サワジータの部屋
サワジータの部屋は、小さな通り沿い。昼間は子供達が路面に丸や三角や四角をかいてケンケンで遊ぶ声が響くのどかな場所にある。
そこでサワジータは日がな一日訪れる人の話を聞いている。月に2回のお休みのほかは毎日。たっぷり43年間続けているが、訪れる人が途絶えたことはほとんどない。
もともとはお菓子屋で働いていた。そのころのサワジータは控えめで目立たない、ごく普通の若い女性だった。けれどもある日、「街で一番の美女」の相談にのったことが、その後のサワジータの生活をがらりと変えた。
二人から求婚されて困っている、というのが「街で一番の美女」の相談だった。二人に悪くて、と涙ながらに語る彼女の肩を抱き、サワジータは熱心に話を聞いた。
「私はどうしたらいいんでしょうか?」
サワジータは返答に困った。サワジータには恋愛経験がない。ましてふたまたなんて。太陽が西から昇ることになっても縁のない話なのに。悩んだあげく、サワジータは彼女に自分の思うところを素直に述べた。
「好きな人が二人いて、二人共から好かれるって、すごいことだと思うわ。あなたをうらやむ女性はきっと大勢いることでしょうね。」
彼女と別れたあと、サワジータは少し後悔した。私ったら、ものすごくとんちんかんなことをいってしまったのはないかしら、と。
しかし翌日、彼女は晴れやかな笑顔でサワジータにお礼を言った。
「ありがとうございます。サワジータさんのおかげで心がすうっと軽くなりました。」
「良かった。でも、私は何も。きっとあなたが自分で解決したのではないかしら。」
彼女はサワジータのこの言葉にいたく感動した。そうして少し元気のない人を見かけるたびに、こう声をかけるようになった。
「何か悩みがあるときは、サワジータさんに聞いてもらうとすごく楽になりますよ。」
最初はサワジータの働くお菓子屋の店頭に時折悩める人が訪れる程度だった。が、そのうち評判が評判を呼び、訪れる人はどんどん増えた。じきにお菓子屋の店先では対応しきれないほど人数は膨れあがり、専用の小さな部屋が用意された。サワジータは皆の強い薦めに抗わずに、お菓子屋を離れ、その小さな部屋に移った。
小さな部屋にはまあるいコーヒーテーブルとソファが二脚。茄子紺色のベルベットのカーテンは訪れた誰かがつけてくれたもので、サワジータのお気に入りだ。
ある暑い暑い夏の日。
「今日は部屋を閉めようかしら」
サワジータにしては珍しく、思わずそう独り言つほどの暑さだった。高齢と長年の運動不足がたたって、ここ数年は体調がすぐれないこともしばしばあったが、月に2回のお休み以外に部屋を閉めたことはまだなかった。
とりあえずソファに腰掛けて、茄子紺色のカーテンが縁取る小さな庭をぼうっと眺めながら、誰かが来るのを待つことにした。窓からはさわやかな貿易風が入ってきて、サワジータの頬や髪をやさしく撫でて行く。それはそれはうっとりするほどの心地よさだ。
やがて小さな部屋に一人の青年がやってきた。彼は医者で、サワジータの体調を心配し、一日に一回は様子を診に来ている。
「サワジータさん、こんにちは。」
ノックをして挨拶をしたが、返事はない。主治医は扉をそうっと開けながら部屋の中へと歩を進めた。小さな部屋の中で、サワジータの姿はすぐに見つかった。
「サワジータさん」
もう一度声をかけたがやはり返事はない。窓に向かっていつものソファに深く腰掛けるサワジータは、既に息を引き取っていた。
特に告知をしたわけではないのに、サワジータのお別れ会には大勢の人がやってきて、小さな部屋の前に並び、涙を流してサワジータの死を悼んだ。
しめやかに出棺が執り行われたあと、集まった大群衆の大歓喜の声で、サワジータの小さな部屋の周りは一時騒然とする。
誰も経験したことのない、最高に奇跡的な瞬間だった。みんながみんな、これまで会いたくて会えなかった人との再会を一斉に果たしたのだから。ある人は勘当した息子。またある人は忘れられない恋人。些細なことで絶縁していた朋友を見つけた人もいた。みんながみんな、サワジータの部屋を訪れ、話を聞いてもらっていた「お客さん」だった。
「サワジータさんのおかげだ」
誰かが言った。
「サワジータさんを通じてむすばれていたから、こんな頼りない縁でも完全には切れずに、こうして再会することができたんだわ。」
大群衆は小さな部屋に向き直った。茄子紺色のカーテンが風に煽られて窓から見え隠れする様子は、まるでサワジータが手を振って、みんなにお別れをしているようにもみえた。