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入社2年目の低スペがハイスペ集団の中で学んだこと(6200文字)

2年目の仕事がソシャゲの高難易度的な感じでキツく、そして面白かったので、学んだことをつらつらと書いていく。

1.作業≠仕事


新卒1年目は作業が大半の時間を占めていた。まずは作業を覚えないと話にならない。どんなに凄い職業も、どんなにつまらない職業もそれは同じだろう。

しかし、段々と「作業」ではなく「仕事」が求められるようになってきた。

「作業」を自分なりの解釈でまとめると、言われたことをそのとおりにやるということだ。
例えばあなたがレストランでアルバイトをしている。与えられた役割は皿洗いだ。皿洗いは、いわゆる世間的な言葉で包み込めば「仕事」だが、もし本当に与えられたとおりに皿を洗っているだけなら、私はそれを単なる「作業」だと定義する。

では「仕事」とは何を指すのか。

自分なりの考えとして、「仕事」とは、研究開発等を除けば、利害関係の調整にあると考えている。
先ほどの皿洗いの例で言えば、単に皿を洗うだけではなく、効率的に皿を洗う方法を考えて提案する、使い終わった皿を作業場に回収しやすい方法を考える、皿に残ったものからメニューの中に無駄が生じている可能性を考える等が思いつく。

これらを考えて提案するのが何故仕事になるのかというと、人間は基本的に既存の慣れ親しんだシステムを変えて覚えることを嫌がる生き物だからだ。また、変えるからには、それ相応の根拠が必要となる。なぜ変えた方がいいのか、どうやって変えるのか、また提案する際のアプローチ方法まで考えて実行ができれば、それは立派な仕事だと考える。

翻って、このnoteを読んでいる人たちが今やっている仕事は「仕事」として成り立っているだろうか。

言われたことをやる、分からないことはすぐ聞く、速度を重視して提出する。
いずれも、新人のムーブとしては正しいと思う。しかし、いつまでもそのフェーズに留まっていると、仕事ではなく「作業」を任されるようになってしまう。

例えば5年目の社員が50%くらいの仕事を上司に出すことはありえない。いくら早い段階で進捗を確認したいと言っても、確認することにもコストがかかるし、それを戻してまた確認するのは時間のロスだ。考えられる限り試して、飽和した段階で確認すればいいのだが、どこまでいったら飽和しているのかが分からないということもある。そこは常に利害関係にある相手と接し続けていれば、「ここまでいけば満足するだろう」という感覚的なものにも由来するので、なかなか難しい。現場の目線に立ち続けて、考えるしかないだろう。

また、マニュアルを見れば分かることをわざわざ質問するのもナンセンスだ。

質問という行為が尊いことのように持て囃されるが、質問が尊いのはそこに何らかのバリューが生まれる時に限る。みんなが分からない事を言語化できることに価値があるのであって、分かることを言語化するのはマイナスからのスタートだ。こうした質問も作業を繰り返し行なっていて、自分で何かを担当している自覚がないから生まれる現象だ。

この辺りはかなり自戒も含まれているが、作業をしている間は一定の「何かをしている」という「気持ちよさ」が生まれてしまうのも事実だ。質問も同じく、会議に出たら何か発言するということばかりに頭が向いてしまい、質問をするという行為に酔いしれて、なぜ質問するのかという視点が抜け落ちてしまいがちだ。

「仕事」は気持ちよさが限りなく得られにくいゲームとも言える。相手の言うことを100%聞いていたらリソースが足りない。また相手が正しいと思っていることは自分の側からしたら間違っていることもある。そうしたものを調整した結果生まれる何かを形にするために作業を行い、またその成果物を今度は相手に提出する。提出したらまたダメ出しを受ける。なんとか通ると、今度はさらに高いクオリティが求められる。

このような過程を繰り返していると、段々必要な情報が上司の頭から抜け落ちてしまう。そこを捕捉しながら、自分が頭の一部になることが「仕事」だ。組織というものは、誰かが中心の頭となって、その他の人間は頭の補完を行うということに本質があると思う。

頭の補完を行うためには常に考え続ける必要がある。考えなければ単なる手足を行う「作業要員」となってしまう。

2.思考回路の制御


仕事では気持ちいい思考というものはあまり役に立たない。思考といってもいいし、人によってはマインドと言ってもいいだろう。
気持ちいい思考というのは頭の良さをひけらかすような知識自慢とか、おおよそ社会には受け入れられないような悪趣味な考えばかり思いつくような思考、自分のせいにされないように言い訳を考える思考が例に挙げられる。

これらのような思考回路を持ったまま仕事に臨んでいると、適切なアウトプットができない、周りの人と信頼関係を築きにくい等、仕事がうまくいかない可能性が高い。

ではどうしたら気持ちいい思考をやめられるのか。これは欲望を発散するしかないと考えている。

気持ちいい思考をついしてしまう人が何故その思考から抜け出すことが出来ないのかといえば、それは気持ちいい思考を現実世界では受け止められなかったからであろう。

一般的には受け止められないような思考であることを自覚しているが故に、かえってフラストレーションが溜まってしまい、余計思考に依存してしまう。こういった悪循環があるのだ。
(例:小さい頃にゲームを買ってもらえず、大人になってからゲームにはまる人)

