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天平の三纈ー染めの起源は絞りからー

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本日のお題:天平の三纈ー染めの起源は絞りからー
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一昨日の朝、毎月28日の仕入れに行く前にベランダの窓を開けたらすごく涼しくなっていました。そういやそろそろ8月も終わりなんですね。

リサイクル着物屋としてはできることなら売れない夏は早く過ぎて涼しくなって欲しいところではありますが、夏の終わりというのもなんとなく寂しいものですなぁ…。
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■天平の三纈ー染めの起源は絞りからー

今週のお題は「天平の三纈ー染めの起源は絞りからー」です。めちゃくちゃ難しい漢字を使ってますが、私も読めはするけれど自分で書けと言われたらかけません笑。「てんぴょうのさんけち」と読みまして、古代の染めの技法の総称です…というか、今でも現役で使われている染めの技法です。

「纈(けち)」というのは何らかの方法で染料を堰きとめて染め分けるということを意味する漢字、天平時代とは、Wikipediaによりますと

「天平(てんぴょう)は、日本の元号の一つ。神亀の後、天平感宝の前。729年から749年までの期間を指す。この時代の天皇は聖武天皇。奈良時代の最盛期にあたるため、東大寺、唐招提寺などに残るその時代の文化を天平文化と呼ぶことが多い。」

とされております。つまり、古く奈良時代に染めの技法として用いられていた三つの絞りの方法を「天平の三纈」と呼んでいます。この三纈とは

纐纈(こうけち)…絞り染め
夾纈(きょうけち)…板締め
臈纈(ろうけち)…ロウケツ染め

これらを指します。それではこれらを一つずつ解説していきます。

■纐纈(こうけち)

纐纈の「纐」は糸などで生地をくくるという意味の漢字でいわゆる「絞り染め」です。鹿の子絞りや縫締め絞りなどは纐纈の一種ですね。大島紬や結城紬なども木綿糸で絹布をくくって防染して染め分けておりますので広義では纐纈の一種と言えるかもしれません。木綿糸で括るのは、木綿という生地は濡れると絞まるという特性がありますので、職人さんが絞って染料に浸すとその水分でさらに締まるため、防染に適しているのです。ただしより細い糸で細かく防染したい場合には絹糸を使用することがありますが、これはかなり上級の職人さんらしいです。

■夾纈(きょうけち)

板に生地を挟んで防染するという方法です。柄の形の板で挟んで染めるのが昔の一般的な手法でしたが、現代は桶絞りがこの夾纈の一種と言えるでしょう。染めない部分を桶の中、染める部分は桶の外にだして蓋をしてドボンと染料に漬けて染める方法です。有松の雪花絞りなどもこの夾纈の一種といえるかもしれません(間違ってたらすいません汗)。

■臈纈(ろうけち)

いわゆるロウケツ染です。染めたくない部分にロウで防染をしてそこに染料が入り込まないようにする技法です。具体的に書きますと柄を彫った木版に蜜蝋を溶かしたものを木版につけて、それを布に押し付けて防染、後から染めるとその郎のついた部分だけ白く染まらないという方法です。

ロウを使うという特性上、わずかにひび割れのような柄が発生するのが味とされています。これは日本だけではなく古くから東南アジアや中国で使用されていた手法です。今から20年ほど前、インドネシアに行った時に更紗工場を見に行ったんですが、更紗模様の型にロウをつけて生地に押し付けて手作業でテーブルクロスのような生地に染めていました。ちなみにその工場の中に「美しいキモノ」がの更紗特集の号が置かれていたのはちょっとびっくりしました笑。

古代の衣服は概ねこの三つの技法を組み合わせて染められておりました。私は実際には見たことがありませんが、聞くところによると正倉院にもこれらの技法を使用した宝物が多数存在しているようです。

大昔、奈良時代から江戸時代までは「布を染め分ける」という技法はこれらの三つの技法しかなかったので単純な柄しか作れなかった…と思うなかれ。先ほど少し書きましたように、大島紬や結城紬など先染の紬の着物の絣は広義では絞り染めの一種とも考えられます。

絞ったり挟んだりする方法では基本的にドボンと染料に浸して染めるので確かに現代のような複雑な柄を表現することはできません。布の状態になってしまうとそこに染めると糸と糸の間に染料が入り込んで滲んでしまうので、それなら糸の段階で絞ってそれを後から組み合わせて綺麗な柄にしてしまおう、と考えたのが大島や結城など先染の織物だったのではないでしょうか。

大島紬や結城紬の絣をくくる作業をご覧になったことはございますでしょうか。大島紬は締機(しめばた)と言われる道具で絞り、結城紬は手作業で絹糸を木綿糸(注)でくくって防染して絣を作ります。どちらも糸でくくって防染をするので広義では纐纈の一種といえるでしょう。

普通で考えると複雑な模様は作れないと考えがちではありますが、人間のおしゃれへの欲求はとどまることを知らず、糸の段階で絞って糸を染め分けてそれを組み合わせて複雑な模様を作るってすごいと思いませんか?職人さんたちが時の権力者に「いいものを作らないとぶっ殺すぞ」といわれながら作ったのか「権力者に少しでも喜んでもらえるものを作りたい」と思いながら作ったのかはわかりませんが、こういうことを思いついた古代の人はすごいと思うのです。

そしてこの技法は奈良時代に始まり江戸時代まで続きますが、この後皆さんご存知のスーパースター、京都知恩院の裏で扇の絵を描いていた職人、宮崎友禅斉が友禅技法を発明することによって表現方法が一気に広がります。今までの方法とは違い、生地の上に糊で堤防を作ってその中に色を乗せていくという画期的な手法でした。

なにせ今まで織り上げてから染めると大雑把な柄しか作れなかったり、糸の段階で染めて緻密に絣を組み合わせるという非常に手間のかかる方法しかなかったものが、友禅技法によって後染で緻密な柄が描けるようになったのです。今まで基本単色だった衣服が様々な色を使った鮮やかなものになったんですから当時としては画期的だったでしょうね。

この宮崎友禅斉についてはちょっと面白い話もあるのですが今回のお題とはちょっと違うのと、まだ今の段階では資料不足なのでまた次の機会に。今日はちょっと短めですがこれでおしまい。来週も是非お読みくださいませ。

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