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ワンツージャンプー ------------ Short Story --------------

 時計を見ると午前10時過ぎ。
快晴の日曜日のせいもあって山にはさすがにハイカーが多い。
歩いていると何人ものハイカーやグループともすれ違う。
みな楽しそうだが、かくいうわたしもその中の一人だ。

腰に下げたラジオからは天気予報が流れている。
ここ3、4日は五月晴れが続くという。
空は真っ青ではるか上に白い飛行機雲が出来ている。
岩の後ろの小高いところに上がってその写真を撮った。

岩づたいに移動しながら空にも山にもシャッターを押していく。
十枚ばかり撮ったところでカメラをバッグに戻した。
ふと見ると道から外れている。
見たことのない景色が広がっている。

この山には何度も来ており、それこそ目をつむっても歩けるような永い付き合いだ。
なあに道に出るのはどうってこともない、と考えたのが運のつきだった。
岩づたいに戻ったつもりだったが、行けども行けども道が見えず、ハイカーたちの姿も見えず声すらも聞えない。

あれれ、どっかで間違ったか。
岩場から平地に出ると雑草の中に細い道が見える。
こんな道があったのか、と思いながらグルッグルッと回ってしばらく進んだ。
そこで周囲の景色を見ながら止まった。

周囲にはこの山で見たことも無い景色が広がっている。
「なんだこりゃ、こんな景色があったっけ、どこよここは」
地図を見ると、まるで違う。
ちょっと混乱してきた。

慣れた道だと思って油断したのだろうと思った。
戻るしかない。
しかし戻るのか、行くのか、どちらなのかすらわからない。
磁石で見当をつけながら進み、細い道をグルッと回った。

止まった。
「エッ、また違う」
先ほどの景色とまた違う光景が、ここにも広がっている。
どういうことか、わたしは立ちどまって後ろを見た。

後ろも違った景色になっている。
進むたびに景色が変わってくる。
「なんで? どうしたんだ。夢か、いや夢ではないな」
さっきからどうもおかしい。

家を出るときにお袋から『30にもなって嫁もおらず、行くのは山ばかり。この先一人で生きていく気か』なんて言われ、あれこれ考えながら歩いていたせいで道を間違えたのかもしれない。
車の運転と同じで余計なことを考えながらやると事故の元だ。

気が散るのでラジオのスイッチを切った。
騒いで自分たちが面白がっているだけのラジオ番組を聞いていても面白くもない。
でもしかし、ラジオを聞きながらの山歩きはいつものことだ。
なのに今日にかぎって道に迷うとはと、また思う。

それにしてもこの景色は何だろうか。
周りの山々の総てに見た記憶がない。
日暮れにはまだ十分な時間があるが、山はあっという間に陽が落ちる。
 モタモタしていては日が暮れてしまう。

藪を出たが、ここからの景色にもやはり記憶が無い。
おかしい、まるで山そのものが違う山のようだ。
見慣れた景色が一向に見えない。
おまけに快晴なのに下のほうから霧が上がってきている。
日ごろは霧がかからない山なのに。

「どうしたのか、山歩き15年のオレがおかしいのか、まさかな」
道のそばの小高くなっている岩場に出てみた。
全周は見えないが、かなりの範囲が見える。
いつもの見慣れた景色が向こうに見えるかと思ったがやはり違った。

「ここ、どこだ」
細い道が見えたので岩を下りて道に入った。
道なりにゆるい下りを歩いていく。
この下り道は記憶に・・ない。

すると道は段々と細くなり、獣道になり藪に続いている。
「藪で行き止まりかい」
行き止まりの山道、だがこういう道は大抵の場合、景色を楽しんだり写真を撮ったりするビューポイントが多い。

わたしは藪の前までいくと地面をじっと見た。
と足跡らしいものがかすかに残っている。
「人が入っている。とにかく入ってみよう」
藪の間を10メートルばかり行くと白いタオルのようなものが枝から垂れているのが見えた。

