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ワンマンライブだってさぁ〜!②(最後)

もうだいぶ、ワンマンの記憶は薄れて来ている。
自分でも何故このタイミングなのか、そういう風に感じる。多分、年末まで引っ張ると面倒臭いからだ。

「面倒くさい」とは何かと考えた。
何もかも基本面倒くさい。面倒くさくないものを逆に考えた時に本当に何もなかった。
会話だってそう。人の感情を遮って話す訳だから、なんて思われるか分からないし、怖い。

ギターの練習だってそう。ちょっとでも触ろうとしても全く上手くならないし、これでしっかりやって本番ミスってたら意味ないんじゃないかって思うと怖い。

部屋の片付けだってそう。どんなに片付けたって実家暮らしだから「こんな部屋汚くして!」といくら綺麗にしたつもりでも、母親に怒られたり、信じられないスピードで服を乱す弟の存在すら、「え?なんでそれ理解出来ないの?」って思ってしまい、同じ人間だとはわからないくらい怖いと思う。

起きてもない恐怖を感じると基本面倒臭いのである。怖い事は普通にわざわざやらないから。

だから全ての面倒くさいに感謝とリスペクトを持つ事にした。面倒臭いには熱量が隠れていたり、愛情の裏返しだったりする様な気がする。
今の怠惰な自分のままで良いから、必ずその日中にやれと自分に言い聞かせて、最近生きてきた。

この思いを言葉にする事すら、簡単だし非常に明快な答えまであるというのにこの答えをみんなの目に晒すのが怖いのだ。
こう考える様になってから、怖いけど出会ったみんなが好きだから、稚拙な文章だけど晒していく。

恥を晒して生きて行こうと思う。いずれ凄い所に行ける事を信じて。

など基本考えている。

自分は頭で考えうる材料の中に、"自分の経験感"、"自分の直感への揺るぎない自信"を入れている為に「ぶっ飛んでいる」、「何を言っているのかわからない」

とよく言われる。

"あくまで自分の立場からなるべく客観的に見た主観"(客観視)で、その材料を使った行動や発言は全てプラスの結果として自分の手元や大きな経験として残っている。

この日だってそうだった、MCもあまり考えていかなかった。ただもう答えはそこの現場にあって、100%GOENDzなら、GOENDならやり遂げてくれるというみんなの持っている答えがあったから出来たものだ。

ただみんなが存在して欲しいGOENDとしてのMCや存在にはなれていたと思うので、「もっとこうしたかったなあ」とかはあるが100点ではある。

背後のフラッグの文字作成や、セトリに至るまで全くもって自身の思う通りにはいかなかった。
至らなくてもその未完成を響かせる、現場のGOENDzとしてみてれば大正解の形だったと思う。

"そのままで良いんだぜ"って事は伝えられたのかなぁってなった。

本当にあの日、来てくれた人には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。ご恩に背く事の無いように日々精進していきます。

1人なら出来ていない、1人だったらもしかしたら立てなかった場所や空間だったから、有難うがいっぱいです。

ありがとう。これからもしっかり伝わる様に事を起こしていきます。

さあ、年末が近いです。
今年の正解を僕が湘南bitに提出しに行くので、みんなで騒ぎましょう。

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