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裏切りの日:是非に及ばず篇

光陰矢の如しとはよく言ったもので、1週間の経ち方が年々早くなっていくのはみな同じなのだろうかと日々思う。
ちなみにこの「光陰矢の如し」、なんと語源は荘子だそう。

由来は『荘子』で、原文には『人生天地之間、若白駒之過郤、忽然而已』と記述されています。 これは「人生とは白馬が走りすぎるのを戸の隙間から一瞬見るかのように、ほんの束の間に過ぎない」という表現になります。

知ってる?「光陰矢の如し」の意味と正しい使い方

死んだ祖母がよく言っていた。
「昔の人の言うことは意味がある。馬鹿にしたらいかん」
と。
そういう意味ではことわざや四字熟語は本当に奥が深い。

と、前置きが整ったところで。
つまりは1週間が早すぎて、ネタを整理する時間がなく、はてどうしたものかというときに役に立つのが「今日は何の日」という視点。

と、ここまでくると、もう調べるまでもない。
今日は、「裏切りの日」なのである。

お蔵入りした2つのログ

Podcastチノアソビは、ありがたいことに、なんとまもなく100回を迎える。
「俺は聞いてるぞ!」と全国から後藤宛にクレームが殺到はしていないが、OAで約束しているので、「誰も聞いてないと思いますが」という枕詞ともそろそろお別れである。地味に淋しい。

「101回以降は何を枕詞にしようか?」と聞いてみたが
「え、別にそのまま始めたら?」と林田社長。
まぁ、「誰も…」も自然な流れで出てきたフレーズなので、ここは時の流れに身をまかせよう。

(ちなみに後藤はテレサ・テンなら「愛人」が一番好きだ)

そんなチノアソビが台本なしのぶっつけ本番録りだということはすでに公然の秘密なのだが、ゆえにときに間違いがあったり、思わぬ方向に話が飛んだり、まさかの「チノアソビワード」が誕生したりと忙しい番組でもある。
(チノアソビワードをまとめているがなかなか進まない。が、現時点で後藤の一番のお気に入りは石原莞爾の「ペルリを呼べ」である)

というぶっつけ本番やりっぱなし番組ではあるのだが、奇跡的にボツになったのはわずか2回。筋が見えずに録り直したことはあるが、完全なるお蔵入りは、たったの2回なのである。自分で自分を褒めてやりたい。

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Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュー…

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