「オッやっぱり人が入っている」
人間がいた気配を感じて少し安心した。
タオルの向こうが開けているようだ。
やはりビューポイントか。

いまどこら辺りにいるのか、ビューポイントに出れば見当がつくはずだ。
タオルを横に見ながら低い草の中を進むと地面がむき出しの少し広いところに出た。
前は崖になっていて、ヒューヒューと下から風が吹き上がってくる。
何とも寂しくてたまらないような音だ。

風を受けながら崖からのぞいた。
断崖絶壁だ。
はるか下に黒い森が横たわっている。
「まるで太古の森を見ているようだ。どこだよ、ここは」

その向こうには連なる山々が見える。
視界の左の端に遠く白く細いものが見えた。
滝だ。
見事なほどの滝、なるほどビューポイントになるはずだ。

でもまた悩んだ。
「あんな滝なんかあるはずがない」
そもそもこの山から見える滝は無い。
ならこの山は何だ、やはりいつもの山じゃないのか。

道を間違ったのは確かだが、人のいた痕跡はある。
一応滝の写真は撮ったが、滝よりも帰り道が気になる。
引き返そうと後ろを見ると、そうだった、藪だった。
あ~藪が憎たらしい。

どこだっけ、藪から出てきたのは。
出てきたからには、必ず戻れる。
木々の間を見ていくと、人が通ったような雰囲気がある。
じっと地面を見てみる。

人の靴跡というか、踏み込まれたような跡がついた根っこがある。
ここが道か。
藪から出るときにズルッとすべったが、そのすべった自分の足跡のようなものも見えるような、見えないような。

ここだな、ここを抜けて来たようだ。
やれやれ助かった、やったね、戻れる。
右へ曲がったり左へ折れたり、しかし最初の藪で行き止まりのようになっていた獣道にたどり着かない。

なおも7,8メートルくらい歩いたか、前がぽっかりと開いている。
おっ今度は道へ出たか、それなら助かる。やれやれ。
藪をかきわけザザッと前に出た。
そして足がすくんだ。

まん前はまた断崖絶壁だ。
下をのぞくとさっきの断崖絶壁と同じ黒い森が広がり、風が吹き上がってくる。
この寂しくなるような風の音。

同時に不安が一瞬頭をよぎった。
眺めも周囲の様子もさっきの場所と同じだ。
まさかそんなこと、あそこではないはずだ。
前に数歩出ると遠くに見えた。
滝だ。

不安が小さな恐れに変わっているのが自分でもわかる。
(あるなよ)と思いながらゆっくりと背後に目をやった。
目の端に白いものが入った。
白いタオルが枝からぶら下がっている。

エ~・・同じ場所に戻るはずはないのに戻っている。
小さな恐れが少しづつ大きくなっていく。
生まれて初めて山に恐ろしさを感じた。
しかしここで止まるわけにはいかず、出口を探さなきゃならない。

木々の形はふぞろいで真っすぐな木もあればねじ曲がった木もある。
必死で人が歩いたような跡をまた探している。
先ほどは木々のすき間をそうと思い込んで入ったが、そうではないところが道なのかもしれない。

となると、見えるところ総てが出られる道に見えてきた。
焦っているのも混乱しているのも自分でもわかる
もう一度入ってまたここに戻ったら気がおかしくなりそうだ。
そうなったら下手すりゃここで遭難だ。

もう一度やってみよう。
この山にも迷いそうな場所にはテープが巻いてあるのだが、なぜか見ない。
また藪を探し始めた。
じっと地面を見ながら人の歩いていそうな別の痕跡を探す。

木と木の間が狭いように見えているが奥はどことなく広がって道のように見えるところがある。
今度迷ったら一大事、それこそ動きが取れなくなる。
そっと近づいた。

すると、かすかに人の足跡らしきもの。
とにかく人が歩いているのは確かで先ほどの道とは違う。
でもさっきはそれを当てにして進んで元に戻った。
どうするか、でも他に何も無い以上は行くしかない。

また藪の中を左に折れ右に曲がりグルグルと歩いていく。
すると藪がまばらになって向こうが明るい。
とにかく先ほどの元に戻った場所とは違うようだ。
今度は間違いなさそうだ。

