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学校ギライの勉強好き
つい先日人生初の授業参観へ行った。30年以上ぶりの学校に『おお~!学校だよ~!!!』と喜び勇んで参加したものの、授業参観・保護者懇談会が終わるころには『おお…おお…』と亡者のごとく虚ろな目で独りごちていた。
新一年生の子どもたちは一生懸命授業に取り組み、担任教諭も優しく穏やかに40人近くの子に内容を教えてくださっており、その点に関してただただ感謝である。(万が一私が教壇に立ったら10分もたずに逃げ出すだろうし)
ただ、教室がしんどかった。じゃれ合う子どもたちで教室内はざわめき、保護者懇談会ではやたらに硬い椅子にちんまり座り、いつものようにぼーっと思いを巡らせる余裕がなかった。学校はありがたい、先生の技量も素晴らしい、子も学校を気に入っている。ただ、私にとっては生き地獄だった。帰宅後一歩も動けず翌々日まで布団にくるまってじっとするくらいには地獄だった。
昔から学校ギライで、40近くになってももっと拍車がかかっているが知識を得ること自体は好きだ。自分の収集癖とも合わさって次から次へと興味のある事柄を調べまくることはとても楽しい(知識だけの収集癖だとモノが増えずに済むのですごく良い)ため、勉強自体は好きだ。高校生のときに親の中古PCを譲り受けて以来、今日まで飽き足らずにインターネット上をふらついては何か面白そうな情報を探し続けている。体と頭が動く限りは一生やってる気さえしている。
小学生のころは教室内の騒がしさに耐えきれず『うるさい!!!』と怒鳴っていたし、中学生では教室が嫌だったので時々保健室で寝っ転がっていた。高校では不登校になって公園や図書館で時間を潰し、大学では片道2時間かけて保健室登校をしリタイヤした。つくづく学校との相性が悪い、と感じる。ピアノも長年習ってきたが、ヤマハ音楽教室の集団レッスンを小1でやめて個人宅でのレッスンをしてもらったから続いたのだろう。
集団生活に対し悲しいまでに不適応を起こすのは、マルチタスクへの不得手さ由来なのかもしれない。教室のざわめき、クラスメート間のコミュニケーションの難しさ(しかも流動的)、画一的な授業進行。それらに耐え続けることは私にとって苦行だった。ゼミ形式のような少人数で互いに意見交換しあう授業は非常に面白かったが、すべての授業にそれを求めるのは贅沢なのだろう。
今はネットの発展により、無料もしくは安価で講義を聴けるようになり、私のような知識をせっせと集めたい生き物にとってありがたい時代である。いつまでこの幸運を享受し続けられるかは不明だが、変わらずにせっせと知識を蓄え続けようと思っている
人生は勉強や!
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