cakesの「「りこんのこども」の、母」-連載予定の「序章」を読んで

 最近、娘が二人の幼子を連れて離婚したこともあり、タイトルに引き寄せられるように「序章」(参照)を読んだ。が、何だかわけの分からない違和感が心に残って気になる。何だろう、これは。子供に関して、親としての私がなんだか「それは違うだろう」みたいな、凄く否定的な気持ちである。かと言って、特定できない何か。何だろう。

 編集の添え書きを再読してみた。そこにこうある。

大人の事情で語られることは多いけれど、親の離婚を体験した子供たちは、何を考えているのでしょうか。

 これが連載のきっかけとなったらしい。ここが、どうも私の反応した部分みたいだ。なんと、初っ端から引きずったのか。

 この引っ掛かりはどこから来るかというと、離婚とは、親の事情であり、子供から親がいなくなるわけでもない。なのになぜ、ことさらに子供が何を考えているのかなど聞く必要があるんだ?という疑問と、焦点化に違和感を持ったようだ。

 離婚の事情は人によっていろいろだと思うが、その事情によって、子供に影響を及ぼすこともそれなりにあるだろう。この連載は、インタビューによってそれを離婚者から話を聞き、その子どもたちが親からどんな影響を受け、何を考えているのかを聞き出して、それをどうしようというものなんだろう?それを知りたい理由が知りたい。というか、そんなところに焦点を当てて子供の気持ちを聞き出したところで何になるというのだろう。親子の了解を取った上でのインタビューということらしいが、子供の感性は単純で、大人の複雑さとはわけが違う。だから、大人の感性で質問すると余計なことまで考えさせたり、下手に引き出しかねない。しかも親の問題だ。その領域は、二人が、離婚後も「親」として守るべき部分で、離婚した一人の男、一人の女になるわけではない。多分、この認識が編集者と私が違うんじゃないだろうか。再婚してもしなくても、その子供にとっては唯一の親でしかない。その思いが良し悪しに関係なく子供の心に存在するのが親子と言うものだろう。

 「子供が親を選べない」ことに、子供の苦しみがある。その苦しみの裏側は「もっと愛してよ」という子供の親への切望が潜んでいる。悲しみだ。親が離婚しようがしまいが、子供がこの悲しみを持たずして生きていかれない事情だってある。親と離れ離れになってもその苦しみからは逃げられない。良し悪し関係なく、子供は親への希望を一生抱えて苦しみながら生きることになる。特に、子供が親になるとそれがいつも戻ってくる。そこに他人が焦点化して論考したりするのって、趣味の悪いことするもんじゃねぇと言いたい。

 そんな内容にならないことを祈る。

 

 

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