ユゴー著『レ・ミゼラブル 第三部 マリユス』読書感想文
『イニシエーション』
生きる事は別れと共にある。あらゆる別れが人生にはあるが、親子間の別れは自分の思想や存在そのものに影響を与えかねない重大な事件だ。マリユスもまた、父の死を機に帝政主義へ、そして共和主義へと目覚めていく。父の死をきっかけに、マリユスの物語は動き出す。生前は何の接点も無く、父の死に際に立ち合った時でさえなんの感慨も持たなかったマリユスだが、後にその思いは畏敬の念へと変わり、崇拝するまでとなる。
(引用はじめ」
子供が成長して母の胸というよくある田園詩から離れ、大人に限定された行為の世界と向き合うようになると、子供は精神的に父親の領域に入っていく。父親は、息子にとって将来の務めの印になり、娘にとっては未来の夫の印になる。父親は、意識していてもしていなくても、社会でどのような立場にあっても、若い者たちがより大きな世界に入っていく時にイニシエーションを授ける指導者なのである。
(引用おわり)
『千の顔をもつ英雄』(上)ジョーゼフ・キャンベル著 倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳(p.204)
彼の人生はこの時から、父の影響の元にあった。死してなお、影響を与え続ける父という存在が、子にとってどれほど強力なものであるかを本書を通じて身に染みて感じた。
父に感化され、帝政主義に目覚めたマリユスだが、祖父からは軽はずみだと嘲笑され、友人からは時代遅れだと馬鹿にされていた。やがて父から授かった思想に疑念が生じ、マリユスは共和主義へと目覚めていく。
そんなマリユスの前に、父と並ぶほどの人物が登場する。コゼットである。彼のストーカー染みた行動はさておき、終盤、危険な目に合う彼女を救いだそうとする彼の姿を見る限り、彼の彼女への思いは誠実なもののようだ。
(引用はじめ)
そして最終的な経験や行為の前に英雄が受ける試練の数々は、英雄の意識が拡大して、母を殺す者、つまり運命的に出会う花嫁を完全に自分のものにすることに耐えられるようになるかどうかの悟りの境地を表す。これをもって英雄は、自分と父が一体であること、父に代われたことを知る。(前掲書 p.180)
(引用終わり)
コゼットを目の前にして、様々な試練がマリユスの前に立ちはだかる。その試練をマリユスは乗り越え、無事、コゼットと結ばれる事ができるのだろうか。そして、父に代わること、"父殺し"を果たす事が出来るのだろうか。
物語は続く。
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