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ゆたか。

おばんです。こまでぃです。

文字をテキストして(本来なら手書きがいいんやけど)
文章でイメージを膨らませてそれぞれの想像の世界で楽しむっていうのが
本を読むとか文字を読む良さがあるんやけど
動画コンテンツが当たり前になってきているから
文字を書いたり、読んだりすることも全体的に減ってきている。
むしろ動画時間を費やすことって増えてきている。
かくいうわたくしもそのうちの一人ではある。
無料で見れるものが増えてきているからこそ
ありがたみが感じられにくくなっているのが現状。
常にあり続けるものに有難さをかんじろ!!いうても
そんなん知りまへんがな!!っていう感じ。
別に動画見れてありがたいなぁ。
クリエイターに感謝しないと!!とか思え!とかではなくて
単純に面白いものがいろいろあると
本当に面白いものって見つけにくいのかなと感じる。
こんだけ楽しめるコンテンツがいくつもあるのに
暇ってなっているのは?なんで?ってなる。
こんだけ世にものやサービスがあふれるとこれよりもっと面白いものとか
求めたりして今あるものなんてそもそも考えないになって
どんどん次、次を求めるし今あるものよりもより刺激的なものと
エスカレートしてくる。
そうするとやがて何を見ても、してもつまらなくなる。
それだけ刺激中毒になっていく。
感謝の押し付けをしたいのではなく、自分の人生を豊かにしていくためには
今あるものに対してどれだけアンテナを張れるか。
動画とかって視覚的要素が強いからイメージさせるというのはあまりなくて
見たものをそのまま受け取る要素が強い。
ただ、文字を読むとなれば文字から連想して脳内でいくらでも
自分の世界の中で言葉とともにディティールを想像して、
想像の世界は筆者と、他人と違うものかもしれない。
それでもいいっていう回答がひとつじゃなくてもいいっていう
あいまいな世界であるというのはすごく生きやすいなと。
脳内での世界をイメージできることが増えれば
別に外的なもので満たそうとしなくても楽しめることが増える。
⇨文字を読むのも書くのも時間かかるしね。
自分で満たせるのは自分のサイクルの一つにもつながるから
自立、自律していくのにもいい感じ。

今って正解、不正解の二元論で成り立っているというか
プロセスとか関係なしで見たものがすべてみたいな
結果がすべてみたいなものの見方が大半である。
なんかあいまいみたいなものが減ってきている気がする。
目に見えるものがすべてみたいな、映像的な判断というか
その背景とか、心理状況とか、行間を読むとかそういったことを顧みず
目に見えるものだけで決めつけるかのように判断する。
遊びがなくてつまらないなぁと。
もっと遊びがあれば余裕も生まれるのではないだろうか。
余裕を生み出していくのは時間ではなく、心からではないだろうか。
心を育んでいくための脳の使い方、楽しむ、面白がるものの幅では
ないだろうか。
今ないものを探すのではなく、今あるものを違ったものの見方で
面白がる事が出来れば、暇なんて少なくなるんじゃないだろうか。
⇨人生がつまらないという意味での暇ね。(時間が余っているという意味ではない。)
心の余裕が何より豊かさにつながる。
お金の余裕と心の余裕どっちも大事。
比べるものではない。比べなくていい。

っていうのを文章だけでnoteに書き記す。
今年は毎週更新したいって思ったけどもうできてへん。
でも大丈夫。無理をするものじゃねえぇ。
心を豊かにしていくことから始めよう。
ではまた。

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