見出し画像

二人のヴィーナス -Short Story-

  今日は日曜日。
金、土と続いてきた恒例の骨董市の最終日だ。
寺の境内から参道そして公園までズラッと露店が並び人の波が絶えない。

露店の数は百をゆうに超えており、骨董はむろんリサイクルショップもあれば家で不用になった家電や衣服、本などを売っている家族的な小さな露店もあり、車や耕運機などを売る出品者もいる。

家電や日用品などで特に売れるのは、やはりメイドインジャパン。
何が起きようと起きまいと、人間が存在するかぎりモノづくりは無くならない。
あれもこれも失いつつある日本だが、モノづくりの精神だけは何とか健在だ。
そしてそれを目当てにやってくる外国人も増えている。

以前は人の波の頭はみな黒で中にたまに白がある程度だったが、最近は金や茶や赤が増えている。
日本のものづくり文化とともに骨董市も世界に知られ始めているのは喜ばしいことだ。

 骨董市を歩くのが大好きな陽平も人の流れから外れたり入ったりしながら歩いている。
陽平の一番の目的は絵だ。
それもある決まった絵をいつも探している。
露店を歩いていると意外といいものが見つかることが多い。

骨董市で売る絵画だから贋作もあればコピー品もあれば作者に無断で勝手に加工した画もある。
違法を思わせるものもあるが、それがまた面白い。

陽平の前を歩いているのは夫婦者の外国人だ。
身体のでかい金髪の男性と銀髪の女性で、男性が腕で何か荷物を抱えている。
何か買ったのだろう。
ここまでの道でも外国語があっちこっちで飛び交っていた。

 外国人が増えると買う外国人のみか、売る外国人も増えてくる
歩いている陽平の目が止まった。
すぐ先に絵画と額を売っている露店が見えている。
初めて見る露店だ。
奥を見ると店主らしい細身で東欧系の顔をした女性が椅子に座って本を読んでいる。

露店はテントだが、その下に薄いベニヤ板に白いペンキが塗られ、赤い文字で「A-kumaya」と書かれた札がぶら下がっている。
「A-kumaya」が屋号らしい。
陽平のそばの高齢の男性が札を指しながら彼女に尋ねた。

「お嬢ちゃん、日本語わかるかい」
彼女はニコニコしながら答えた。
「ダイジョウブですよ」
『エークマヤ』てどういう意味なの」

座っていた彼女は笑顔で立ち上がり札を裏返した。
見ると漢字で『悪魔屋』と書いてある。
「ああ、そうか、そういうことかい。アンタが悪魔なの?」

彼女はちょっと考えて答えた。
「そうかもしれないね」
彼女、歳は20代後半くらいか、薄手の黒いマントをまとい、頭には黒いつば広の帽子をかぶって、まさに悪魔のような格好をしている。

男性がまた尋ねた。
「いつもそんな格好しているの」
彼女はニッコリ笑ってうなづいた。
白い肌と赤い髪、笑顔がよく似合う。

先ほど寄った顔見知りの骨董店の主が陽平に言っていた。
「もう少し行くと、赤い髪の外国人の女が一人でやってる露店がある。絵画を扱っていて何でもありの店だよ。寄ってみな。額を山のように平積みしているから何かあるかもしれないよ」
その店がここだった。

彼女は白人特有の人懐っこさのゆえか、ぶっきらぼうに見えて愛想がいい。
日本語はまだ不自由なときがあるらしいが、何よりも色白で顔がいい。
「色の白いは七難隠す」というが、この場合もそうかな、と陽平は思っている。
見る者にもよるが、隣近所の露店商の間では百点満点で八十点という評価だと先の露店の主が言っていた。

確かに美人というかそれっぽい。
それ以上に陽平が感じたのは不思議な印象を受ける顔をしていることだ。
雰囲気もどこか人間離れしているし、黒いマントがなおもそれを強調している。
『A-kumaya』という看板はあながちウソでもなさそうだ。

 「客が多いな」
陽平は客が少し減るのを待っている。
低い折り畳みのテーブルを二台並べてその上に額つきの絵が重ねて置いてある。
高さは1メートル以上はある。
陽平は求めている絵があの山の中に入っていそうだと感じている。
山を崩しながら一枚一枚見てみたいのだ。

何げなく陽平が奥を見ると彼女と目が合った。
すると彼女の表情がわずかに変わった。
だが陽平は目をそらしていて気づかない。
客が二人離れるとすき間ができた。

陽平は額の山を一枚づつ崩しながら絵を一枚一枚丁寧にめくり始めた。
一つの山を探し終わった。
元に戻すと隣の山を崩し始めた。
途中から何か感じたのか、手の動きが早くなった。

