ゲラが届いた①

 書き溜めたエッセイを世の中に送り出してみたいと思ったのは、わたしのように昭和四十年代から五十年代にかけて子ども時代を過ごした人と「共有できる空気」を探し続けているからだ。それは言い換えれば、ふるさとという地方に想いを馳せている都会暮らしの人であったり、地方で暮らしながら若き時期の都会生活を思う人たちが「見えないけれど体感しているもの」だ。
 編集を引き受けてくれた人は、自身が文筆家で「書く」世界をこよなく愛する人だった。その人はzoomでの出会いをきっかけにSNSで繋がったのだから今の時代、友だちや知り合いというご縁は本当に運命を変える。
 なぜネット上ではなく「本」にこだわったかも含めて、自分の内側から消えない昭和を遺したいー その衝動で編集をお願いしてしまったのは令和3年の秋だった。
 彼女はわたしのプロフィールを見て、山形に文字通り飛んで来てくれた。二泊分の時間、何を語り合ったのか、わたしたちは里山を歩き、好きな木に触れ、季節の野菜を食べ、漬け込んだ魚を食べて、田舎暮らしの「子ども時代の話」と「今の暮らし」を一緒に味わってくれた。
 「今はまだもう少し書きなさい、思い残すことがないように」 
 つたないエッセイをどう展開していけば世に出るのか、彼女はいくつかの出版社を思い浮かべ、奔走しながらもその間、わたしに書き続けるようにアドバイスしてくれた。そんな今年の冬、大きな雪を四回越えながら7編のエッセイを追加した。

 今日、出版社からゲラというものが届いた。この活字、この大きさ、これまで書いたときのものとは違う肌触りをまとってそれは届いた。七月中旬の発売を予定しましょうと書かれていた。わたしの内側でズドーンと大太鼓が鳴った。

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