「竹田の子守唄」になってきたなあ、なんか

 孫のお泊りが三日目になる。初日の大泣きよりは軽くなってきて、泣く時間も短くなっては来ているが、夕方になると少しずつテンションが下がっていき、寝る時間が近づくと感じる何かに促されるのか、ずっと悲しくなってくるようだ。

 初日のドタバタで想い出しもしなかったが、夕方しくしく鳴き始める孫を見ながら懐かしい昔の光景を思い出した。それは正に「竹田の子守唄」だった。

 8人兄弟の真ん中に生まれた私の母の一番末の弟宅に、第二子が誕生するという時だった。私はその頃、小学校高学年だった。11歳位だったように記憶しているが、その日常に三歳児が現れた。私には突然のことのように思えたけど、叔父の家のお嫁さんがお産をするというので、上の子を母が預かったのだった。昔から小さい子供の面倒を見るのが好きで、近所の遊び仲間にも必ず小さい子が混ざっていて、自然の流れで、その子の子守役が私だったこともあり、幼い子供の扱いは手慣れたものだった。

 学校から帰宅するとその従姉妹を連れて、いつも遊んでいた神社の境内に行く。誰かがいる時もあればいない時もあり、遊び相手の期待が持てた。私は従姉妹をその遊びに参加させようと、手を引きながら缶けりの鬼をやったり、馬乗りができないというと、抱っこして乗る気分を味わわせ、嬉しそうな顔を見るのが楽しかったのを覚えている。が、家に帰る頃になるとしくしく泣き出すのである。泣きながら連れ帰ると母に私のせいにされるのが嫌で、なんとか泣き止まそうと苦労した。遊んだ記憶よりも、この苦労の感覚の方をよく覚えている。

 「夕焼けに向かって「ママ、早く帰ってきてねー」て、言ってご覧?」とか言わせてみたりしたのを覚えている。よくよく考えると、それって、自分が何かを訴えるときの方法じゃん。と、今頃再確認したわけだ。

 嗚呼、なんて懐かしい。こんなに痛々しい事をよくもやらせたものだと今は思うが、泣き止ませるために必死だった。

 幼い子供の面倒を見るのは「子供の労働」とは思わなかったが、8人兄弟で育った母に取っては、年長の子供が年下の子供の面倒を見るのは極、極当たり前のことで、それを私に課しただけの事だったと思う。子供は子供の中が一番良いというのもよくわかる。何よりも、私は子どもと一緒にいるのが好きだったし。

 ただ、孫に夕方、泣かれてこれをどうするというものでもなく、思い出すのが子守のこと。子供を寝かしつけるときの子守唄じゃない。子供をお守りする子供心なんだよね。

 子供時代の子守の経験と今の自分の何がダブったのか分からない。「竹田の子守唄」などが理解されるような世の中でもないし、子守をする子供こそいなくなったのだし。

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