彼女は奥から陽平の動きをそれとなく注意深く見ている。
しかし万引きを警戒しているふうではない。
陽平が小さく声を上げた。
「おお、あった・・・けど・・なに」

探している絵があったようだ。
当然ながら本物ではなく印刷されているコピーだ。
大きさはおよそA3程度。
それがやけに大きな額に納まっている。

コピーなのに、大事にしていたのかと思ったが、ただその絵を見た瞬間に何か違うものを感じているようだ。
陽平はその絵をしきりに眺めている。
じっとその絵を見ている。

両手で近づけたり離したり、斜めにしたかと思うと立てかけて数メートル離れて見ている。
ついには通りの人込みの中で陽の当たるほうに絵をかざし見始めた。

次々と人が通り過ぎていく。
陽平は額を持ち直すと両手で抱えて彼女の前に行った。
「あのォ日本語はわかるんですよね」
彼女は笑いながら応えた。
「OKよ」

「これいくらですか」
「ああ、それね。その絵の値段を聞いた人、あなたが初めて。その絵好きなの」
値段を言う前に質問が飛んできた。
「このヴィーナスの絵が好きなんです」

絵はイタリアの画家ボッティチェリによる名作「ヴィ―ナスの誕生」だ。
本物はイタリアのフィレンツエの美術館にあり、あのモナリザの微笑みと肩を並べるくらい日本人には人気のある絵だ。
ここにある額入りの作品はむろんそのコピーであり印刷されたものだ。

ヴィーナスは貝殻の上に立ち右手で乳房を隠し左手で陰部をおおっている。
それを西風のゼピュロスが吹いて岸へ寄せ、季節の女神であるホーラーがシーツをかぶせようとしている。

描かれた当時は異教的とされて破却されそうになったが、イタリアの名家メジチの助けで生き延びた、らしい。
いわれてみれば確かに当時なら異教的だったのだろう。

彼女は陽平に尋ねた。
「この絵のどこが気に入っているの?」
「どこと言われても、まあヴィーナスその女(ひと)ですかね。この絵が前から大好きなもので絵が入っていればカップや小物など色々と集めてるんです」

「ファンなのね」
「そうですね。ただ、この絵は同じヴィーナスの誕生でもどこか違うものを感じたんですけど」
「違うもの、そうね・・」

「この絵、おいくらでしょう」
「そう、それは2000円」
「額に多少傷があるけど、2000円?」
「そうよ。高い?」

「いえ、もっと高いかと思ったから」
「どこか違うと思ったから?」
「そうです。この絵、確かに本物のヴィーナスの誕生なんだけど、でも違う。そうは思われませんか」

彼女はいたずらっぽく尋ねた。
「どこが違うと思うの」
「うん、目ですね。本物とはヴィーナスの視線が違う気がします。確か本物は左を見ているけど、この絵では右というか、こっちを見ている。こんなの初めて見ました。だから何かの理由で値段が高いのかもと」

彼女は仲間ができたように嬉しそうな顔をした。
「へへ、正解。みんな見ているようで分からない人が多いの。ざっと見ただけで過ぎてしまうのよ。日本人はこの絵が好きらしいけど」
「まあ、目の向きが違ってもそんなに気にはなりませんしね、絵の全体をバッと見て小さいところは気づかないのかも」

客が二人の話しに割り込んできた。
「ねえちゃん、これちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
「ねえちゃん、日本語が上手だね」
「サンキュー」

彼女は陽平にパイプ椅子を出して横に座れと合図した。
彼女は売れた絵を包んでいる。
「ありがとうございました」
「うん、ねえちゃんも頑張ってな」

「でも日本人、みんな優しい、みんなスキ」
「そうですか、でも最近は変なのが増えているから気をつけたほうがいいですよ。ボクなんかもそれをよく感じますもん」
彼女は笑っている。
白い歯と赤く薄い唇が、エエなと陽平は思っている。

 話しが戻った。
陽平は絵を立てて見始めた。
彼女も並んで見ている。
「しかしだけど、どうして目がこっちを見ているように描き替えたのでしょうね。印刷だし贋作ではないけど、なぜヴィーナスの目の向きを変えたのか、それが知りたいけど、わかりますか」

「そうねえ」
と彼女は知ってるような知ってないような曖昧な返事をした。
二人は今度は手に取って見ている。
彼女がルーペを渡すと陽平はヴィーナスの目をルーペで見た。
「本物は左を見ているけど、これは右というかこっちを見ていますもんね」

彼女の曖昧な返事は続く。
「誰かがパソコンで加工して印刷したんでしょうけど、何を考えていたのかな」
「パソコンで、そうでしょうね。ヴィーナスが自分を見ているように加工したのでしょうか」

「どうかな、よくわからない。これは印刷だから他にもたくさん同じ絵があるはずだけど、なぜか聞いたことも見たこともないの」
「パソコンで加工した以上は元の画像があるはずだけど、どこにあるんだろう」

