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デイサービスの理想とは?

「あなたの理想の介護は何ですか?」

 ゲーテです。
 思い出しますね、僕が熱海の介護で働きながら看護学校を目指していた時のことです。
 とある看護学校を受験した時の面接でこんな事を聞かれました。
 介護の仕事をしてて看護師になりたくなって看護学校に行く人は多い。そんな人らを潰しにかかる、あるいは評価を上げるような質問ですね。

 例えば、「あなたの考える理想のサッカーはなんですか?」と聞かれた時に、サッカーを知らない人は答えられません。理想的なサッカーの戦術や模範的なサッカー選手などを知らないと答えられない。
 逆に、サッカーへの理解が深ければ細かく答えられる。

 「あなたの考える理想の介護はなんですか?」の問いに答えられないのは介護への理解が浅いのかもしれない。サッカー選手が理想のサッカーについて答えられないのはとても問題。

 その時は咄嗟に「熱海の介護に所属しており、熱海の介護では『ありがとう』を集める。感謝や幸せで『ありがとう』と言われることを理念にしているので、介護の理想は感謝されることだ」みたいな感じの答えをしたんですよね。途中で自分で何言ってるか分からなくなった。途中で自信がなくなったのは覚えてます。

 で、この看護学校の受験に落ちたんです。よく分からない事になったが、この答えが大きく間違ってるとは思わないし、筆記や他の原因も十分ある。男子枠(男性の合格制限)の可能性もある。
 その日から10年以上経ちますが、なかなか忘れられないですね。

理想の介護とは?

 今答えるとしたら「三方よし。売り手よし、買い手よし、世間よしの持続可能な介護」だと思う。

1. **売り手(提供者)よし**:
 介護の提供者や職員が適切な報酬や待遇を受け取り、自身の専門性や技術を高め、職場環境で満足していること。
 ・介護の提供者が「人を幸福にする喜び」や自身の成長により、提供者自身が幸福になること。
 ・持続可能な介護を提供できること。

2. **受け手よし**:
 介護を必要とする高齢者や障害者などが、適切なサービスを受け取り、その結果として生活の質が向上し、心身ともに安心して生活できること。
 ・介護を受けた人が幸福になること。

3. **社会・地域よし**:
 地域社会やコミュニティ全体が、介護の問題や必要性を理解し、関わりを持つことで地域全体の連携や協力が深まること。
 ・地域社会、日本国全体が介護により幸福になること。

 すべての関係者が満足し、持続可能な介護を提供するためのバランスを取ることが非常に重要です。

 と、上はチャットGPTで平均化して出てきた答え。下は僕の考え。ゲーテだから。
 チャットGTPが「幸福」と言ってないのが感慨深い。言ってることは全く正論だし、持続可能な介護の提供ってのが良いですよね。

理想の介護 売り手よし

 介護の仕事をするにあたって人を幸福する喜びがないと上手く行かない事がある。身近な例を挙げると、クリスマスプレゼントかなと考えます。

 人を幸福にする喜びというとクリスマスプレゼントがあります。
  ①クリスマスプレゼントを考える楽しみと喜び。
  ②クリスマスプレゼントを贈られて喜んでいる人をみる楽しみと喜び。
  ③クリスマスプレゼントを贈り、誰かを幸せにしたという楽しみと喜び。

 こういった人を幸福にする喜びがないと、介護という仕事は上手く行かない事がある。クリスマスプレゼントを介護に代入します。

  ①介護を考える楽しみと喜び。
  ②介護を贈られて喜んでいる人をみる楽しみと喜び。
  ③介護を贈り、誰かを幸せにしたという楽しみと喜び。

 クリスマスプレゼントと介護はとても似ている。

長時間労働は幸福だが持続可能じゃない

 何時間も介護の仕事ができることは幸福なことです。
 朝から晩までずーっと1日中サッカーをする。これを幸福だと思う人がいます。「学生時代はずーっとサッカーしてたよ!楽しかったなー」と言っていた友人がいましたね。
 サッカーが心から好きな人じゃないと1日中サッカーをできません。1日中サッカーをできるような人でないと越えられない領域があります。僕には無理だ。

