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「道をふさいでいたって気にしない」

ヨーロッパでは歩道のど真ん中で立ち話をしている人たちによく出くわす。
よけて通れればよけて通るし、狭ければ「すみません」と言ってよけてもらう。

クルマの路駐も「え?、あー、これ駐車してるのね」ってぐらい斜めにオシリ半分ぐらい道路に飛び出して停めていたり(汗)。

フレンドリーな人であれば、肩をポンポンっとして
「ごめんね、ありがとう」
って言って通っていったりする。

これが日本だとどうだろう?
(ちっ、邪魔なんだよ考えろよ・・)と心のなかで悪態ついて憤慨してしまう。なんてことも多いような気がする。

日本って共通認識がバッチリあるから、そこからちょっと外れるとイラッとしてしまうんだよね。

自分はというと「すみませーん」とカラッと言えるときもあるし、「分からないのかな?」とイラッとしてしまうときもあり、そんな小さなことでイラッとしてしまう自分が嫌になることもあった。

こっちに来てからはそういったことでイラッとすることはほとんどない。

ヨーロッパでは、みんな周りに迷惑をかけないようにしているのではなくて、みんなしたいようにしているだけ、にみえる。

他人に迷惑かけないようにかけないように、とするわけではなく、みんなそれぞれが好きにしてるから、みんなそれでいい。問題があるなら声を上げる。

まあしかし、それが日本でできるかって考えたら難しい。注意とかしたら逆ギレされてしまうかもしれない、って思ったら見て見ぬふりしちゃう。触らぬ神に祟りなし。

迷惑かけないように生活していると、ちょっとそこから外れた人に遭遇するとイライラしてしまう。するとみんながみんなルール以上に見えないルールにまで気を配って生きていて、息苦しくなってって・・。

子供にも「人様に迷惑かけないように」って教育するし、もう無限ループ・・。

・・・・・・・。

冒頭から「ヨーロッパでは・・・」って書いたけど、ヨーロッパが寛容で人間らしく生きられるのか、と言えばそうとも言えなくて、いまヨーロッパの各地であっちこっちで大変な衝突が起こってるし。

ここのところNetflixで立て続けに観た「PLUTO」や「進撃の巨人」もメッセージは同じなんじゃないかなと。

この投稿、、書き始めは、
ヨーロッパが自由で生きやすく、日本が窮屈で生きにくい、みたいな気持ちだったのに、書いているうちに、
「待てよ、種類は違っても根本は同じじゃない?」
なんて思い始めている・・・。

ささいな、道をふさいでいる人、の話が発端だったのに、世界で起こっている分断にまで頭がぐるぐるしてきた・・。

大事なのは、
「ごめんね、ありがとう」
と相手の肩をポンポンっとできる人間力なのかもしれない。

なんか、ふと浮かんでくることをそのままカチャカチャとキーボード叩いているだけのとりとめのない内容になってしまったけど、こんなのもたまにはいいでしょうか。
「ごめんね、ありがとう」
ポンポン

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