やれやれ、やったね、いや本当に助かった。
嬉しくて涙が出そうだ。
足が少し早くなってきた、道だ、道だ、だ・・・
すると目の端にまた何か白っぽいものが見えた。

全身に震えが走った。
まさか、違うことを祈った。
そっと見た。
・・・・

白いタオル・・・
全身の力が抜けてそこへしゃがみ込んだ。
そして今度は恐れが怒りに変わった。
だっとタオルをつかんで地面に叩きつけた。

どうすりゃいいんだ。
見上げると浮かんでいる雲が自分を笑っているように見える。
なぜ元に戻るんだと思った。
ここはどこだ、あのいつもの山じゃない、自問自答するが誰も答えてくれない。

おかしい、こんなこと、あのタオルを蹴った。
絶壁から落ちた、と思ったら風とともにタオルが舞い戻ってきてユラユラ揺れながらあの同じ枝に引っかかった。
「エエッなんで?なんでよ」

何もかもが理解できず、何もかもが奇怪で奇妙だ。
谷の底から吹き上げてくる風はザーッと音を立て、強くなっている。
頭が混乱し足が宙に浮きそうだ。
腰が抜けるようにそこへ座り込んでしまった。

朝までここへいるか、帰らなかったらお袋が警察に連絡してくれるだろうけど、でもどこの山かわからない。
これで二度元へ戻った。
時計を見ると正午過ぎ。

気は急くがちょっと休んでみることにした。
こういうときは一旦落ち着くのが一番だ。
藪を後ろにしてリュックを下ろし、中からクッキーを出した。
昼食の弁当は食う気にならず、クッキーをかじりながらラジオのスイッチを入れた。

やはりか、ラジオはうんともすんとも言わない。
何も聞えず、わずかに雑音らしい音だけが聞える。
しかしこの山はどこに行ってもラジオが聞けなかったことはない。
「どうしたらいいんだよ」

そのときそばの小石の上に黒いものが見えた。
少し埃をかぶっていたが、へアピン、女性が使うヘアピンだ。
ハハァこの石に誰かが置き忘れたのか。
こういうときは人の気配を感じてゴミ一つでも嬉しくなる。

自然と手が動いて首に巻いていたタオルでヘアピンを拭いている。
まだ新しいヘアピンだ。
なぜか大事なもののような気になってそばの石の上にそっと置いた。
人がそれも女性がここにいたことは確かだ。

すると気持ちが多少落ち着いてきた。
ポリッポリッとクッキーを噛む音がやけに大きく聞える。
気づくと風はやんでいる。
すると周りの空気が生暖かくモヤ~とした空気になってきた。

「何だよ、この空気は」
どうしよう、もう一度藪に入ってまた戻ってきたらどうする、とどうしても考えてしまう。
だがこの藪から出て道に戻らなければならない。

「三度目の正直か、いや二度あることは三度あるって言うしな」
もう一度やるか、やるしかないしな。
立ち上がり、リュックにクッキーを戻し、リュックを背負おうとしたそのときだ。

藪の奥から人が歩いてくるのが見えた。
「ウハッ、人だ、助かった、人がくる」
藪の木々を縫うようにしてあっという間にそこまで来た。
「エッ、オンナ」

女性だった、それも一人。
向こうも気づいたのだろう、軽く会釈してくれた。
だが腰が抜けるほどおどろいた。
大きなつば広の帽子で顔は見えないが、足はスニーカーで上は普段着だ。

そして彼女はわたしの前までくると腰をかがめた。
何事かと思っていると白い指であのヘアピンを手に取った。
そして彼女はオレの向こう、つまり断崖絶壁を背にして椅子くらいの高さの岩の端っこに座った。

帽子で顔を隠し気味なのが気になったが、帽子を傾けてあのヘアピンを髪につけている。
ヘアピン、彼女の? でも少し埃がついていたけど。
帽子で顔は隠れたままだ。

オレは彼女に挨拶して言った。
「いやあ、助かりました。地元のかたですか、道に迷って出口がわからなくなってしまって。良かったあなたが来られて」
すると彼女はこう答えた。

