もう夢も理想も何もかなわず、その気持ちもすべて諦めたら 不思議と力が抜けて生きる気力がわいてきた。 どうせ人生はこんなもんだと諦めたら人生が彩りに満ちてきた。 諦めたらすべてが楽になり、諦めたらすべてがありがたいと思えた。
生きてるだけですごい、生まれてきたことがすごい。 日本に生まれただけですでに勝ち組。 それ以上はすべておまけのサービスタイム。
やりたいことをやるとおもって、やりたいことが 何かを考えたら、特にやりたいことがなかった。 なにもとくにやりたくないって状態がおいらの やりたいことだった。
完璧な人間になれないことはみんながわかっていることなのになぜかみんなは欠点をなくそうと悩み頑張っている気がする。欠点があることが人間たるゆえんで、欠点がなければそれはもう機械かAIでしょう。 欠点があるから愛される。完璧な人間を好きになれるわけがない。 一緒にいて楽しいわけがない。なのにそれを目指していないかい? 相手にも求めていないかい?ミスをするのが人間だ。嫌なことを 犯してしまうのも人間だ。人間はそういうものなのだ。 それをわかって受け入れることが美しい人間らしさではな
当たり前の社会生活がうまくできなくてうつ病になったり、 発達障害だから社会にうまくなじめないとかいうけど、 これってもしもおおらかな外国の国だったら病気判定されるレベルじゃないと思います。普通に遅刻したり、仕事のルール守れなかったり適当だったり、そんなの外国人には当たりまえにいるよね。外国では当たり前に寛容されることを日本では許されないから鬱にもなるし、仕事の能力低いだけで発達障害とか言われているだけよね。すべては個人差で個性です。 自分に合う場所で気楽に適当に生きよう。お金
三日連続やる気なしでスタバでだらだらしています。 暇にも飽きましたが他にやりたいこともないので 猛烈に退屈な時間をもやもやしながら何もせず過ごしてます。 スマホをみないことだけはルールにしてます。 スマホはほんとに無駄に疲れます。 便利さと引き換えになんともいえない貧しさを感じます。 めちゃくちゃ便利です。そして無駄に便利です。 そして人生にとってどうでもいい情報を過剰摂取してます。 そして大バカ者になっています。 これならスマホのない不便さと比較して何も ないほうが心は豊か
昨日から今日にかけてスタバでだらだらぼーっとしてます。 やる気がないからです。 自宅でも食事以外だらっと寝ていました。 とても心地よくてなんかやる気が出てきまいた。 不思議なもんで、人生諦めたり、お金なんていいや ひまがあればいいやって思ってたら 良いオファーが舞い込んで仕事が良いスパイラルになって あれ?お金稼いでるって状況がやってきます。 僕はやる気なくしたら、さぼりだしたら なぜかマインドフルネスになり結果的に 仕事、経済、人生の土台がうまくいきます。 だからやる気ない
もう気持ち的にはやる気ないわよわたくし それでもやらなきゃいけないことはあるわよ やるしかないわよね、やる気なくても ほら結論でた、気持ち関係なくやらなきゃいけないなら やろうぜ、以上。 スタバのブラックエプロンの女子のキラキラした接客が まぶしいときがある。私は人とかかわるのが大好きです!って 感じの人生勝ち組感。これは妬み嫉みじゃなくて、 良い人だなあ、明るいなあ、その光の強さが僕を明るくすると 同時に自分のという人間の影をより濃くしていく。 それにくらべて自分はダメな人
執着ってやつさ すべては自分が勝手に期待して 思い通りにいかず勝手に落ち込んでいるだけ そもそも自分の思い通りに世の中を コントロールしようとしてることが 傲慢だと思うんです。 仕事のノルマとか人生設計とか。 当たり前にならないことを受け入れたら 世の中のすべての当たり前にありがとうと思えるよ ありがとう人生
ある願いをかなえるためにそのひとつのために集中することは大事です。 でもその思いひとつに強く執着すると結果はうまく出ないことがわかった。 これのためだけにという強い思いが余裕を失うことがわかった。 ダメもとでいいやという感覚が大事だと思った。 いくつも選択肢がある心の余裕がいいパフォーマンスになる。 力をぬくということの大切さがある。 努力はコツコツするが、それに固執してはいけない。 絶対に成功しようとか思いすぎない。 誰かのためになることをしようとしている。 それは自己満で
なんとなく朝起きたらまずは筋トレを少しやるというのを毎日の習慣にしてきたけど慣れるには慣れたけどそれでも寝起きでいきなり筋トレをすることに対するメンタルストレスは全然改善しなかった。やりはじめたらそれなりになんとかこなせる感じだった。でもさ朝の最初の一番が嫌々感って人生の精神衛生上とても嫌だった。嫌々感を解消したくて試行錯誤してた。そしたらたまたま友達がアスリートはとても長い時間準備に時間かけてストレッチをすごくしっかりやると聞いた。面倒だし時間かかりそうだけど、筋トレよりは
人間関係って仲良くするためには近づかないことだなぁと感じた。今1番仲のいい人達はみんな少し離れている。たまに会う、いつも敬語で話す相手ばかりだ。タメ口で話せる若い時の友達より遠い存在なのに何も包み隠さず悩みも弱い自分もさらけ出せる。遠い存在だからこその距離感って大人になると大切だなぁ。
負けたら悲しいしいろいろと人生のハンデにもなる。 でも勝ち続ける人生も実は難しいからいつか負ける。 勝った人も最後は負けて終わる。早いか遅いかだけ。 負けた人もまた勝ち上がることがある。 降格によって戦いのステージを下げたらからそこで 勝ち組になれることもある。人生は比較するとつらい。 勝ち負けのない世界もある。勝ち負けにこだわらない世界に たどり着けたときが本当の勝者なのかもしれないね。
僕はエリートじゃないのになまじっかエリート気取りだから 無駄にプライドが高かったり、嫉妬心つよかったりしていた。 でもそれはある意味では、その嫉妬は自分が手の届く意味での ライバル意識だったとしたら正しい嫉妬というか、自分も 頑張れば手が届く高みということかもしれない。 その嫉妬のエネルギーはある意味モチベーションだ。 しかしその嫉妬を相手への敵意にすると心は不健全だ。 自分より優れているところを純粋に認めリスペクトできれば いつか自分もそのポジションに追いつくのも早まるし
与える人が一番得られる。損をしよう、失敗しようとする人は結果的に得をするし成功する。疲れたけどがんばろう。俺は俺のやり方がある。 与えること、人を喜ばせること、感動させること、与えること。 俺はすごくならなくてもいい。いい人でいよう。
今日もなんとなく生きている。朝から同じルーティンを繰り返す。 何も考えなくても自動的に決まっている段取り。 何も考えなくても進んでいく日常。 退屈だろうか。でも何も考えなくても進むということは そこに不満がないということ。 体はどこも悪くない。当たり前や普通でいれることは 人生の勝ち組なのだ。 大金をもつこと、自由時間があること、何かを得ること。 それはすべてラッキーな余り物で、幸せとは別物だ。 当たり前に生きられている今がなによりもすごい一日なんだ。 感謝しかない、当たり前