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母が父にやっとの思いでお別れを告げた時…

1000日修行13日目
今日は、午前中いっぱい母の話しを聴く。実家の母屋は明治2年に建てられた。途中茅葺き屋根から瓦葺きに変わったり、木の雨戸がガラスのサッシになったりはしたものの、土台、大黒柱、梁は建てた時のままだから、かれこれ150年は経っている。その家を建てた、江戸時代生まれのサクヘイさんの話しを延々と聞かされたのだった。

話しが進むにつれて、登場人物がどんどん現代に近づいてくる。母は91歳。耳は遠くなっているが滑舌は良く、話しも面白いし、ついつい耳を傾けてしまう。しかし、今日私がじっくり母の話に付き合っているのには訳がある。仲の良かった義兄の顔を見に行って、きちんとお別れをして欲しいのだ。無理矢理引っ張っていくのではなく、本人の意思で会いに行ってほしい。

母の話しが父の時代に辿り着くまでに、約2時間を費やす事になった。

父と母は本当に仲の良い夫婦だった。とにかく良く話し合う夫婦で、他に友人を必要としないくらいだった。それが故に、2018年10月31日に父が急死した時の母が受けた衝撃は、計り知れないものがあった。

病院から物言わぬ姿で帰宅した父。
その姿を見たら、父の死を受け入れなければならなくなる。最初母は、あれは父ではない!と言い張って、父が横たわる座敷に近づこうともしなかった。何度行くように言っても、自分の席を立とうとしない。最終的には、父母ともに仲の良かった友人にさとされて、母屋の座敷に横たわる父のそばに座った。無言で父の顔の覆い布をのけた母は、そのまま時間が止まった様に父の顔を見つめたまま動かなかった。その目からは涙が溢れて止まらなかった。

母の心のかたくなさは、これで溶けたわけではなかった。次のハードルは、お通夜に出ない、お葬式に出ない、火葬場に行かない、次から次へとごねた。まるで子供の様にごね続けた。私達もしまいには、根負けしそうになりそうだった。寒い天気が続いたし、母の具合が悪くなってもね、などという意見も出てきたりしていた。

だが、お通夜の朝、知らないうちに喪服に着替えた母は、綺麗にお化粧をして部屋に座っていた。
「私がお父さんを見送らなければ、お父さんが安心してあちらに行けなくなるからね」
昨日までとは打って変わった母の態度に、父がそばにいるなと思わずにはおれなかった。

実家の座敷で入棺、その棺を4人の甥に担がれて、父は霊柩車に乗って行った。その姿を見て母はまたひとしきり泣いていたが、諦めがついた様に、化粧を直し、頭を上げて通夜の会場に向かった。
翌日、告別式の後に火葬場に向かう時は、冷たい雨が降っていた。1番上の姉が、お母さん、寒いから無理しないで良いよと声をかけたら、「私がお父さんの骨を拾わないでどうするの」と言い、一番最初に骨を拾って骨壷に入れていた姿を忘れる事が出来ない。全身で父にお別れを告げていた。悲しくて寂しくて仕方ないけど、今生でのお別れを、父の死を受け入れることで、母は自分の残された人生を生き切る決心をしたのだと思った。

この時の経験があったので、母が義兄の顔を見たくないと言うだろう事は想定内。さて、どうやって重い腰を上げさせるか。じっくり色々な話しを聞いて、最終お父さんにお別れをした時の話に辿り着き、お義兄さんにもちゃんとお別れを告げないとね、というところでの合意に至ったのであった。
気付くと、午前中いっぱい3時間近く話し込んでいた。

今日、いわきは雪は降らなかった。その代わり明日はもっと寒いらしい。母の気が変わらないうちに、暖かいコートを着せて、陽のある午後に出かけるとしよう。

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