デニッシュ風抹茶クリームパン

損をしている?

 つくづく私って「損している」。最近、こんな事をよく思う。何と比べて損をしているというのか?自分の内面に基準があって、それがいろいろな場面や、人に対して比較しているのもあるんだろう。僻みという感情まではないにしろ、不満の元ではある。

 一番その大元となっているのは、結婚して間もない頃から、義父母の世話から始まり、この家の全ての管理から子育てを一人で頑張ったのは自縄自縛であったという感情だろう。誰からもその労をねぎらう言葉もなく、私がやるしかなかった現実を受け入れたまでのことだった。しかも、この家に嫁いだのは、言うまでもなく、私の意思であった。辛い時、それを言い聞かせ、自分を静かに収めていた。が、一度だけ、子供達を置いて、自分だけこの家から出ようとまで思ったことがある。子育て放棄だ。何もかもが嫌になって、こんな無意味な頑張りを自分だけが背負うのはもうまっぴらだと思った時だった。追い込まれると、どこかに逃げるしか無いと思いつめた結果だった。そして、毎日を振り返ることもなく、忙しく時が過ぎ、やっと自分のために自分のしたいことができると思った時、思い切ってパン屋を始めた。人に喜ばれることは自分の気分がよくなることなので、一生懸命、自分のために働く。この心理は、私にとっては健全で、毎日を楽しくしてくれる。そうはいえ、これはこれで仕事なので、それなりの苦労はある。が、「美味しい」という客の一言を聞くために、元気を出す。子育て中にも、それ以前にもなかった嬉しさで溢れる。

 この感情を一度味わったからだろうか、それ故に「損をしている」と感じてしまうのだろうか。

 子供達が巣立っても、子育ての延長があるし、親だからこそ助けになるのも当然と思ってきたが、かなり義務感を伴っている。「親」だからこそという「親」の姿を勝手に自分で作っている。と思いきや、年老いて自由になりつつある母親をかぶせてみると、昔の母に私の母親ぶりは似ているなあと思う。これだ!反面教師どころか、自分が育った中に、母親の姿がそっくりそのまま居座っているのだ。あり方ばかりで嫌気が差していたあの姿だ。嫌悪こそしたアレだ。

 年老いて自由になりつつある母は、私から見ると、変な人にも見える。父が亡くなってから初めて母は、母としてでなく生きようとしているのだろう。諏訪に呼び寄せて、最後は私が面倒を見ることになるだろう母に「動けなくなってからだと何かと不自由になるので、そろそろ移り住んではどうか?」と誘っても、いくらかでも長く今のところに住みたいという。そこで私も腹を決め、シルバーカーや、最新式の安全設計のガステーブルを送ったところだが、母は俄然、元気になった。目と鼻の先のスーパーへの買い物に、一駅バスに乗って行っていた母が、シルバーカーで二時間半も歩くほどになったのだ。身のこなしも素早くなった。台所ですれちがうのに、もたもたしていた母だったが、先回りの気配りで、さっと身を交わすような機敏さになったのだ。相変わらず、膝はいたらしいが、シルバーカー様様だと言っている。

 一人で今の家に住みたいという母の選択を否定せず、むしろそのための負担を減らす何かを助けるだけでよかったのだった。

 と、ここまで母との関わりで気づいたことは、私にはそういう理解者がいない点だろう。自分の選択で、自分のしたいことをしているはずなのに。

 理解者がいないと言い切ってみて、自由を奪われるのは、自分が作っている「あり方」が一番邪魔している。自由意志とは言い難い。これだ。

 「あり方」外しの取り組みとして、「変な人」に変身してみるかな。それが案外、自分らしい自分なのだろう。どうしたいか、自分に自分の意志をまず聞いて、その自分によく向き合ってみる。しばらくこれに取り組んでみようかと思う。


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