ちょっとおかしいんじゃないか?普通じゃない。と、人の言動をそう感じた時、一体、何がおかしいのか?

 元農水次官が長男を刺殺した事件の判決が、今日16日、言い渡される。そして、「週刊文春」の2019年6月20日号で掲載された記事が、ネット上で再公開されたのを読んだ。まず感じたのは、私がこの事件を知った当時に思ったことと、実際にはどのような背景だったのか、文春の記事から読み取れる印象とは全く違うものだった。ショックを受けた部分も含め、今の世の中の「多様性」と言われる対象が、人の考え方や理路の違いから生まれるものとは異質で、次元も違う、他人と自分のつながりを問う時に必ず、配慮しなくてはならない問題があることを思い知った。

 英昭の知人が次のように打ち明ける。
 「実は、英昭さんは英一郎くんの病状を案じ、精神科医である妹の夫に相談し、改善の道を模索していたのです。彼女の夫は、千葉県内で総合病院を運営する理事長で、(同病院の)事務長が長年、英一郎くんの面倒を見ていました」
 英一郎氏はツイッターでも、自身が統合失調症(妄想型)だと綴っている。そんな彼と連絡を取り合っていたという事務長に尋ねると「私は申し上げる立場にありません」と、口をつぐんだ。
 鬱屈した感情を抱えた英一郎氏にある「変化」が生じたのは、今年5月下旬のことである。自ら英昭に連絡を入れ、「実家に帰りたい」と懇願したのだ。

 精神的に病んでいたのだとしたら、父親が殺害行為を犯す前に何かができたのではないか?そう思えたのだった。

 事件当初に私が感じたのは、殺害された息子は、裕福な家庭環境に起こりがちな、息子の親への逆襲で、親のエゴのために人生を潰された息子の怒りがそのまま両親にぶつけられ、どうにもならなくなった挙げ句の親の息子殺害かと思った。そういう意味では、息子は被害者だったのではないかと思えたのだった。

 ところが、これは息子の妄想型統合失調症が原因で、社会生活が困難なほどの重症だったとなると話は違う。必要だったのは、入院なり投薬による治療だったのではないかと思うと、親戚筋に相談できる医者がいるにも関わらず、なぜ父親が息子殺害に至るまでに追い詰められたのか、遣る瀬無い思いがよぎった。そして、最近、私の身近に起きたことで、あれはもしかすると、精神的に何かを抱えているんじゃないか?と、疑える人物のことが気になった。

 彼は、菓子材料卸を営む両親の家業を継いで、現在は、その店長を勤めている人物だが、最近、これは正気の沙汰ではないと思えるような、違法行為でもあることを平気でやっていることを知った。私は、ご両親が元気な頃からのお付き合いで、パンや菓子材料を小売してもらってかれこれ、25年位になる付き合いなので、色々と突っ込んだ話もできる。という理由から、あることで息子さんに「それは違法行為で、お宅の信用問題となることだから、止めた方がよい。」と指摘した時、それまでは「大丈夫ですよ。大量に売るわけではないし、少しだから。」と、平気でいたのに、「違法行為」に反応したのか、慌てて、別の方法でやるようにすると言った。彼の言った「別の方法」にも問題があり、自分の店で取得した営業の許可証が大切なら、それを失うようなリスクのあることは、普通はしないというレベルのことなのだが、彼は聞く耳を持たない。それも噛み砕いて説明したが、聞き入れない。

 許可を取得した工房を又貸しした上、借り主が販売者となって製造品を売るという行為そのものに違法性がなくとも、不特定多数の使用による厨房の衛生管理は徹底できないのが、衛生管理責任者ならわかること。しかも、製造販売する商品の生菌検査を受け、消費期限の設定などをしたり、定期的に厨房のブドウ球菌検査のために、試験紙で培養したり、赤痢などの早期発見のための検便も年に2回、施行しなくてはならない義務を負っている。これらの義務を果たそうとする時、一時的にでも他人に厨房を貸せば、その人物も検便、持ち込む道具の検査が必要になる。が、彼はここまでのことを配慮できていない。というか、知らないようだ。保健所に問い合わせて、できることを模索したらどうかとも話したが、自分の判断で、他人に厨房を貸している。先日は、お菓子作りの講師を呼んで、お菓子教室をやっていた。この人達もすべて、保菌者と言える。何かが起きたら、営業は停止になり、中には、痛くもない腹を探られるようなことになるような人もいるだろう。食中毒やO157が出してしまうと、相手から訴訟を起こされ、刑事事件に発展すらする。

