経営理念について

「貴社に経営理念はありますか?」というYes/No型の質問であれば、答えられる人がほとんどだろう。
ただ、「貴社の経営理念は何ですか?」という質問に正解を出せる人はそれほど多くないような気がする。
今日は、そんな経営理念について話す機会があったので、ここにも少しだけ記しておく。

経営理念とは何か?

ところで、経営理念とは何だろうか。ここでは(あくまで現時点だが)、かつての師匠に教わった「経営理念とは判断に迷った時の最後の拠り所」という解釈で論を進めていく。

とあるタクシー運転手の例

あなたがタクシー運転手であるとする。あるとき、後部座席を外から何度も激しくノックする人がいた。あなたは慌ててドアを開け、その人を迎え入れた。すると、その客は「とにかく急いでいる!どんな手段を使ってもいいから、30分以内に駅にやってくれ」とまくしたてる。どう考えても駅には30分では着かないどころか、1時間前後かかることがほどんどである。さて、あなたはその客にどう返答する?

経営理念は『安全運転』です

あなたは、この経営理念のもと、客にこう答えました。
「お客様、当社は『安全運転』を経営理念に掲げておりますので、ルールを違反してまでお客様のご希望を叶えることはできません。」
その客は「ならいい!」と怒って出て行ってしまいました。当然その客からは一円も取れませんでしたが、すぐに別のお客様が見つかり、乗務を続けました。その日は終日安全運転で乗務し、無事に帰宅しました。

経営理念は『お客様の要望は絶対です』

あなたは、この経営理念のもと、客にこう答えました。
「お客様、当社は『お客様の要望は絶対です』を経営理念に掲げておりますので、ルールを違反してでもお客様のご希望を叶えてみせましょう!」
その客は「助かる!狭い一般道が多いが、時速100kmで一気に行ってくれ!」と喜びました。数多くの交通違反を犯しながら、奇跡的に30分で駅に着くと、その客は請求した料金にたっぷりチップを乗せて支払ってくれました。めでたしめでたし・・・と喜んだ瞬間、多くの警察官があなたを取り囲んでいました。

あなたはどちらを支持しますか?

なお、この問いに正解はない。常識的かどうかを尋ねているのではないからだ。

実際には?

タクシー運転手は二種免許を交付されたプロドライバーである。その大前提から考えても、交通法規の遵守は絶対条件である。その意味ではこの客の要望を断ることが正しいように思える。
しかし、『お客様の要望は絶対です』という経営理念を最後の拠り所にするならば、交通違反を犯してでもタクシーを走らせることが間違いではなくなってしまう。なぜなら、交通違反をしてでも30分以内で駅に着きたいというお客様の要望を叶えることが最優先だからである。

何がまずかったのか

さて、数学には背理法という考え方がある。2の平方根が有理数か無理数かを証明する際に、有理数と仮定して論理を展開すると矛盾が生じ、有理数という仮定が否定され、無理数であると導く手法である。
この背理法の考え方に従うと、『お客様の要望は絶対です』という前提条件に「交通法規の遵守」の思想が含まれていなかったことが敗因である。ただ、その反省をもとに例えば『交通法規を遵守するということが絶対条件になりますが、お客様の要望は絶対です』という経営理念にしてしまうと、冗長すぎて却って責任逃れのような印象を持たれてしまうのではなかろうか。

結論

【簡潔は智慧の妙諦なり】(シェークスピア)という言葉がある通り、話というのはできるだけ短い方がわかりやすいし潔い。経営理念も同じで、できるだけ短く、それでいて最後の拠り所としてふさわしい内容がよいのではなかろうか。『安全運転』が最適解かどうかは議論しないが、この4文字がタクシー会社の命運を握る言葉であるというのはご理解いただけると思う。

今回の例はかなり極端ではあるが、最後の拠り所である経営理念によって、一つの事象の結果が真逆になりうることを見てもらった。それほど、経営理念というのは重いものなので、一朝一夕に掲げられるものではない。日々変わっていく時代の中で、普遍性の強いキーワードを見つけるのは骨が折れるが、この会社が最も大切にしているものが何かを簡潔に表現できる言葉、それが経営理念なのではなかろうか。

編集後記

ある時、ある方とお話をしたときに差し上げた話を、やや改変して書き記してみた。実は私自身、まだ経営理念を掲げていない。後継者が経営理念を掲げるのは、創業者以上に難しい。ただ、日々経営理念になりそうな言葉を探しながら経営を続けることで、いつか素晴らしい経営理念を掲げられると信じている。経営理念の話は、また何かの時に触れてみたいと思う。

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