続・父の入院

 手術後、三週間で退院と聞いていたが、母からの連絡で、来週いっぱいで退院の見込みとなったことを知った。これについて、諸手を上げて喜べない自分の心は、何によって支配されているというのか。

 退院が早まったことで喜ばしいのは、懸念していた認知症がさほど進むことはないだろうという、まあ、気休めのようなもの。父にとっては、家に帰るのではなく、病院が変わるだけのことだ。可能性として、今入院している状態よりももっと人との関わりが無くなることだって予想される。

 また、この連絡を受けた時点で、母が転医の話を父にどのように話すのかが一番気になっていた。言葉は悪いが、騙し打ちのような事は、いくら父の理解力が劣っているからとはいえ、私の良心が許さない。「私の良心」とは、どこから来ているか、それは「父の入院」で書いた通り、「いよいよになったら施設か病院に行く」という父の意思を尊重することと、この意思の尊重をするなら、周囲で父と関わる家族が、父の言うところの「いよいよ」という「時期」をどう捉えて何ができるかを最後までやり通すということだ。すでに義父母を看取った私は、心に少し残るものが、後悔としてあり、この後悔を繰り返したくない思いが強くある。

 この話を母にすると、母は私に、父を見捨てていると非難していると言った。私は私の心を話しているだけなのだが、それを聞いた母は、自分が非難されていると受け止めたのには、今更ながら驚いた。そして、父が「いよいよ」と言ったあの時の話は「話」であって、状況は変わっていると、私を説得し始めた。あ、これは何か誤解があり、何かが違うと感じた。

 了解していたようで全く了解できていなかったのは、「いよいよ」という言葉の理解だった。私の理解は、家族がどこまで父を支えて在宅で介護できるか、問われているのは家族である。つまり、家族の一人一人が、自分には父に何がしてあげられるかである。その限界が「いよいよ」という理解だ。

 母は既に、「お手上げ」状態を宣言している。私は、短期なら実家に戻ることはできても、期間は限定的で、私自身が諏訪の家では必要な役割を担ってもいる。弟は、以前言ったとおり、「お金は出せるけど実際に動けない」であった。

 出し合ってみると簡単で、父の自宅介護はできないという現実がはっきりした。だから、もう「いよいよ」の時がきたと理解してい良いのだと思う。そして、私達一人一人が父に自分の事情を話して、父に転医して養生してほしいとお願いすることではないかと母に説明した。

 母は「正義」の人で、正しきを私たちに押し付け、善人面をしている人なので、介護は全うするのが正しく、やるべきものという考えがあるのはわかっている。だが、寄る年波、もう、そうも言っていられなくなった母は、私や弟には隠さなくなった。が、父にはまだ隠している。それは夫婦間の空気であり、私の了解ではないため、立ち入らないようにしていたが、ここに来て、父の転医をどうしたものかという問題は、母にとって最大の難関になった。つまり、父に、自分では介護できないため、転医してくださいと、頭を下げることになるからだ。母が、私の説明を正しく理解したならば。

 一生、母を諌めるようなことはないだろうと思っていた私だが、父に「いよいよ」だからと、「あなたの最期」として伝えるのではなく、これは私にとっての限界だと納得してもらい、父に転医をお願いすることだ、と言い切った。それが家族一人一人の「良心」からの言葉じゃないのかと、母に投げた。これは、母の一番苦とすることで、そこを避けるために自分に向き合わずにこれまで生きてきている。ここまでしかできないと認め、それを説明して、父に転医をお願いするだけのことだが、私は、心に、父に「最期を看取れないかもしれない」という申し訳なさを秘めている。

 父の退院のタイミングと合うかどうか分からないが、来週末、実家に戻って父に会い、頼んでこようと思う。

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