こういった悪循環を断ち切るためには、無駄な思考を誰かに見てもらいながら垂れ流して、一定の承認を得つつ、それに飽きるというプロセスを踏むことが効率的だと考える。

こうしたプロセスを踏んで、無駄な思考を減らしたら、後は現実世界で求められているものに頭の方向を向けることが重要だ。寄り道として気持ちいい思考をしてもいいが、主軸は会社で求められる思考や、友人や恋人との遊び、同期との呑み会等、やろうと思えば考えることは沢山ある。若いうちは不貞腐れずに正しい方向に思考を向けることが重要だ。

3.知識を得るのは現実世界から


数多の本や人間と出会うのはやはり現実世界に限る。逆にyoutubeやTwitterから学ぶことは少なくなってきた。ネットから学ぶのはせいぜい1年間で、それ以降は大抵話がループしていることが多い。

第一ネットには現役のプレイヤーはあまりにも少ない。全員が偽物とは言わないし、むしろ本物だった人が多いと思う。しかし、情報商材を売ろうが、それを叩こうが、その行為が本物とか偽物を決める訳ではない。ただ一つ言えるのは現役で活躍しているプレイヤーでそんな事をしている人はあまりいないということだ。

強いて言うならば、淡々としている人を参考にするべきだろう。淡々と何かをしていて無駄がない人は活躍しているプレイヤーである可能性が高い。後は普段は日常を呟いている人だ。(ただし知らない人の日常生活をずっと見続けるのもしんどいので、たまに見るに限るが)

現実世界から情報を得ようとすると、とにかく集中できる。相手と自分が干渉しあって対話をするのだから、ネットで情報収集するよりも、何倍も定着しやすい。また、現実世界では相手と話して好印象を与えると別の人を紹介してくれたり、本でも引用先を辿ると新たな本に出会うことができたり、情報が情報を呼び寄せるという現象が発生する。この情報を呼び寄せるという現象は一見するとtwitterやyoutubeでも起こり得るように見えるが、それらのSNSでは先ほど挙げたように「気持ちいい思考」に誘導するような情報ばかりがアルゴリズム上出てくることが多い。だから学びが少ないのだ。

4.投げやりになって損をするのは自分


仕事で辛いことがあったとしても、投げやりになったり、感情を出したりして損をするのは最終的に自分だ。

これはいかなる場面においてもそうだ。単に仕事のタスクが多い時等の振る舞い方は言うまでもなく、ハラスメント等も然りで、淡々とやるべきことをやる、できる限り最大限考えて、最適解を動く。これが仕事をする上で必要な振る舞い形だ。

一つ勘違いしないで欲しいのは、自分を押し殺すということとも微妙に違うということだ。あくまでも最終目的のために淡々と個々の手続きに対して感情的にならないということに過ぎない。

感情的になると周りからは自分がしていることにバイアスがかかってしまうし、それをうまく使える人ならいいが、たいてい一度感情に引っ張られて物事を引っ掻き回すと、それが癖になってしまい、何度も同じことを繰り返す。
そういった環境を変えるにしろ抜け出すにしろ、個々の場面では取り乱さないことが重要だ。そもそも感情的になるのは物事に対して何らかの期待をしていたり、失うのが怖いからだ。究極的に言えば、その場面場面で辛い思いをしたところで、それが永続的に続く訳ではないし、本来的には何も失うものもなければ何も得ている訳でもない。ただ淡々と日常が続いているだけだ。

とはいえ、仕事がうまくいかないなら、パーっと遊ぶに限る。年をとれば取るほどどんどん遊びで得られる効用は減少する。同期でも大学時代の友人でも良いから人間関係をこまめにメンテナンスして、感情の正しいアウトプット方法を身につけて(カラオケで熱唱するとか、ジェットコースターで叫ぶとかでもよい)、仕事は仕事として割り切って動くことが望ましい。

5.戦線を拡大し過ぎない


二つの意味があって、一つは不要な発言が命取りになるということだ。そして、もう一つは自分が良かれと思ってキャパを増やしているとしんどい思いをするだけではすまなくなるということだ。

一つ目の不要な発言については、言葉を喋る時もそうだし、メールでも然りだ。もれなくダブりなく説明しようとするがあまり、本来必要ではない情報、その段階では伝えるべきではない情報を伝えてしまうことで、相手に心配をかけ、不要な準備体制を招き、全員がリソースを消費するというあまり好ましくない結果を生み出すことに繋がる。

