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せきをしてもひとり (咳をしても一人)  尾崎放哉

noteでの初めての独白。
さて、どこまでいつまで続くのやら。

10年前には日常ブログを書きつけてもいたのだから、まぁ、web-monologueは初めてじゃない。肩に力をいれずにいこうと思ったり思わなかったり(笑)

 noteを付け始めるのは、やはり、憎むべきcovid-19による分断のせいだ。分断と閉塞でたまった澱を放出開放して、澱にとられそうな足を解放して介抱する手段。だから、covid-19の潮が引けばこのnoteも放置されてしまうかもしれない。

 数日前に職場でコロナウィルスの陽性感染者がでてしまった。知っている人の罹患は初めて。部署が違う僕自身が直接関わる人ではないから、僕自身は濃厚感染者ではない。が、会社という共有空間にウィルスが侵入してきたことには間違いない。
 報を受けて早速家庭内で自己隔離生活に入った。高齢の母へのコロナウィルスの脅威を軽減させるためだ。
 居間や共有空間へ行くのを必要最低限に抑えて、手を洗い、マスクをし、触るものにアルコール消毒し、とこまめに生活している。その生活もすでに1週間近くなろうとしていて、食事も自室で摂るようにしているが、閉塞緊張感にいささか疲れ始めているのも本当だ。食事が餌にならないようにとは思っているが、なんだか砂を噛んでいるようにも思えてしまう。

 濃厚感染者や感染者は無症状や軽症なら自宅やホテルで隔離されて、他者との直接面会を厳しく制限されていると聞く。
 誰の声を聞かぬ一日。
 映像はあっても四角く区切られた機械画面で、リアリティが削がれた面会。
 誰にも会わぬ一日。
 想像するだに恐ろしい。
 そういった一日が少しでも軽減されるような体制がとられているようにと願うばかりだ。

せきをしてもひとり(咳をしても一人)  尾崎放哉

 言わずと知れた自由律俳句で有名な放哉の句群のなかで、ずば抜けて有名な句。
 調べてみたら、(といっても、ネットでいくつかのものを読んだだけだが)、40年の彼の生涯のなかで最晩年に詠まれた句の一つだ。
 放蕩に生きたと称される彼だが、僕には自分に正直に生きたひとだったとしか思えない。

 言葉の彫刻であり、言葉による美の結晶を産み出す丹念な作業である俳句に憑りつかれてしまったのであろう。芸術は外において鑑賞する対象としては人生を豊かにしてくれるものだが、内においてその質を高めることに専心し始めるようになると作り手自体の「健全な」精神生活を蝕むようになる。芸術創作と「健全な」生活は極端を両サイドに載せているバーのようなものだ。何はなくとも、渡っていくので一苦労する綱渡りをしていく人生。この綱渡りに両端に重い重量がかかっているバーを持ったりすることは綱渡り自体を危うくさせる。

 僕には気になることがあるとそれに安易にのめりこんでしまう性質(くせ)がある。それがわかっているから、およそ芸事から距離を置くように心がけてきた。
 が、しかし、折からのコロナ禍の閉塞した生活のなかで、少なからず興味を持っていた俳句に手を染めてしまった。
 俳句の沼はどこまでも深く、俳句の山はどこまでも高い。すっかり魅了されてしまい、ストレス発散のために呑まなくて眠れなかった飲酒をぱたりとやめることができた。その意味では今のところ「健全な」生活を保ててはいると思う。何があっても句作のタネになってしまう俳句脳にすっかりなってしまったが、今のところ投句先の件数をしぼり自分に制限をかけているから、まだ「健全な」域でいられているのだろう。
 手段が目的に変わったとき、およそすべての事は破綻にむかう緒をつかむ。これは、僕が自分に常々言い聞かせていること。この自分の掟だけは守っていこうと思う。 

 あぁ、すっかり何を書こうとしていたのか忘れてしまった。
 そうだ、放哉の句だ。(汗)

 階下の母から食事を受け取り、孤食を済ませたとき、ふっと「ひとりだなぁ」と思う。咳こそないが、「ひとり」だなと思う。目的がわかっているから、手段である自己隔離の孤独とつきあうこともできている。しかし、これが長期間にわたっていったら、僕の心に大きな変容が起きる気がしている。

 重篤な病にあるのに放哉には傍に誰もいなかったのだろうか。いるにもかかわらず、その手を甘受せず孤独自体を作品にしようとする自らの性質(くせ)をどこか自嘲していたのではなかろうか。
 それとも、そばに誰かがいたとしても、病と苦と死は共有できない。この絶対の「ひとり」を句にしたものなのだろうか。

 世界一短い詩である俳句のなかでも、さらに短い詩である自由律俳句。
 削ぎ落しが極まった詩であるが故に、作者の核心に迫ることは難しい。
 だからこそ、百花繚乱に読みをできるのだが、詩の核心は何だったのか分からず終いの迷宮から出ることはできない。

 やばい迷宮に入ったなと思いつつ、ダンジョンにはなにがいるのだろうか、どこかに宝箱があるかもしれないと僕自身どこかでなんとなく楽しんでいる。

 コレラ船ひとり飯をごちそうさま   蝦夷野ごうがしゃ
 
 即吟お粗末😓…orz


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