「わからないのよ、この絵もいつからわたしのところにあったのか、それさえわからないし、いつの間にかあった」
どうも彼女の言葉は曖昧なところが多い、何か知っているのでは、と陽平は思っている。

「それにこの絵、じっと見ているとそのときの状況次第で気分がハイになったりローになったりするように思えるけど、どう思いますか」
「よくわかったね、そうそれある。きっと加工したその誰かの心が入っていたのかもね」
そこまで言えるのは誰が書いたのか、その経緯も知っているからではと陽平は思った。

「その心がこっちに訴えてくるように見えるのかな」
「そうでしょ、こちらの気分によって絵が変わるのよ」
陽平はじっとビーナスを見ている。
「ううん、確かにそうだ、愛も感じれば恐れも感じるてことか」

「はは、あなた詩人ね」
「そんなことはないけど、でも日本語が上手ですね」
「うんと勉強したのよ。それでこれ、やっぱり買いますか」

「面白いから買います」
すると彼女はまたおかしなことを言った。
「ならこの絵の秘密をもう一つ、もう一つおかしなところがあるのよね」
「どこですか」

「よおく見てごらんなさい」
だが分からない。
「身体の一部よ」
「いや、分かりません」

「じゃこっちの原画を見ながら」
と彼女はカバンの中から一枚の絵を出した。
本物のヴィーナスの誕生の一部、腹部だけが拡大してある。
陽平は額の絵と拡大した絵を見比べた。

「これ、お腹の形というか大きさというか違うような、気がする」
「当たり、さすがファンね、そうお腹がわずかに大きいの。まるで妊娠の初期のようにね、お腹が大きい」
確かに二枚並べてみるとその通りだ。

「目ならまだわかるけど、なんでお腹が」
「そこよ、そこも分からないのよ、この絵は。イタズラにしても訳が分からないし。他に理由があるのかもしれないし。あなた、それでもまだこの絵を買いますか」
「はい、買います」

「じゃこれタダであげます」
「タダになるの」
「はい、この絵、置いていてもどうせ売れないし。あなたなら大切にしてもらえそうだし。いいのよお金は」

「『タダより高い物は無い』という言葉が日本にはあるけど」
すると彼女は額を包みながら言った。
「高くなるか、安くなるかは、あなた次第」
「どういう意味なの」

「どう見るか思うかという意味よ」
禅問答のようになりそうだ。
額を包むと彼女は言った。
「普通はこんなことはしないのだけど、わたしの名刺、何かあったときのためにわたしておきますね。それとあなたのお名前と電話番号を教えてもらえるかな」
すぐにメモ用紙に名前と電話番号を書いて渡した。

この絵には、とにかく何かがありそうだ。
人込みはこれからが本番だ。
振り返ると彼女は手を振り、笑顔で投げキッスまでしてくれた。
通りのみんなが振り返る。
ちょっと恥ずかしかった陽平は早足で骨董市を出た。

昼飯をと思ったが、気が逸るので真っすぐ帰った。
実家を離れ彼女もいないので一人暮らし。
帰るとすぐに包みを解いて絵を取り出した。
テーブルを壁に寄せて立てかけた。

「この感覚は何だろう」
こっちを見ているヴィーナス、そして妊娠しているのかもしれないヴィーナス。
本物のヴィーナスの画像をコピーして加工したのだろうが、なぜ目と腹をねえ。
目が変えられたせいか、これは全く違う絵になっている。

これを作った人物はどのような人物で何が目的だったのか。
陽平は考えれば考えるほどますます迷路に入っていく。
「あーわからん」
数日、会社から帰っては絵を見る夜が続いた。

あれこれネットでも探し回した。
しかし状況は変わらない。
でもこの絵がこれならこれで特段の問題も無い。
これはこれで完成した絵だからコレクションに入れておけばいいだけの話しだ。

面倒になって絵をしまっておこうとしたが、やっぱり気になって仕方がない。
気にすまいと思えば思うほど気になってしまう。
ええい彼女に電話して何かいい案はないかと聞いてみようと決めた。

他に何も無いし、わざわざ電話すると誤解されるかな、と思いはしたが自分で悩んでいても仕方がない。
時計を見ると午後7時、電話のボタンを押した。
10秒20秒、電話を置こうとしたら出た。

「ハイ」
「アノぉこの前ヴィーナスの絵を・・・」
「番号でわかったよ、ヨーへ―ね」
「そうです。実はあの絵の件で」
陽平は誤解されないように今までの経過を慎重に話した。
彼女はそれを感じ取ってくれたようだ。