 このような重大な責任を担っているという自覚が全くない息子さんに教えることはもうないが、前段の例がよぎった。彼には何らかの欠落があるのではないだろうか?これは上から目線的に思うのではなく、物事を解釈する能力が低いとでも言ったらよいだろうか。

 半年ほど前のことだ。注文済の材料を買いに、彼の店に行くと、発注していないことがわかり、追って発注した後、家に届けてもらうという段取りとなった時、電話番号を渡し、住所を伝えたのだが、途中で迷ったという電話が鳴った。現在地から何が見えるか聞くと、それに答えられない彼。しどろもどろしていて、声が上ずっていた。今思とあれは、プチパニック状態だった。こちらから、あれこれ具体的な質問をして、やっと、学校のプールが特定できた。そのプールからは簡単な道筋なので、説明して到着を待ったが、また電話が鳴った。全然、違う方向へ進んでしまったことが伺え、結局、途中まで迎えに行った。これは「方向オンチ」と俗に言われる人のすることなのだろうか?これ以上、わかりやすく道の教えようがないのだ。このような経験は始めてで、目と鼻の先の小学校のプールから一本道だというのにだ。

 呆れたり、驚いたりするのは、相手に失礼なことなので、何食わぬ顔してやり過ごしたが、あれは普通じゃなかった。

 彼には何か、精神面で抱えている事がありそうだと、そう思わざるを得なかった。もしかすると、聴覚情報処理障害がそれに該当するが、仮にそうだとしたら、道順を言っても目的地に中々たどり着けなかったり、電話注文を受けても発注できなかったり、法律問題に発展するというリスクに対する危機感がなかったりなどの説明になる。まだまだ、注文した通りのものが入手できなかったりと、今までにいろいろな行き違いがあり、腹立たしいこともあった。

 「普通じゃない」と私がいうと、「そういうお前は普通なのか」という石が飛んできそうな言い方になってしまうが、要は、ここに書いてきたようなことが通じないことに閉口してしまうわけだ。でも、これは今に始まったことじゃないだろう。昔も今も、同じような障害はあったと思うが、今は「障害」として認知されてきたというものだろうか。他言は禁物で、下手をするとこれこそ名誉毀損になってしまうため、口外はできないが、仕事を一緒にやるとなると、社会的に困ることが起きては来るだろうと思う。つまり、許認可が必要な営業についてなどだ。

 障害者ならそうだと、堂々と言ってもらうほうが仕事もやりやすいし、逆に、手伝うことだって厭わないのに、閉鎖的だと思う。見た目にわからない障害の持ち主が、わざわざ自分は障害者ですと、言うだろうか?言わないのが普通なのかもしれない。

 一般論として、障害者が一般の会社などに雇ってもらう時、自分には障害があると、障害の内容も含めて表明した上で面談すると良いと思う。以前、NHKのドキュメンタリー番組で紹介していたが、車椅子で一般社員と一緒に仕事をしている例を知った。両者ともに大変そうだったが、障害者という点を生かして、商品開発部門で活躍されていた。健常者にはわからない部分に配慮した商品化に役立っていた。

 世の中は、人ができること(能力)をモザイクのように集めて組み立てたり並べることによって、プロジェクトができる。その一片に自分の能力を加えてもらうためにも、障害を周知させることは大きな一歩となるだろう。

 話は一般論になってしまったが、疑われた上に、無能だと思われたり、不信感を与えてしまって顧客を逃すよりも、自覚している事があれば、話してほしいとは思った。

 以上は私の想像上のことなので、ここに書くだけに留めておこうと思う。


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