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昭和後期から平成初期の呉服店事情

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本日のお題:昭和後期から平成初期の呉服店事情
呉服のきくや本店:https://www.kikuya.shop/

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■昭和後期から平成初期の呉服店事情

本日のお題は「昭和後期から平成初期の呉服店事情」です。昭和40年代にピークを迎えた呉服業界ではありますが、そこから生活様式の急激な変化をもろに受けてどんどんと市場が縮小していきました。特に昭和後期から平成初期にかけては激動したと言っても過言ではないぐらいの変化で、本日はそのあたりを少し詳しく書いていきたいと思います。

昭和40年代といえば、まだ着物が生活衣料として着用されていた時代です。人気マンガのサザエさんは昭和20年-40年代の時代設定で描かれているようですが(ただし、多少現代に合わせてガラケーやデジカメ、東京スカイツリーが出てくる場面もあるようです)、フネさんは毎日着物、サザエさんも少しおめかしして出かけるときに着物を着るシーンが出てきますね。

その当時、何もかも略令になりつつある現代と違い、カジュアルとフォーマルの境界線がはっきりとしていてフォーマルな場では着物を着ることも多かったでしょう。結婚式はもちろんのこと、多くの方は結納もしましたし、両家の挨拶の時にも(主に女性は)着物を着るのが一般的だったように思います。結納屋さんという商売があったのをご存知でしょうか?結納をするときに床の間に嫗と翁の人形(高砂人形)やら松竹梅の飾りなどを扱う商売で、今検索したら楽天で「結納屋さん.com」という店がありましたが、昔は街に一軒ぐらいはあったんですよ。今では全くリアル店舗では見かけなくなりましたね。

私の子供の頃は大安の日に家族でお出かけして高速道路を走ると必ず1台か2台程度は荷台に紅白の飾り付けをしたトラックとすれ違ったものです。今の若い方はご存知ないと思いますが、これは結婚の荷出しでこれから結婚する二人の新居に荷物を運ぶトラックなんですよ。ちなみにこのトラックは縁起を担いで決してバックをしてはなりませんので、ご祝儀袋をいくつか積んでおいて狭い道で対向車線から車が来た時にご祝儀袋を渡して後ろに下がってもらう、というのがお約束でした。結婚式を豪華にすることで有名だった愛知県のあたりでは、結婚式の荷物を見せるために荷台が透明のアクリル板になっているトラックもあったようです。

今では隣に住んでいる人の顔もよくわからない、という方も多い時代ですが、当時は隣近所のつながりは強く、ご近所さんの結婚式なんてその家だけではなく近所一帯の一大イベントでして、三軒隣のクマ公の次男坊は一体どんなお嫁さんをもらうんだ、なんて近所の噂話にもなるわけです。そりゃそうですよね、隣近所のつながりが深い集落で子供の頃に鼻水垂らしながらうちの子と遊んでた子のお嫁さんとして新しい人がその集落に入ってくるんです。当時は娯楽もそれほど多くないし、興味津々なんですよ。

どんなお嫁さんをもらうか、どんな家柄の娘さんか、判断するにはどんなお嫁入り道具を持ってきたのかを見るのが一番手っ取り早い。そこに紅白で飾られたトラックがやってきて新居に運び込まれるので、ご近所さんが見にきてお披露目会が始まるのです。婚礼家具はもちろん、タンスの中に入っている着物類やその他。話によるとタンスの中から全て着物を出して床に並べて見てもらったというようなこともあったようです。

今の時代の感覚ではプライバシーも何もあったもんじゃなく、ほぼ嫌がらせのようですが、当時はその集落みんな家族みたいなもので、そういうのも当たり前のように行われていたので娘さんを送り出す方も大変です。愛娘に恥をかかせないように、タンスに新しく仕立てた着物をいっぱい入れて持っていくというのが当然のように行われておりました。中には「そんなに何も持ってこなくてもいいよ、と言ったらほんとに何にも持ってこなかったわ」というような意地悪姑の話もちょこちょこ聞こえてきたり…。

とまあ今とは良くも悪くも全く違う昭和の時代のそういう風習が呉服の売り上げに大きく貢献していたのは間違いありません。私が呉服業界に入ったのは平成になってからですが、それでもまだ結婚式の時にはタンスに着物を目いっぱい入れて持っていくという風習が残っておりました。お母様が「着物を持っていかなくては恥ずかしい」という価値観の時代に結婚しておられますので、その価値観のまま娘さんに同じようにしてあげたい、となるのも自然ですね。

