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志賀直哉著『雨蛙』読書感想文

『雨蛙』読書感想文

前回の森鴎外著『カズイスチカ』の読書会では倒錯と逸脱に惑わされる事なく本質を見ること、遠くのものに憧れるのではなく、近くのものを大切にする、ということについて考えさせられた。

本書に登場する賛次郎はどうだろう。田舎者の彼は、その生活に単調さを感じ、友人からの影響でそれまで興味のなかった詩や文学に目覚める。妻が妊娠し、病の末流産しようとも、彼の文学趣味は亢ずる一方だった。そして、一方的に妻に教養を与えたいと思う彼は、遠くのものに憧れ、一番身近にいる妻の事を大切にしていなかったのではないだろうか。彼は一番身近にいる妻の事を"本当に"見ていたのだろうか。

賛次郎の問いかけに、彼女は只「へい」とだけ答え、目に光は無く、終始ぼんやりしている。賛次郎もまた、彼女の肉体にのみ惚れているに過ぎず、彼女の事を本当には、見ていない様に感じられた。

そんな賛次郎であったが、今まで見たことのない彼女の姿に遭遇する。

(引用始め)

せきは少しも口を利かず、賛次郎のいるさえ意識しないように、ぼんやり遠い一点を見つめて歩いていた。その様子が賛次郎には何かせきが其処に或幻影を認め、それを見つめる事から気の遠くなるような陶酔を感じているのではないかしらという気が不図して来た。打ち砕かれた淋しさの不機嫌としては余りにその眼は何かを夢見ていた。如何にも甘い夢だ。

(引用終わり)p.200〜p.201

その様子から、賛次郎は彼女が寝取られた事を察する。彼はうつむく彼女を"堪らなく可愛い"と思い、自分の妻が寝取られる事を想像しては、その男と妻の関係に肉情を抱く。変態的だ。私は彼の心情が理解できないが、この時初めて、賛次郎は彼女のことを愛おしく思い、知り、そして初めて彼女の事を、見た。

知られざる彼女の一面を知った賛次郎。彼女の本当を見てしまう事は、見慣れた村の景色さえも変えてしまった。

彼にはもう遠い場所にある文学も戯曲も必要なかった。

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