またメールでも、より幅広に伝えようとするがあまり上記と同じ現象が起きる。もちろん、CCに入れるべきではない人物を入れるなどもそれに該当する。

とはいえ、最初からそれらを100%にしようというのも不可能なので、ある程度地雷を踏むのは許容しながら動くしかない時もある。逆に地雷を踏んだ方がかえって身に染みて覚えやすくなる時もある。いつ地雷を踏んでも良いように周りからの信頼ポイントを貯蓄するなど、ダメージコントロールを日々心がけよう。

二つ目のキャパを増やすことについて、場合によって分かれるが、キャパを増やしても、達成ができなければ何の意味もないということを覚えていて欲しい。

例えば無駄に資格試験を受けてもお金や時間がもったいない。業種によっては使わない資格を自己研鑽で取ることは素晴らしいことだとは思うが、結局会員費が高くつき途中で抜けてしまったという事例はよく聞く。

また、人間関係における基本的な話だが、遊びに行く時も、多くの予定を入れるがあまり、自分のストレス発散ばかりが先行していると一緒に遊んでくれるの人からの印象も悪くなる。疲れているからといってドタキャンするなら、そもそも予定を入れない方がいいし、また、恋人だと疲れを露骨に見せられて、あまりいい思いはしないだろう。最も自分が相手にそれほどの価値を抱いていないという証明でもあるが、人によって器用に態度を使い分けているつもりでも、どこかで他の人にもボロをだしている。
何のためにこの予定を立てるのか、この行動で何が生まれるのか、自分のキャパシティはどれほどなのか、良い大人なのだから、考えて仕事以外の物事を進めよう。

6.若いうちは本業に力を入れる


決して副業を否定する訳ではないが、若くて成長する可能性がある段階では、なるべく本業に思考リソースを割いた方がいいと考える。これは社内の呑み会等のイベント等も含めての話だ。
本業は本来の自分で扱うことのできないような金額を扱うことができたり、普通では会えない人を出会うことができる。そして往々にして、相手と必ず利害が一致することは少なく、何かミスをした時にも逃げることはできない。だからこそ踏ん張りを効かせる習慣が身につくし、素の自分から背伸びした自分がやがて固定化されるようになる。もちろん勘違いしてはいけないのは、それらの効用はあくまでも組織のネームバリューや長年構築されてきたシステムのおかげということを忘れてはいけない。

副業はどうだろう。考えて動き続ける副業ならば個人的には学びが多いと思うが、大抵の副業は一度仕組みを作った後は、単なる作業が続くもので、あまり学びが少ないのではないかと思う。もちろんお金が入るのだから綺麗事は言ってはいられないが、副業はある程度自分で客層を選ぶことができて、コンフォートゾーンにハマりやすい。完璧なシステムとして徹していればそれでもいいが、自我を出して露出し始めたら、楽な環境に置かれる上に自分の思考回路が副業よりになってしまう。窓際おじさんにとっては最適解かもしれないが、遊びも仕事もまだまだの若者にとっては本来本業で得られる価値を阻害する要因になるだろう。

なので、副業はある程度、本業の伸びの上限が見えてからに限ると思う。もしくは自分が介入しないように他人に運用を任せる等も一つの手だろう。

7.なんのために仕事をするのか


仕事をする目的の本音ベースは、人によってお金稼ぎ、出会い探し、暇つぶし等だろう。そして、それは決して恥ずかしいことではなく、むしろ生き物的には自然なことだ。
逆に本来自分が目的と思っていないものを上から刷り込まれて目的だと勘違いしている方が危ない。パーパス経営はあくまでもお約束的なもので、自分のやりがいと、顧客の利益をごっちゃ混ぜにすると、かえって本当のニーズが見えなくなってしまう。

批判するばかりもどうなのかと思うので、自分が仕事をする目的をここに述べると、それは歴史を生で見たいということに尽きる。こんなことは社会人としてあまり良い回答ではないと思うが、それでも歴史の動きを常々感じているし、もし自分がそこに少しでも手を加えられるなら、例え表舞台に出ないとしても、それはとても喜ばしいことである。

仕事の目的、やりがい等、究極的にはなんでも良い。もちろん目的以前の基本的な待遇や環境は重要だが、それさえ満たせていれば、後は帰りがけのラーメンがうまいとか、たまに○○さんが面白いこと言うとか、そんなのでもいい。大きな夢も良いけど、日常的な喜びで満足できるなら、こんなに幸せなことは他にないと思う。

おわりに


仕事ができるというのは、ある意味ではスポーツがうまいとかとそう変わらないところがある。再現性があるかないかでは、そもそも多くの人が同じスペックを持っている訳ではなく、環境も違うのだから、参考や勉強にはなれど、模倣はかなり難しい。センスの問題が大部分を占める。かといって、うまくもないゲームを延々とやることも苦痛だから、ある程度参考にしながら自分なりのブレンドを作ることも必要だと思う。

大学まではここで何をして、お金はどこで使ってというある程度のガイドがあったが、もはやそういうものもない。いきなりオープンワールドに放り出された気分だが、ゲームは場慣れするまで根気強く取り組むに限る。
ここまで書いたことが誰かの参考になれば幸いである。

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