というわけで展示会の勧誘の外回りの時にお得意さんから「今度うちの娘が結婚することになって…」なんて聞くと「次の展示会の売り上げはこのお客様だけで100万…いや、お母様は留袖は持っていなかったんじゃないかな。それに婚約指輪(注)もお勧めしたら200万ぐらいにはいくかも」なんて色めき立ったものです。

注:当時勤務していた店は宝石も扱っており、展示会には必ず宝石が並べられていたのです。ちなみに大きな呉服問屋は減り続ける呉服部門の売上を補完するためか、宝石部門を持っている会社も多かったのでした。

ところが時代は次第に地味婚になり、結婚式もカジュアル思考になってまいりました。結納?なにそれおいしいの?みたいな話で、婚礼のお道具を家に運び込むときにお披露目なんてしようものなら娘さんが激怒する時代に変化していきました。このころになるとお母様自身も着物を持って行かなかったか、持っていってもタンスの肥やしで全く着なかった、という方も多く、当然娘さんに着物を持たせるという発想自体ありません。生活衣類は完全に洋服に変わり、着物は普段の生活からどんどん乖離し、節目のフォーマルなイベントにのみ着られるようになりました。

昭和40年代あたりは授業参観も一大イベントでした。他の地域はわかりませんが、私の住んでいる大阪では、普段は洋服のお母さんも小紋を着てその上に黒の一つ紋の羽織を着るのが定番の装いで、口の悪い人は「カラスの軍団」なんて言っていたのがなんとなく記憶に残っています。しかし昭和後期になるとそういったイベントでも着物を着る方が少なくなっていきました。この頃に完全に生活様式が変化してしまったのです。

現在当店がある商店街にも30-40年前は数件呉服店があったように思いますが、私がこの呉服業界に入った頃にはもうほとんどなくなっておりました。ウールなどの生活呉服は洋服に取って代わるようになり、それについていけなかった呉服店はどうしたかというと、洋服を扱い始めるんですよね。

時代は呉服店を取り残してどんどん流れていき、着物を売っていてもお客様が来られない。だったらどうするかというと大体の店は洋服を売り始めるんですよ。同じ繊維に関するものですから仕入先も被っている場合が多いので店頭に洋服を陳列して○○呉服店という名前の洋服店になっていくのです。そうするとますます着物が売れなくなり、着物売り場はどんどん店の隅の方に追いやられてすっかり洋服店に変化してしまい、たまに来られる昔からのお客様相手に在庫品を販売する程度の「呉服店」になってしまいます。

SNS等では「呉服店は売上が少なくなったから1人から多くの売り上げが取れるようにフォーマルに移行した」なんて意見を聞くことがありますが、そういう方は若い方なのか、それとも全く当時は着物に興味がなく時代の変化をご存じないのか、いずれにしても全く現場を知らない方でして、現実は呉服店から洋服店に変貌した結果、事実上呉服店が消滅したのです。めちゃくちゃ言い方は悪いですが、生活呉服を売る力がなかった店が高級呉服を店頭に置いて売れるかというとそれは無理な話です。今まで軽自動車を売っていた店が、売上が落ちてきたからと言ってレクサスを置いて売れるか、というと売れないですよね。

私は平成に入ってすぐにこの業界に入ったのですが、当時呉服店の小さな組合がありまして、月1回会費の集金に十数店舗回っておりましたが、まともに呉服店を続けていたのは1-2店舗、半分以上は昔は呉服店だった洋服店、3-4店舗はもうすでに店は閉めて看板は下ろしていましたが馴染みのお客様だけ着物を販売する形で細々と続けている店、という状況でして生活呉服から高級呉服にシフトチェンジして生き残ったなんて話は聞いたことがありません。

ネットを見ると呉服業界のことを色々と揶揄するような記事を目にすることがありますが、私が今まで見てきた限りではまともな店はそれなりに努力をしてきたと思うんですよ。しかし、昭和後期から平成にかけての急激な生活様式の変化は、大きな組合も政治的な力もない呉服業界を飲み込んでしまいました。なかでも平成の初めあたりはひどいものでして、老舗の呉服問屋がバタバタと毎月のように倒産したこともありました。

これからどうなるんでしょうね。私はちょっとマイナス思考なので、どうしても悲観的な見通しになってしまいますが、生きているうちは着物ファンのために情報を発信して、着物ってこんなに楽しいものなんですよ!と広くアピールしていきたいと思っています。その後は年金で生活はできるから、儲けることは考えずに趣味のように着物販売して、ネットでは着物のことなんでも知っている妖怪ジジイになって、今まで着物で生活させてもらってきた恩返しをしていきたいなぁ、なんて思ってます笑。

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発行:新品とリサイクル着物 呉服のきくや
住所:大阪市大正区泉尾3-15-4
電話:06-6551-8022

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