噂の成り立ちについて

噂について

噂は陰口や悪口などを含めて噂というらしい
噂にも法則というものがあり、曖昧さ、日常的に重要なこと、噂の質である
そこの根底にあるのが、不安や知的好奇心などである
らしい
そこから、事実じゃないようであれば、認知的な矛盾が生じ、そのストレスから身を守るために人間は正当化するらしい
そして、本人の良し悪しなどは関係なく、ネガティブなところを必死に探そうとする
そして、誤った情報や本当のことなどを何回も聞いているうちに本当のことだと思うらしい
それを総合的に判断して、この人はこういう人なんだなと決めつけることをする
言えば、レッテルを貼って、そのレッテルのまま言われた本人もその行為をしてしまうらしい


じゃ、どんな噂が流れやすいのか?

人間はネガティブな情報をよく集めようとするバイアスがあり、ネガティブな情報をうのみにする
例えば、コロナとオイルショックの時に起こった紙ペーパーなどの製品が一気に売れていき、それがなくなるかもしれないという噂が立った・・・・
それは、そのうわさが日常的に重要であり、でもあんまりわからないけど、不安になる感情が働いたからであると専門書では書いてあったけどね
実際はどうなんだろうか?
けど、専門書には恐怖流言や善意の行為、敵意ある行為の三つで確かめた結果、恐怖流言が一般的にはやっていくらしい
これによると、日常に突如現れた不安要素をもっと知りたいと思う知的好奇心も動き、そして、その集団内のきずなが揺らぐときにそれを守るために噂は拡大していく


それじゃ、言った人は悪いじゃないか

それの答えは何ともいないところがあって、確かに悪いかもしれないがそれは状況把握のみ、実際その人は善意で伝えたのかもしれないし、ただ勘違いしていただけかもしれないし、それはわからないからである
人はうわさを作ることによって、他者とコミュニケーションをとり図ろうとする
それはごく自然なことであり、人間にとって必要な部分であり、人間の線本能という部位が動いている証拠であるから、絶対に悪いなどとは白黒つけられない
ただし、それで傷つく人がいるのであれば、法的手段や親に相談してみてもいいかもしれない
いい親だった場合


学歴はそんなに重要じゃない

学歴はただの紙切れであり、肩書である
でも、学歴はその人がピンチになったり、その人が助けを求めているときにはたまには必要になる証拠でもある
でも、絶対ではない
学歴で傷つくのであれば、新たに自分なりの学歴を作ればいいのだと僕は思う
もし、噂やいじめをされて苦しい場合はそういう人を支援しているところに行って、代わりに解決してもらうなどの方法がある
学歴や写真、携帯のスクショはたまに証拠として刻まれる
証拠はそう集めればいいのさ


まとめ

学歴で気になるのであれば、それを無視すればいいし、学歴でいじめや噂が立った場合は法的手段に打って出るのも手であるが、絶対に幸せになるかというとそうでもない
逆に噂に油を注いだり、火をつけてしまう可能性があるからだ
そういう時は、一歩立ち止まって見て冷静に考えて、客観的に見るといいと思う
噂は時とともに消えるらしいので、それを待つといいと思うよ
もし、いじめなどにあっている場合は、SOSを出してみて、無理な時は法的手段に移ろう
メディアは最終手段に残しておくこと
でも、これはあくまでも一時的処置であり、さらにエスカレートする可能性もあることを考えておこう
人間にはネガティブな情報だけに目を向けてしまう認知の癖があるので、気を付けなければならない
もし、レッテルを貼られている人がいた場合は本人にしっかり確認し、もし行き違いが発生した場合は自分で解決しようとするのではなくて、第三者に相談するの手だが、噂が広まってしまうと覆すには時間がかかるうえ面倒である
絶対にそうならないように、本人の心をしっかり聞いて、冷静になり、感情的にならずに、反応もせずに客観的になることが重要である
それを忘れずに過ごしていくよう僕も含めて心掛けたいところである
積極的に、ポジティブ情報を入れるのも大事な時がたまにあるってこと



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