もやもやしているもの(2)

 末息子の引っ越しの手伝いが終わり、諏訪に戻ると風邪で具合が悪かった。疲れも重なったのか、非常に辛い症状だった。重ねて、注文を頂いていたパンの追い込みがあり、時間に余裕もなかった。

 「もやもや」の件だが、忙しくて体もしんどい時は、気が重くなる事も忘れてしまうというか、過ぎ去ったことを穿り返すのが面倒くさくなってしまうのもあって、あまり考えなかった。が、これはやはり書いておこうと思い直した。

 娘の離婚問題と末息子の今までの同居人との人間関係の何が同じに見えるのか?究極は、その問いが私のどんな問題だというのか。この部分がまだはっきりしない。書きながら徐々にはっきりしてくることなのか?娘の件では、人が「自分」を捨ててしまうということで他者との信頼関係がどのように破壊されてしまうか、それが少し見えてきた。そこから息子の問題で考えを進めるよりも、息子の問題を単独でまずは考えてみようと思う。

 突然、息子から連絡があり、電話で良いからゆっくり話ができないかと言うのである。こちらは娘の離婚問題などが片付くところであり、その状況を息子に先に伝えたところ、結論から言うと、息子の同居人との離別も同じようなものだと言う。つまり、金銭問題が原因だった。

 どういう約束で同居を始めたか、詳しい内容までは知らなかったが、今年の春先、息子の契約しているマンションの家賃の保証をする会社から「緊急連絡先」となっている私のところに、息子と連絡が取れないか?と、問い合わせがあった。変なところから問い合わせがあるものだと嫌な気がしたが、週に一度、三回ほど同じ問い合わせがあったため、やむを得ず、勤め先の電話番号を教え、直に連絡して欲しいと伝えた。というのも、私からのメールや電話にも殆ど出ないためである。この理由も後にわかった。

 その後、この会社からの問い合わせがなくなったため、問題解決したと思っていた。息子の金銭問題かと思っていたが、連絡のないのは良い知らせとばかりに思い込みたかった。だが、そうではなかった。

 今回、息子から連絡が来て始めて知ったのが、家賃支払いを同居する女性に頼んでいたらしいが、三ヶ月分の支払いが滞ったため、業社からの催促の電話だったそうだ。息子も職場に連絡が来てから始めてそのことを知り、怒りと驚きでショックを受けたそうだ。

 これだけならまだしも、私には別の意味で思うことがあった。それは、息子が中学の頃、私の財布からこっそりお金を抜いたことを思い出していた。

 何度もなかったと思うが、息子の持ち物が、与えている金銭とは不釣り合いなことから発覚したことだった。その時、割りと平然とした態度に腹がたった私だったが、悪びれもしない息子の態度の理由は、共犯者がいたからだった。その時は追求しなかったが、長男が弟に盗みをやらせて、二人で山分けしたんだと思う。なぜそう思うかだが、寄宿生活していた頃、長男よりも三つ年上の同じ寄宿生数名が、長男に駄菓子屋の万引きをさせたからだった。あれは、小学校一年で、入学したばかりだった。

 寄宿生活でハブにならないために、子供にも知恵が必要だ。自分が誰をボスに持つのが有利になるか、それを見分けた時、そのグルーブのボスの命令に従うことで仲間入りできるような子供社会の吹き溜まりのようなことだが、これが悪の道への分かれ道のようなものだろう。このような事を経験して初めて、どんな社会を望むのか、「自分」を形成する初歩段階でのハードルのようなものだろうか。大人に叱られて「悪」を学習する段階でもある。

 長男は自分がやられた経験から、末息子を使ってこれを試したのかもしれないと感じたが、これを追求しなかった理由は、兄弟の関係をしばらく見守りたかったからだった。

 話を戻すと、末息子から長いメールが届いた。そこには、上記のとおり、母親のお金をくすめた当時のことを恥じ、私に返済しきれていない借金を必ず返すからと言ってきた。何を突然にと思ったが、同居人にお金を使い込まれた腹立たしい思いを母親に自分がやったことで、その痛みが自分に返ってきて深く反省したようだった。もう昔のことだが、その時、お金を返せと言われたわけでもなかった自分が、今は、同居人から死ぬ前に必ず返せと思っていることなど、矛盾だらけの自分も見えたようだった。「一生懸命働いた30万円、返せ」と、相手に言いたくなると同時に、「そのお金を母親にお前は返せるのか?」と、問われ、この苦しみを取り除くには母親にまず返済することだと思ったそうだ。ちなみに私が貸したのは、自動車免許を取得するための費用だった。このお金を貸した後、同居する先に引っ越し、やがてこの金銭問題に取りつかれたため、そのお金を返すどころの話じゃなくなったのも確かだが、気の毒といえば気の毒。

 この一連の話が片付き、とにかく立て直すためには会社の寮に入って生活費を抑えた分で返金する事になった。

 で、何が気がかりか?娘の離婚と何がリンクするのか?そこだ。

 娘は「自分」を見失ったような相手から裏切りを受けた時点で、捨てられたも同然のようなものだった。これは痛々しさが残るし、罪もない娘が相手を恨むこともなくこれから自立していかねばならない。幸いな事に子供がそのエネルギーにもなるだろう。息子には、どう思うか。彼も相手から裏切りを受けた被害者だが、娘のように庇う気持ちよりも、同居人を裏切り者として切り捨ててしまうような別れ方が本当に良いのかどうか、疑問視している。今は何かを判断する時期ではないかもしれない。ここがもやもやしている。

 人の誤ちを切り捨てる息子に娘の離婚の状態を説明し、「結婚して子供でもいたら、この件で奥さんを切り捨てて良いものかどうか疑問に思う」と話した。もしかしたら、相手を許すことで、子供から母親を取り上げずに済むことじゃないかと思ったからだ。それは娘にも同じことが言えるのだが、娘の離婚は仕方がなかった事として私の中で咀嚼してしまった。父親といえるような欠片もない男と映っているのもその理由だが、離婚を切り出されても何の抵抗もなく応じた様子から、継続する理由すらなかったのかもしれない。これはまた別の話でもある。

 書いてみて、私の中の矛盾点が一致した。

 人を赦すというのは非常にエネルギーのいること。大人として、親として生きる以上、超えてはいけない、捨ててしまってはいけない領域のことがあって、それから逃げるのは、「自分」を捨てることになるのだということを覚悟しなくては逃げきれない。人を赦した分だけ「自分」でいられるということじゃないだろうか。また、赦せなかった人を赦せるようになるチャンスも残っているということだろう。

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