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やらなければ自惚れていられるのに

絵を描くのがずっと得意だと思って生きてきました
小学校や中学校の時は毎年市の展覧会に何かしら飾ってもらえていたし、図画工作の成績は割と良い方だったし、何より絵を描くのが好きでした

大学生になり図画工作の授業はなくなり絵を描くことも無くなりました
美術系の大学なので周りにデッサンの授業を取ったり自分のイラストで展示を開催したり絵を描いている子は沢山いました
その子たちを見るたびにかっこいいなと思いながら、私も本気を出したら「描ける」と思っていました

絵を描きたくなる瞬間があります
それは読んでいた小説の一節の背景や、好きな曲のイメージや、大切な友人に感じるオーラみたいなものや、あの日のライブハウスで見た視点の記憶とか
少し抽象的な、頭の中の、靄のかかって見えるそれが描きたくなります

いつも、いつでも描けると思いながら実際に描いてみたことはありませんでした
今頭の中にあることが実際に描いたとき「ものにならない」ことが怖かった

でも今日は調子が良くて、横にあったロルバーンのノートに、シャーペンとマッキーで描いてみました。

全然上手く描けませんでしたねぇ、、、
でも当たり前かーとも思えました。
昨日読み終わった坂口恭平さんの「継続するコツ」という本に、そんなようなことが書いてあったからです。詳しく書くのは面倒なので読んでくださいね、すみませんが(笑)でも要はやり続けることが才能で楽しいことだと、言っていたような気がします。
上手くは描けなかった。でも描くことができない、というわけではなかったです。描いていないだけだったから

描いてみて自分でも「あー、なかなかイタいな」と思いつつ、これで今は良いと思えました。そう思えたことが、引いてあった白線を踏み越えることを怯えた足を、一歩前に出した感覚がしました。
もっと描いてみればいいのに、こわかったのねと、自分の背中をさすりました。
ダサ坊はダサ坊のまま、イタいまま
自分の恥ずかしさを目の当たりにして羞恥で死につつ、いつか本当の意味で自惚れたいです



飛行機のエンジンがとまると、あたりはしんとした。風のうなりだけがかすかに耳に届く。
よく晴れた秋の午後で、雲ひとつなく、世界中が余すところなくクリアに見えた。ごつごつした山の稜線や、松の木立や、点在する白い家並みが眼下に広がり、向こうにエーゲ海が光っていた。僕はその上を漂い、さまよっていた。
すべては非現実的に美しく、静かで、ずっと遠くにあった。
これまでものごとをひとつのかたちに束ねていた帯のようなものが、何かの加減でほどけて落ちてしまったみたいに思えた。

そのときに、自分がこのまま死んでしまったとしてもおかしくないと感じた。
僕にとっての世界はすでにほどけてしまっていて、これから先の世界は僕とは無関係に進行していくんだな、と。自分が透明になって肉体を失い、五感だけがあとに残って、残務処理みたいに世界を見納めているのだという気がした。
とても不思議な、ひっそりとした心持ちだった。

ロードス島の上空で・村上ラヂオ / 村上春樹
白黒にして極限まで雰囲気出しました(自白)





てか普通に村上春樹作品読んだことなくて、今日ブックオフで初めて飼いました。ノルウェイの森とか有名なのと迷ったけどラジオが好きなのでこれにしました。

てか普通に村上春樹読んだことないの恥ずかしいな、大学の教授は「川端康成と三島由紀夫と村上春樹読んだことない奴はありえない」って講義で言ってました。確かに有名ですもんね、いやずっと読みたいとは思ってたんですよ。

てか普通に村上春樹読んだことないの恥ずかしいっていうやつの方がありえねーよな?????誰だって読んだことのある本と読んでない本はあるわけで、あなたが読んでない名作を私は読んだことがあるわけで、それも別に一般的に名作と言われていなくたって、私の中での名作は本当に命をかけて叫びたいほど名作なわけですし、本を読まない人だって我々が本を読んでいる間に本当に素敵な音楽の名作や美術の名作や経験の名作と出会っているかもしれないわけで有りまして

てか普通にうるさいですよね、
読んでくれてありがとうございました
おやすみなさい

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