撮り直しができるように!!って。


L*






















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