 朝から晩までずーっと介護をする。僕はこれを幸福だと思う。
 介護が心から好きな人じゃないと越えられない領域があります。その領域にたどり着いたから何時間も働き続けることができるんです。
 だから領域に達している人には長時間労働は幸福な事だと思う。

 しかし、学生の頃は一日中サッカーをしてても問題なくても、大人になると難しい。サッカーやサッカー関連の仕事にできる人はごく少数。
 一日中介護をしていると問題になる事がある。持続可能じゃないから推奨される事だとは思わない。

一歩上の領域へ 聖ニコラウス

 多くの宗教や哲学は、他者を尊重し、愛や善意を持って接することの重要性を教えています。これは、他者の幸福を追求することが、自身の善行や霊的な成長に繋がるという考えに基づいています。
 クリスマスプレゼントを最初に行ったのは聖ニコラウスという人物です。これが訛ってサンタクロースと呼ばれます。

 「夜中に貧しい女の子の家に入って、靴下の中にプレゼントをする」という伝説からクリスマスプレゼントをする慣習が産まれました。

 善行をしても誰からも知られる事なく、自分の名誉や利益を求めずに他者のために行った善行。これはとても美しい。
 夜中にプレゼントを置いても、誰からのプレゼントか分からない。隠れた善行。他にも偉大な活躍をしていますが、さすがはセイント(聖人)と称される偉人ですね。
 「俺は貧しい女の子にプレゼントしたんだぜ!どうだ!かっこいいだろ!」とか自慢して回ったりすると、とてもかっこ悪い。そんな人は聖人の領域には行けないかもしれない。
 他人に評価をされないと善行ができないような人は善行を続けられない。または褒められたくなって承認欲求系の奇行やトラブルで自滅する。

 介護も同じです。善行を介護に代入する。
 介護をしても誰からも知られる事なく、自分の名誉や利益を求めずに他者のために行う介護。これはとても美しい。
 自分の行った介護(善行)を自慢するような人が越えられない領域がある。自分の行った介護(善行)を否定されたり、評価されないと承認欲求系のトラブルを起こすような人では辿り着けない領域がある。

 「介護(善行)は評価される事に価値がない」と思っている人と「介護(善行)は評価されないと気が済まない」人とで壁や軋轢がある。
 これは「他人に評価をされないと介護(善行)ができない」ような人なので、限界があったりする。あるいは承認欲求系の奇行やトラブルで自滅したり、会社から去る。

 この人たちが領域に行くにはどうしたら良いんだろうと思うが、なかなか難しい。特に領域に行ったり戻ったりする人は扱いが難しい。

持続可能な介護

 しかしながら、優秀な人だけで介護事業はできない。今一つな職員や経験の浅い職員もいる。性格的に介護に向いてない人もいる。
 プロサッカーチームなら強い選手を入れて、弱い選手に戦力外告知をできるが、日本の介護事業ではできない。
 様々な実力の今いるメンバーで仕事を続けないといけない。10年以上前から面接に来た人全員採用、って状態ですから選別はできません。

 持続的な介護というのを考えれば実力の有無はどうでも良い。労働集約型の事業なので誰がやっても同じ結果になる事を考えるべきです。
 人を幸福にする喜びがあってもなくても同じ結果になることが望ましい。
 そんなジレンマがある。

まとめ

 僕の思う理想は三方よしの持続可能な介護だと考えてます。

 このデイサービスシリーズは介護関係者しか見てないっぽい。そもそもが業界人以外の人がデイサービスについて調べないかもしれない。あるいは業界人ではないが、幼稚園をタグに入れてるからそれで見てしまったパターンか。
 今回は業界人向けのディープな内容となってしまいました。サッカーの理想がーとか、クリスマスプレゼントなど汎用的なことも書いたがそれでも厳しいと思う。

 しかし、介護という業界がどんな業界なのか、少しでも分かっていただけると幸いです。
 ではまた!じゅわっち!

聖ニコラウス
https://www.tamagawa.ac.jp/museum/archive/2004/154.html#:~:text=%E9%A4%A8%E8%94%B5%E8%B3%87%E6%96%99%E3%81%AE%E7%B4%B9%E4%BB%8B%202004%E5%B9%B4&text=%E3%81%BB%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%82%82%E3%80%81%E5%BD%BC%E3%81%AE,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

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