「鈴木敏夫とジブリ展」に行ってきた:編集の力篇
つい昨日、チノアソビを聞いてくださっている北九州は小倉にあるCafe Causa(カウサ)の遠矢さんのところにお邪魔してきた。
このチノアソビ大全も購読してくださっている奇特な方のお一人で、Causaは北九州のおもしろい人が集まる場所として、もう店の外にまでその香りがぷんぷん漂っている。
いつも前触れなしに店に顔を出すのだが、毎回何かしらのびっくりすることが起きるお店なのである。
いつぞやは、黒田征太郎さんがカウンターで飲まれていた。
そして昨日は、19時からウーマンラッシュアワーの村本さんのライブという、しかも始まる前のちょっと緊張感の走るタイミングだったようで、空気を読まずに後藤が現れた形になる。
ライブのお客さんが入られて対応している遠矢さんを眺めながら、料理長が作ってくれたパスタを空気も読まずにむしゃむしゃ食べる後藤。
そうこうしているうちに、村本さんが到着。
カウンターに座り、ワインをオーダー。
「今日のお客さん、何名ですか?」
などなどと遠矢さんと会話をしている間、後藤は急ぎの原稿が届いて、まさかのPCを開いて更新作業中。
本日、店内は後藤以外全員ライブ目的のお客様だ。
遠矢さんが軽く後藤のことを紹介してくださり、
「あ、いま、まさによしもとさんの原稿をさわってます」
などなどお話しながら、村本さんの鋭い視線を浴びる。
「この女、今日俺のライブを観にきたわけじゃないのか」
とは思っていないと思うが、軽くご飯を食べて帰るつもりだった後藤は、申し訳ないと思いつつも、いま目の前にある原稿の公開作業を急いでしなければならぬため、なおざりな受け答えにならぬようにという最低限の礼儀的神経は使いつつも、ちょっと焦って作業をしていた。
という作業を経て公開された記事がこちら↑
情報の歴史
村本さんが到着される直前に原稿が届いたため、遠矢さんに
「もう一杯頼むので、ちょっとここで記事の公開作業していいですか?」
とお伝えすると
「むしろライブ始まったらゆっくりできるけん、ちょっと話そうや」
と言ってくださり、光の速さで公開作業を終え、遠矢さんとあれやこれやと話していたら、あっという間に1時間以上が経過。
このCausaというお店、というか遠矢さんという人は、本当にケシカラン人なのである。
この日、結果的に5時間以上店に長居することになるわけだが、すでに2時間経過のこのタイミングで、遠矢さんが次から次へとオススメしてくれる本がおもしろすぎて、たった数時間で1万円以上の本を買ってしまった(笑)。
そしてそのうちの一冊が、もう届いた。
NTTが松岡正剛氏に編纂を依頼した、年表軸で編纂された情報の歴史書。
何年にどんなことが起きたのかをめちゃくちゃきれいに編纂されているもので、見てしまうと欲しくなるケシカラン代物。
松岡正剛氏の編集に関する言説は後藤が解説するまでもないのだが、遠矢さんとひとしきり話してあぐりーしたのは
「編集って、編集する人はその内容をすべて把握していて初めて成立すると思う」
というもの。
自分では行ったことのない場所、見たことのないものをキュレートして「編集しました」が世に流布する時代にあって、それは真の意味での編集ではないのではないか、という話で盛り上がったのだった。
と、ここで帰ろうかとしていたタイミングで、小倉に出向いた本丸である、北九州市役所のU氏が、後藤のストーリーズを見てCausaに到着。
新幹線最終コースの決定の瞬間(笑)。
フランスの法律の話、大学受験のときの数学の話と、はっきり言ってこの人たち何の話をしているの?と思われるトークで気づけば終電タイムになったわけだが、そのトークの合間、遠矢さんと二人で話していた「編集の話」をU氏にもしたところ、
「まぁそれも一理あるけど、見たことないものを集めるのも編集なんじゃないかって最近思うんだよね」
とU氏。それも一理ある。言わんとすることはわかる。
おもしろい。同じ意見だから仲間とかそういう話じゃない。議論ってこういうものだ。
ということで、そんな遠矢さんとU氏は、どこかでチノアソビのゲストにお招きすることが確定しているので、皆さまの忘れた頃にお届けしたいと思っている。
