恒岡章さん(Hi-STANDARD)
最初にお伝えしておきますが、私はHi-STANDARDの熱心なファンではありません。
ハイスタのライブは何度も観ているけど、WRENCHやGMF、COCOBATといったバンドと対バンしていたからであって。
ハイスタを目当て観に行ったのは、ほんの数回だと思います。
それでも、90年代半ばから後半にかけてライブハウスでしょっちゅう顔を合わせていたツネちゃんの訃報はショックで、まだ動揺しています。
* * *
ハイスタのメンバーの中で最初に話すようになったのは健ちゃんで、次は難波くん。
健ちゃんは1994年8月。難波くんも同じ年だったと思います。
ツネちゃんと話すようになったのは、1996年ですね。
彼と話すようになったころ、その年の7月にリリースされたDE LA SOULの4thアルバム『STAKES IS HIGH』を猛プッシュされたので。
そのことを書いたnoteを公開した直後に、彼の訃報を知ったのです。
(あとから少しだけ加筆して、記事のタイトルにツネちゃんの名前を加えました)
DE LA SOULのデイヴが亡くなったことが悲しくて「あの日、小滝橋通りのロフトの前でツネちゃんに熱弁されたから好きになったんだよなぁ」と思いながら、noteを書いたのに・・・。
ツネちゃんとは、レアグルーヴやブラックミュージックのことばかり話していた気がします。
当時、あの界隈でそんな話をできる友人は少数だったので。
スマホどころかガラケーさえ持っていない時代に固定電話で長々と、酒を飲みながらファラオ・サンダースの話で盛り上がったりして。
ツネちゃん、「ファラオ・サンダースのアルバム、全部持ってるよ」って言ってたな。
(そのファラオも、昨年亡くなってしまって・・・)
デイヴの追悼記事に付け加えた写真を撮ったときも、ツネちゃんは私が着ていたBLACK JAZZのTシャツに反応していました。
熱心なファンでもなく、そもそもメロコア自体が苦手な私が、ハイスタのレコードを買ったり、たまにライブを観に行ったのは、3人がいい奴だから。
久々に初期の音源を聴いて、懐かしい気持ちになりました。
謹んで哀悼の意を表します。安らかに。
サポートしていただけましたら大変助かります。 いただいたサポートは、両膝の前十字靭帯再建手術と変形腰椎症の治療に使わせていただきますので。