「わたしも良かったです」
『わたしも良かったです』とはどういう意味か。
「まさかあなたも道に迷っている、なんてことはないですよね」
彼女は黙っている。

奇怪な沈黙がしばし続くと、こう言った。
「わたし、あなたのような連れが出来て嬉しいんです」
「連れ、ああそうですね、ボクも同じです」
「本当に?」

おかしなオンナだ。
「本当です。一人よりも二人のほうが心強いですしね」
「そう言って頂けると嬉しいわ」
「いや、まあ、そこまで言って頂いても恐縮ですが」

「わたし、ここの山はそんなに詳しくないのです。子どもの頃に二三度上がっただけで、今回はいつの間にかここに来ていて」
「子どもの頃に二三度、いつの間にか・・でも下山の道はご存じでしょ」
「いいえ、わたし下山する気はありませんから」

「どういう意味ですか。もう昼は過ぎましたから日暮れも近いし、あなたも下りなきゃいけないでしょ」
少し考えたようだ。
「わたし、そこにいるんです」

「ハッ・・??」
彼女は崖を指差している。
「あ、あの、意味がわかりませんけど」
そのとき、雑音ばかりだったラジオからなぜか突然声が出た。

おどろいたが、ローカルニュースだ。
「普段着で山に入ったまま行方不明になっていた25歳の女性の捜索は今日で打ち切られる予定です。山に入った事実は証明されていましたので捜索が続いていましたが、何の手がかりもないまま打ち切りとなりました」

ラジオが言った通りの姿と年恰好、顔は見えないが、その女性本人だとすぐにわかった。
ならオレの前にいるこの人は、まだ生きている・・ような気がするが、でもどこか不自然だ。

普段着にスニーカーをはいているが、行方不明になっていたにしては腹が減った様子もなく、そのような素振りもない。
それに最初から顔を見せようとしない。
おまけに断崖絶壁を指差して『そこにいるんです』とは・・。

『そこ』とは何だ、底のことか、それともそこの意味か。
最初から感じていた得体の知れない恐怖が段々と形になって大きくなり始めている。
ラジオはまた雑音に戻った。
すると彼女は勝手に自分の話しを始めた。

「あいつは、あいつは、わたしを散々利用して何もかも奪ったあげく、わたしをナマゴミのように捨てて資産家の娘と一緒になったんです」
わたしもおどろいた。
いまそんな話しをオレにするか?!

「はアア、それ、あなた自身のお話しですか」
「もちろんです」
「貢いだ上に捨てられ、相手の男は資産家の娘と一緒になったということですか」

「よくご存じね」
「いえ、あなたがいまおっしゃったんです」
「そうでしたね。あいつは畜生にも劣る男です」
「でもそれって、よくあるパターンですよ」

「世間でよくあってもわたしには一度だけ。そしてわたしはアイツをつけ狙ったんです」
「何かする気だったんですか」
「これよ」

彼女は小さな折り畳み式のナイフを上衣のポケットから取り出した。
「ナイフじゃありませんか。使ったんですか」
「いいえ、あいつは、あいつは、刺してやる前に交通事故で亡くなったのよ」

「なら罪を犯さなくてよかったじゃありませんか」
「わたしは悲しくて哀しくて、いくら恨んでいてもやっぱりわたしには一人しかいない大事な人でした。亡くなったと聞いたとき、ひと晩泣いていました」
「そうですかァ」

「それでわたし、わたしも彼のあとを追って死ぬつもりで睡眠薬や毒物や首吊りとか色々やってみたんです。でもどれも最後になると死ねませんでした」
「はあぁ」

「海に飛び込むつもりで遠くの海にも行きました。でもあの海の
唸り声を聞いていると恐ろしくなってきたんです」
「でも死ぬ気だったのでしょ」
「はい、でもでも死ぬって簡単なことじゃありません」

「そりゃそうですよ。あなたが死ねないのも生きて人生を全うしろていう神様の思し召しでしょう」
「神様ですか、あの人たち酒が好きで務めをよくサボりますから」
「はあぁ、そうですかァ」

「それでわたし思い余って、なら山に入って飛び降りようと思ったんです」
この辺りでわたしも顔を見せない彼女の姿に何とも言えない恐れを感じ始めていた。
「まさか、あなた」
わたしの声が震えている。