鈴Pとの出合い
さて。そんな昨夜の楽しいCausaタイムを通り抜け、今日は夏休みも終わりかけたとはいえ、絶対人が多そうな「鈴木敏夫とジブリ展」に行ってきた。
昼過ぎに土砂降りとなった瞬間に車に飛び乗り、会場である福岡市博物館まで5分。かつて、ルネ・マグリット展を見るために北九州から父が連れてきてくれたこの博物館が、いまはびゅーんと5分の場所で生活しているなんて、当時の後藤は想像もしていなかったことよ。
「後藤と宮崎駿は合わない」とチノアソビで林田社長に断言されたわけであるが、Sex PistolsのTシャツで大学院の試験を受け、そのTシャツを着ていたことが理由で合格をもらったという自慢できない経験の持ち主である後藤は、元来ロッケンロールが好きであり、体制POISONなカルチャーに染まった10代をおくってきたので、あながち駿先生と合わないとも言えないような気がしなくもないのだが、ひとつだけ言えるのは、鈴木敏夫氏を編集者として尊敬している、ということは紛れもない事実だったりする。
ジブリは宮崎駿先生が表看板ではあるが、後藤は鈴木敏夫氏(以下、鈴P)なくして成立しなかった世界だと思っており、こういう影の立役者やプロデューサー、編集者的なポジションが小さい頃から大好きだ。し、自分も裏方のほうが性に合っていると思っている。
ゆえに、チノアソビは自分が前に出ている珍しいコンテンツだったりするのだが、まぁそれはどうでもいい話。
このパラグラフの見出しを「出逢い」ではなく「出合い」としたのは、鈴Pご本人にお目にかかったことがあるわけではないからだ。
そんな鈴Pのコンテクストとの出合いは、かつて同じ福岡市博物館で開催された「ジブリの大博覧会」のこと。
巨大な王蟲の展示や猫バスなど、ジブリパークが福岡にやってきたような規模感だったこの大博覧会。FBS主催ということで、開幕前日に取材で入ったのが上記記事。伊藤アナはいつ逢っても可愛い。
この大博覧会、パーク的要素も凄かったのだが、編集界隈の人間が色めきたったのが、鈴Pのお部屋の再現と、もののけ姫の「生きろ。」のコピーが生まれた瞬間を明示した、糸井重里さんと鈴Pの往復書簡(FAX)だった。
8/31まで福岡で開催されている「鈴木敏夫とジブリ展」は、前回の大博覧会の鈴Pのお部屋が全面に拡大されたような企画展。
鈴木少年の家が洋服を作る仕事をしていたことから始まり、映画が大好きだった少年のコレクションやら、アニメージュ創刊の経緯やら、宮崎駿先生、高畑勲先生との出逢いやら、と、絵コンテ、ラフ、手書きの企画書などが所せましと展示されている。
夏休みということもあってお子さん連れが多かったし、なぜ?と思うほど外国人の来場者も多かったのだが、はっきり言ってコンテクストを舐めるように浴びたい人向けの内容だった。
鈴木敏夫とジブリ展の本懐
コロナ前に決まっていた企画ゆえ、時季がズレてしまったこの企画展。すでに京都、東京、岩手での開催を終了しており、残すは愛媛のみ。
お近くの方はぜひ行ってみてほしいのだが、監督がフィーチャーされがちなジブリにおいての、鈴Pの重要性が改めてわかる構成になっている。
ここで遠矢さんとの話に戻すと、
「編集って、編集する人はその内容をすべて把握していて初めて成立すると思う」
これが、まさに編集の醍醐味であり、鈴Pはまさにそれを極致まで極めた人であると思う。
件の「生きろ。」のコピーが誕生した瞬間は、想像するだけでうるっとくるのだが、「そんな哲学的なコピーじゃ集客はできない。できたら逆立ちして最寄りの駅まで歩いてやる」とまで言われたという。
↑非公式ファンサイトにそのやりとりが。興味のある方はどうぞ。
そこまでしても、「絶対これでいい」と鈴Pが決断した、そこには直感的なものだけではなく、しっかりとした編集力があることが本展で明らかにされた。
それは、二人が「もののけノイローゼ」になりかけながら迎えた終盤、そこまでに出来上がっている絵コンテやつないだラフな映像を何回も何回も繰り返し見たという鈴Pの丁寧かつ執拗な確認作業にある。
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