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自分の引き戻し方:お守り篇

先日、朝からさっぱり動けないほどの腰痛に見舞われた。
長年、背中から腰にかけてはずーっと痛いので割と平気なほうだったのだが、身動きがとれなくなったのは初めて。

そしてその日、動けるようになってからのスケジュールが、試写を挟んで前後が出版を控えているクライアント先での校正まつりで、文字通り徹夜となった。
その数日前の日曜日には、スナックチノアソビで足にマメができていた。
要するに、大変活動的と思われている後藤だが、続くと満身創痍の水槽がすぐにオーバーフローするのだ。しょうもないフィジカル。常にMPだけで闘っている。

ずっしりとのしかかる体力的な重圧は、強靭なメンタルで回避する。
大抵はこれでどうにでもなるのだが、続くとさすがにMPも枯れる。

表現することすら億劫な感情が、自己肯定感をゼロにする。
というより、おそらくそもそも自己肯定感はないに等しい。

先日読んだ記事で、
「自己肯定感というのは、自分がどんな仕事ができるかとか、そいうことじゃないの。『自分がここにいてもいいと思えること』なの」
というフレーズを読んで目から鱗だった。

何もせずとも、社会の役になど立たずとも、ここに自分がいてもいいと思えること。
何を根拠にそんなおこがましいことが思えるのか…

というわけで、そもそもが自己肯定感とは無縁のポテンシャルなわけだが、コンディションが悪くなるということは、一気にマイナスに振り切れるということになる。

そしてこの状態から復調させるには、外的要因ではダメなのだ。


お守りの存在

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Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュー…

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