「そうです。わたしこの下で死んでるんです。やっと死ねたのです」
天気は良くて幽霊や化け物が出てくる時間ではない。
でも前にいるのは、おそらく100%、幽霊だ。
「死んでるって、あなたわたしの目の前で生きているじゃありませんか」

「わからないの、アナタ。死んでるんです。わたし」
彼女はほほにかかった黒い髪をスッとすくい上げると後ろに回した。
そのとき彼女の 目から下が見えた。
目が合ったとき、わたしの全身が凍りついた。
恐ろしくて声が出ない。

あとは彼女の一方的な舞台になった。
「わたし、一人で空に逝くのはイヤなの!」
「でもアンタ死人だろ」
「わたしと一緒に空に、お願い」

「こ、断る、死にたきゃ一人で逝って」
「いやよ、一人は。さっ一緒に逝きましょ」
「いやだ」と言ったものの身体が動かない。
彼女はオレの手を取った。
その手は氷のように冷たかった。

「いやだ、離せ、手を離せ」
「わたし、一人で死ぬのはイヤ、誰かが来るのを待ってたの。多少不満はあるけどアナタなら許せる。二人が一緒になれるのはすぐそこよ、さあともに逝きましょう」

「多少不満はあるだの、オレなら許せるだの、何だよ。ぜいたく言うなよ」
彼女は笑った。
そして顔がもろに見えた。
幽霊とは、こういう顔をいうのか、恐怖で身動きできない。

「さあ、おいで。かわいい人ね、ほうらもうそこよそこ」
はるか下の黒い森が視界に入った。
「オレは30だ、かわいくはない、やめてくれ」
すると彼女はナイフを持って刃を出し、オレの首に当てた。

「もうあなたに明日は無いのよ。覚悟を決めなさい。男でしょ」
「お、男だよ」
ガガググ、最後の抵抗を試みるがもう何をやっても無駄だと悟ったその瞬間に身体がスッと軽くなった。

そして彼女は叫んだ。
「ワン、ツー、ジャンプー」
身体が宙に浮いて頭が下になるとサーッと黒い森が近づいてきた。
落ちていく時間が何時間にも思えた。

そしてバサバサッ、ガツンという音とともに枝に引っかかって止まった。
自分の足裏となぜか背中が見え、すぐ横にはさっきと違う彼女の生きていたときの素顔がオレを見ながら笑っていた。
オレもじっと彼女を見た。
これがオレの生きているときの最後の記憶だ。

もう一つ、人間は死ぬときってつまんないことを考えるのか。
彼女は意外と別嬪(べっぴん)さんだなと思った。

 その翌日、わたしのお袋は警察に捜索願いを出した。
そして三日後のこと、たまたま山中に入っていた材木屋の社員たちが二人を見つけた。
二人は大きな枝に固まって引っかかっていた。

事件性は無いが不思議な事故で消防も警察も困惑した。
二人で固まってぶら下がっていたものの、女性は普段着で男性は山歩きの姿。
何よりも、それぞれの死後の時間の違いが問題になった。
女性のほうが十日ほど早く亡くなっていたのだ。

そして女性のほうは人間関係に悩みがあったが、男性のほうは死ぬ理由がない。
二人に交際があったという証言もないし、二人が付き合っていたという証拠もない。

たまたま同じところに落ちたのだろうと最初は思われたが違った。
二人が引っかかっていた枝は崖から20メートル離れていた。
上から思いっきり飛んでも20メートルは飛ばない。
有り得ない。

そこに十日という時間差をつけて女性と男性が固まって木の枝に止まっていた。
事故とされたが、なぜそこに二人がそうなっていたか、永遠の謎になった。

・・・

 わたしはいま奇妙な縁で彼女と二人で空にいる。
あのとき死んだことに後悔はないし、周りがうらやむくらい仲がいい。
いつかお袋も来るだろうが、やっぱり別居かなァ・・
どこにいても悩みはつきないもんだ・・・
「アンタァ~」
「ハイ ハイィ~」


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