ドイツ、自治体が難民のために市民が住むアパートの明け渡しを命じるのは合法か?

 「German woman threatened with eviction to make way for refugees」というタイトルをつけたTelegraphの記事から考えさせられた(参照)。

 EUが協議の結果、シリアなどの戦闘地域から難民受け入れを表明したのは先週だった(EU難民分担を賛成多数で決定、チェコなど東欧4カ国反対)。その直後から、難民の動きを伝える報道も日本では多くなった気がした。ぶっちゃけ、日本が難民受け入れを表明しても希望者がどれほどいるかという問題と、具体的にどこでどうやって受け入れるのかなど、全く準備もないわけで、なぜ日本は受け入れないのかなどの疑問もあまり湧き上がらない。その気がない国、国民ということだろうか。蛇足ながら個人的には、家に空き部屋があるので、何人か受け入れるのは可能だし、抵抗もない。

 さて、メルケルさんの決断は凄いと思った。政治家魂が宿っているわこの人。と、思った。EUでは、難民を受け入れた最初の国は一人一人、難民指定をし、指定を受けた人達はEU内ならどの国へ行こうと、その行動の自由を求められる(シェンゲン条約)。シリア難民にとって、最も人気国がドイツらしい。そのドイツが受け入れを正式に表明したため、多くの難民が陸地を移動してドイツに入国している。その受入状況は想像を絶するが、先のTelegraphの記事から、少し想像できる。

 難民受け入れを可能にするため、地方自治体から住民を退去させる要請に従うかどうかのようなレベルの話ではない。強制的な立ち退き命令で、住民はそれに応じているという話だ。しかも、記事内のインタビューによると、その住民は、人が助け合うのは当然だとしている。もちろん、そうは問屋が卸さないという住民もいるから問題を提供している記事ではあると思う。

 その場合、訴訟問題に発展する可能性はある。一つには、地方自治体がアパートに入居するという契約が成立しない点を上げている。かと言って、地方自治体が所有するアパートもない。シェルターと呼ばれる一時的な避難キャンプを設置するくらいが関の山というか、たった今どうするかという、その場しのぎくらいしかできないかもしれない。追い出されたアパートの住民は、友人や家族を頼って同居とか、いろいろ策はあるかもしれないが、「自治体が強引で人権無視だ」などの批判をしている場合でもないのだろう。すごい話だと思った。

 これが今の日本だと、どえらいことになる。

 まず、国民が黙っていない。自分の住む場所を追われるなんて、しかも、難民受け入れのためにだ。と、非難轟々の騒ぎはもちろんのこと、居座って家から出ないでしょう。そして、国や自治体を相手取って「自由への侵害」とか言って、デモでも始まるんじゃないだろうか。

 今までSEALDsのデモは支離滅裂だと批判していた人達も、このドイツの問題は別だと、言い出すのではないか?くらいに日本ではアレルギー反応を起こすかもしれない。

 ドイツでこれが可能な理由は何だろうか?なぜ日本はできないのかを問うよりもより解りやすいんじゃないかと思った。

 一つにはキリスト教の教えが助けていると思う。「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ」がすぐに浮かんだのだが、協会に行くと心が休まり、温まるのを感じるが、あの空気が西洋にはある。もう一つは、国が決めたことに国民が賛同するという信頼関係があるからではないだろうか。

 国民投票で選出した議員に政治を任せて国を収める、という民主主義議会制度の根本が揺るがない頑丈さがあるからではないだろうか。それは、暴君のような大統領や党主席が圧政によって国民を苦しめているような国が行ったとしても、表に見えるものは同じかもしれないが、少なくともドイツ現政権は、この件においては政治主導を行っていると見受けられる。それが市民と一致しているなら、無問題だろう。

 昨日、Twitterのタイムラインで「迷惑」と「人権侵害」の話題が長く続いていた。

「違法なこと、人権違反に、耐えちゃいけない。満員電車のなかの、おならと痴漢は違う。」

こんな例で説明されていて吹いたんだけど、わかりやすい例でしょ、と思ったが、それでも類推すらできない人のツッコミもあり、それにも驚いた。この驚きは、日本人の「人権」に対する認識の無さにだった。「迷惑なことは人権無視」と、いろいろを混同しているみたいだ。

 だから、ドイツの今回のようなことを日本政府がやらかしたら、政府は、ケチョンケチョンにぼっこられることうけ合いなしだと思う。しかも、Telegraphが引用しているように、EUの他国では批判の的にもなっている。極平均的には、民主主義の基本からドイツの例は逸脱している行為とされても不思議はなさそう。

 今後、これが問題になるだろうか。見守りたいところだ。

 私個人が難民だとして、このように無条件に受け入れてもらったとしたら、感謝を言い尽くせないし、なにかお返ししないではいられなくなる。ドイツの葡萄畑に奉仕作業に出るとか、街を掃除して歩くとか、何かのお役に立って恩返しせずにはいられなくなるだろうと思う。

 温かい心に感謝し、温まった心を誰かに分けてあげたくなるのが人というものだと思う。

 それにしても、戦争、早く終わらないものだろうか。

 

 

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