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ファミリー・ネーム(姓)から考える家族と個人



 私の名刺入れには職場の名刺(旧姓)と、戸籍姓(夫の姓)の名刺の2種類が入っています。職場では働き始めた時の旧姓で認知されています。戸籍名の名刺を作ったのは10年ほど前で、きっかけはPTAの役員や地域の諸々の会、教会など、自分が関わる活動で必要が生じたからです。お会いする人によって、職業人の自分と、私人としての自分。ふたつのスイッチを切り替えているような感じといったらご理解いただけるでしょうか。たまには2枚の名刺を一緒に渡しますが、みなさん「あらそうなのね」と理解を示してくださり、「今日はどっちの人なの?」と笑い話にしてくる人もおり、特段不都合はありません。
 日本の民法は夫婦に戸籍上の姓をどちらか一つ選ぶよう定めています。実際に不利益を被りデメリットを感じられている方からは認識が甘いとお叱りを受けそうですが、私にとって姓はあまり重要ではないのかもしれません。それは、職場の環境や私たち家族を取り巻く交友関係が、どちらかというとリベラルな思想傾向にあるという点が大きいように思います。
基本的には、姓を「変えない」という選択肢が認められないのは理不尽だ、というのが私の意見です。姓を選ぶという個人の自由・アイデンティティが法律によって狭められ、規制され束縛されるのは、個人の自由を尊重するという私のポリシーに反するからです。
 一般に選択制夫婦別姓論議は、そのメリット・デメリットということに集約されてしまうのかもしれません。戸籍と違う名前で生きることはさまざまなハードルがあります。改姓によって、銀行をはじめとした様々な許認可手続きも必要です。このテーマを考えるにあたって、選択制夫婦別姓制度に賛成・反対の両方の意見をネット検索の範囲ですが調べてみました。賛成の人は、不都合をなくすために「選べるようにしてほしい」と主張しているのに対し、「反対」派の多くは、「日本の風習になじまない」「家族の一体感が損なわれる」といった感情論がほとんどで、あまりかみ合っていないと感じました。
 別姓問題へのバッシングの延長線上には確固とした意思があります。自由民主党が発表した改憲草案では、第二十四条1項「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」という項が新設され、その理由を「家族は、社会の極めて重要な存在だが、昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われている。こうしたことに鑑みて家族の規定を新設した」と説明しています(改憲草案Q&Aより)。法律によって決められなければ、家族の絆を保つことができないのだろうかという点は大いに疑問ですし、そのような形で束縛されたくはないと思います。
 私が私らしく存在するために、姓を選ぶ自由を持つことは、家族を壊すことになるのでしょうか。より強い家族の絆は、「姓」という形に規定されるものなのでしょうか。夫婦が同じ方向を向き、家族が相互理解のために努力を積み重ねていくこと自体が幸福追求権の行使ではないでしょうか。現実には、多くが選択する「夫の姓」によって女性が夫に、夫の「家」に帰属する意識を無意識に持たされることになります。
 法律が、個人の意識に大きく影響するということを私は知っています。2枚の名刺を使い分けていることで、他人から「おかしい。夫と同じ姓にすべきだ」と言われたことが一度だけあります。相手は職場研修で出会った中小零細商店の経営者でした。

 すこし話が変わりますが、中小零細事業に関わる女性の地位は専業主婦よりも低いことをご存知でしょうか。「所得税法第56条」という法律があります。労働の対価(給料)は当然経費であり、働き手が親族であっても変わりありません。ところが所得税法56条は、個人事業主による配偶者と親族への対価の支払いを、税法上、必要経費に認めません。白色申告の場合、個人事業主の所得から控除される働き分は、配偶者が年間86万円、家族が同50万円と低額で、家族従業者の社会的・経済的自立を妨げ、後継者不足に拍車をかけています(青色申告は税務署長の権限で与えられている特例にしか過ぎない)。配偶者の比率は女性が多いので、妻の働き分が夫の働き分に合算されるという、いまだに明治憲法下の家父長制度の名残です。このため、個人の所得証明が取れず、交通事故の保険算定で専業主婦よりも低いなどの不利益が発生しています。長年粘り強く運動している団体があり、国会でも何度も取り上げられていますが、法改正について財務省は積極的ではありません。この問題は、女性の人権問題として国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)でも取り上げられ、是正すべきとの意見が出されています。夫婦別姓についていえばCEDAWは、2016年3月に公表した日本政府に対する勧告を含む「最終見解」のなかで、夫婦同姓や再婚禁止期間など民法の規定について改正を求め。「過去の勧告が十分実行されていない」と厳しく指摘していることも注目すべきです。
 どの姓を名乗っても私は私。本当の自由とは、成熟した人間性と責任が伴う社会によって実現することができるのだと思います。違う意見の人も含めて尊重される社会を希求していきたいと思います。

#夫婦別姓  


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