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太くしぶとくたくましく

 母は『たくましい』という言葉を嫌っていた。彼女の中では『したたか』と同義だったのだ。幼心に『誰かに対して”たくましい”と評してはいけない』と刻み込まれ、母の前では使わないように気をつけてきた。

 『たくましい』の反対語は『か弱い』である。たくましくあることは自由と同時に責任も背負う。きっと母は生存戦略として『か弱い』を選んだのだろう。『可愛くて、可哀そうな私。だからあなたは私を守ってね』と。弱者の位置は美味しい。己が抱える苦悩を他者に押しつけ、生活の糧を得ることから降り、非難を受ければ『弱者だもん!!可哀そうだもん!!』と幼稚なカードを切る。個人的には悪手以外の何物でもないが、彼女はどこかの時点で抗うことを止めたのだろう。彼女は今生きていれば74歳だ。令和になって幾分か地位向上がされつつあるが、女として日本で生きるのはなかなかにしんどい。ましてや昭和を生きたのだから、私の想像なんぞをはるかに超えた辛さもあっただろう。

 しかしそれは責任から逃げ、自分より弱そうな人間をサンドバッグとして殴る言い訳にはならない。あんたの境遇には同情するが、あんたがしでかした落とし前はきっちりつけてもらいたい、とは心底思う。『弱者』だろうが『強者』だろうが、後始末はできる限り自分でしなければならない。『か弱いオンナノコ』だからといって免除されるわけじゃあない。『弱者』を振りかざせば他者を傷つけて良い、なんて道理があってたまるか。そんなの『弱者』でも何でもない。ただの『卑怯者』だ。


 だから彼女に対する最大のアンチテーゼとして『太くしぶとくたくましく』を是として掲げる。私も『弱者』だ。ひとかどの人物だ、なぞとは生涯言えないだろうし、言い始めてしまったら己が終わったときだとも思う。

 
 今生の持ち時間でどこまでいけるかわからないが、いけるとこまで行きたい。やなせたかしさんのように『まだ死にたくねぇよ』と言えるくらいに存分に楽しむ所存である。『弱い』私を奮い立たせるため、今日も今日とてチャリを漕ぎこぎ『太くしぶとくたくましく』と呟いている。

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