もやもやしているもの(1)

 このところ何かと忙しかった。忙しい動きの中で忘れ去られがちな内面のことが蓄積しているようで、なんとももやもやしていてすっきりしない。

 少し考えてみて、娘の離婚と末息子の引っ越しという事柄を通して、その内面が整理されないまま固まっているようだ。

 究極はこうだろう。

 娘の元夫にしろ、末息子の同居人との間にあった「人」というものがどこかでリンクし、それが考えのもとにありそう。そして、それは私の感じている最近の若い人たちの感性から、私自身が人間像としてはっきりわからない「像」だから気になっているのかもしれない。

 娘の離婚原因は、子供の親としての夫が、父親としての役割をしないことにあった。息子の同居人との離別原因は、この女性との信頼関係崩壊だった。と、書くと、それは私が身内を庇っているようにしか捉えていないようであるが、相手の言い分がわからないため、そこは書けないし、両者の話を聞いてジャッジしたいわけではない。あくまでも相手の行動に対する当方側の決断という意味では、感情的なものを抜きにして考えようとしている。

 まず娘の元夫の場合。心臓手術を受けた次女の静養で長く諏訪に滞在することになったが、5月から8月までの間に元夫は一度だけ、半日ほど家族で過ごすために諏訪にやってきた。その後はまったく来ることもなく、いつも仕事が忙しいという理由で不在がちでもあった。娘は仕事が理由ならということもあり、幼い年子の娘二人をほぼ、一人で育てていた。が、通院や家事、買い物、定期検診など、子供を二人を連れては動けない状況もあり、時々、元夫に用事を頼むこともあったようだ。だが、仕事が最優先で、子育ては基本自分はしないという人物。その元夫がこの夏、サイドビジネスを始めたと知った娘は、それが何か知らされず、他人事のように聞いていた。問題は、そのビジネスを始めるための資金の出所だ。娘が子供のために蓄えていたお金で、元夫にも了解済みの「手を付けないお金」だったそうだ。それを全額、娘に内緒で使ったこと。また、出産や結婚のお祝いに頂いたお金も全額、内緒で使われてしまった。このお金も子供のために、使わずにのし袋のまましまってあった。

 諏訪にいることをいいことになのか、とにかく、手を付けない約束だったお金が一銭もなくなってしまった。娘の計画では、幼稚園の入園から学校に行くためのささやかな蓄えだった。その裏切りにも腹立たしい物があったと思うが、それを返金するにも、そもそも事業で買掛金が溜まりに溜まって2千万円ほどになり、相手は弁護士を通じて支払い要求をしている状態だと分かった。挙げ句の果て、娘の友人にまで借金しようと奔走していたとのこと。友人から何があったかと娘に連絡が入ってその状況がつかめるという情けない話だった。元夫の娘への金銭的な裏切り行為と、娘の友人に娘に内緒で借金の無心をするような感覚が何よりも娘の不信を招いたと思う。

 仕事が忙しい人だからという良心的な娘の解釈はことごとく崩れ、離婚を決断する頃にはこれが、「ギャンブルとおなじ感覚」と思うようになったようだった。今時、大儲けできるような、そんな目新しい仕事などあるわけもなく、大方、素人を騙すヤクザまがいの相手で、吸い上げられてポイされたんじゃないかと思った。そもそも、なぜそんなにお金を儲けたいのか?そのために犠牲にしたものは大きい。彼にとっては二度目の離婚となり、最初の離婚も大方同じような理由だったようだ。同じことを繰り返している点に一切の反省はないのだろうと想像するのは、娘が離婚を切り出した時、自分を変える気はないと断言したようだ。まあ、それで良いという人と出会うまで、今の自分でよい人なのだろう。

 彼の母親は仕事がしたい人で、幼い二人の兄弟は母親と一緒に暮らした記憶もないらしい。離婚寸前の時、父親が引き取って田舎のお爺さんに預けたらしい。つい二年ほど前、「自分には親はいない」と私に言ったことを思い出した。それを言うことで親への憎しみを放出し、愛されない自分を庇ったのではないだろうか。愛情不足で偏屈に育ったまま軌道修正されることもなく、寂しさを閉じ込めてしまった、いわば自分を捨てた人なんだろうと思った。だから、なろうとも、なりたいとも思わないのが「親」で、それ以外の何かになりたい人なのかもしれない。

 曲がりなりにも親をやってきた私は、彼のように、子供に愛情を注げない人が理解できない。親になるための2つともがない。この2つは、後で触れることにする。

 それにしても無一文になった娘。これまで毎月、生活費などは振り込まれてはいたが、離婚した途端に無一文。親に頼るつもりもなく、早く自活できるように働くため、子供を保育園に預ける手はずまで事は進んだ。養育費と、使い込んだ金銭を返済する事を書面で約束する公正証書を作るところまではよくやったと思う。

 離婚が成立してからすっきり前に進もうとしている娘を見て何も言うことはないが、元夫の裏切り行為は、正直にバカが付くほど疑うこともなく日々の暮らしを頑張ってきた娘の、人を見分けることができなかった愚かさとは思いたくない。自分を捨ててしまった悪人になるよりは遥かにマシ。

 そう、慰めるしかない。

 子供を育てる能力というのは、いろいろな社会環境で身につく部分と、子どもと向き合う時、心から湧き上がるものが行動や言葉になり、子どもとの対話や暮らしていく過程で身について行くものだと思う。「親」という完成品などはなく、未熟な大人が親になっていくのは、子供がそれを教えてくれるからではないだろうか。子どもと一緒に過ごしてみて、初めて自分がどんな大人かを子供が教えてくれる。一緒に過ごす時間は、だから、自分が親になるためだと思う。その自覚がないと、一緒にいてもそれなりの親にしかなる他ない。だから、どこまでも続くよ親業は。と、私は思う。

 長くなるので、末息子のことはこの次に、また。

 

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