「まだ悩んでいたんだ。たかが絵でしょ」
「そりゃそうだけど、気になって眠れないのよ。何かヒントが聞ければと思って」
「そんなに悩むとは思わなかった。ゴメンね」

「いや、謝ってもらわなくてもいいんです。ボクが勝手に悩んでいたんですから」
すると彼女は会って話したいという。
陽平は絵の意味よりも彼女が会ってくれることを喜んだ。

絵なのか、彼女なのか、この瞬間に疑問が期待に変わったらしい。
願ってもない申し出だ。
即答した。
翌日、午後6時半に会社の近くのコーヒー店で会うことになった。

 6時半、コーヒー店に二人の姿がある。
彼女は陽平を見ながら話し始めた。
陽平はじっと聞いている。
間で相槌を打ちながら笑顔になっていった。
長い時間ではない。
陽平が笑っている前で彼女も笑っている。

「じゃあなたのご主人が」
「ううん、正式に結婚はしてないの。彼は結婚しようと言ってくれたのだけど、わたしのほうが」
「そうだったんだ」

「そうよ、彼はイラストレーターでパソコン加工も得意だった。そしてあなたと同じくヴィーナスの誕生が大好きだったの。
それでわたしをヴィーナスに例え、ヴィーナスが自分を見ているように加工したのよ。でもヴィーナスの目がどこかよそよそしいでしょ」

言われてみれば確かにそうだ。
少し焦点がずれているようにも見える。
「あれもね、彼から心が離れつつあるわたしの気持ちを彼が感づいていたせいよ」
「へえ、あの絵にはそういう意味が・・こりゃ本物よりもすごいな。本物はただの絵だし」

「となると、それならお腹の大きいのはひょっとしら・・」
「そう、勘がいいわね、彼が二人の子どもをと望んでいたの。それでねあのお腹は彼の願望だったのよ。だからさあの絵、変な男がつくった変な絵だったのよ。それをヨーへ―が持って帰ったのよ」

「その変な絵にボクは振り回されたってことか、タダにしては奥深かったな」
「まあそうね、怒ったァ」
「怒るより先に自分で笑ってますよ」
「そう、良かったァ」

「あの絵は、あなたの彼の作品であり、あなただったわけか」
「そういうことだからプリントは一枚だけ。そして額も彼が買ってきて自分で入れたの」
「それから彼は国へ戻った」

「そうよ、わたしは日本に残ったの。そのうち何かしなきゃと思って、わたしの本業は通訳なの。あの露店は暇つぶしのアルバイトのようなものなの」
「じゃそこへボクが顔を出した、と」
「そうだよ、絵の事情を説明してもいいけど、他人には関係ないことだし、聞かされてもかえって面白くないだろうしなと思ってヨーへ―にも黙っていたの」

「聞いてみれば何てこともなかったな。悩んだだけ暇つぶしになったってことか」
「こういう悩み事ってね、元を知ってみれば何てことないのよね」
確かにその通りだった。
陽平は彼女は自分より日本語に詳しいのかも、と思っている。

「でもおかげでモヤモヤがみな吹っ飛んだ。正直に言ってくれてありがとう。ならあれは彼の残したものだから大事なものでしょう」
「いいのよ、別れて中国に行ったらしいとは聞いたけど、もう会いたくない人なの」

「でも何度も言うけど・・・・あのヴィーナスがあなただったとは」
「わたしヴィーナスに似てない?」
言われてみればヴィーナスより細身だが似てないこともない。
髪も顔つきもあのヴィーナスにそっくりだ、と思うように陽平は自分に言い聞かせた。
そうとも思えるように彼女が誘ったようにも見えたが陽平は気づかない。

「もう一度聞くけど、あの絵、返さなくていいですか」
「うん、もういらないし、それどころか捨てようかと思っていたから」
「捨てる気だったの」
「うん」

「あの絵は捨てずに持っておくよ。あれはヴィーナスではなくてアナタだもんね」
彼女はいたずらっぽく言った。
「じゃここのコーヒーゼリー、おごって」
陽平はボッティチェリもヴィーナスも忘れて彼女を見ていた。

 それから半年後の金曜日、あの恒例の骨董市が新春の初売り市として始まった。
人出はますます増えている。
あの『A-kumaya』も店を開いている。
あのときと同じく黒い帽子に黒いマント姿の彼女がいる。

横で荷をほどきながら店に並べている男がいる。
陽平だった。
隣の露店の主が挨拶した。
「おはようございます。お二人は・・ご夫婦?」

彼女は嬉しそうに答えた。
「はい」
「今日は嫁さんの手伝いです。よろしくお願いします」
あれから陽平は彼女と急接近した。

そしてある夜、彼女の一糸まとわぬ姿を見た。
陽平にはまさに細身のヴィーナスだった。
自分でも思っている。
「簡単に彼女につくすようになった。悪魔はいずれお腹が大きくなるんかな」

彼女に日本国籍の許可が下りるまでもう少しだ。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?