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グルジェフの第四の道からIFS(内的家族システム)に至った私のセルフ・ジャーニー✨

私にとって、自分の中には「一つの心」ではなく「複数の私」がいるという教えとの最初の出会いはG.I.グルジェフの『第四の道』でした。

カリフォルアにあるスピリチュアル・コミュニティに滞在すべく20代はじめに日本を離れ、「複数の私」ではない本当の自己を常に思い出し(自己想起〜Self Remembering)、存在の苦しみを変容する「ワーク」に20年近くコミットしました。

グルジェフは、「いつでも、どこでも、自己想起しなさい」と教えました。具体的な実戦としては、どんな状況でも、何があっても、何をしていても、注意を分割して今ここにいるということです。

注意を分割するとはどういうことでしょうか?
今自分の注意をどこに向けているかに気づいていることとその注意を向けている自分に気づいているということです。注意の分割を練習することは、確かにいつでもどこでも「し始めること」ができます。しかし、練習を継続的にしようとしてはじめて、このことがとても難しいことがわかるでしょう。

注意の分割は、どこに向けるかの矛先を分割することにも練習を展開できます。見ていることに注意を向けながら、同時に周りの音を聞くことができます。両方に同時に注意を向け続けるのです。更に、身体の部位の感覚、例えば椅子に接触している感覚への注意の分割を加えることができます。

今が、いかに豊かでユニークな瞬間瞬間であるかに気づき始めます。

しかし、その時何かが起こります! 友達から急に電話がかかって来ました… 外側の刺激が急に変わった時に、この注意を分割した状態を継続できるでしょうか? いとも簡単に話の内容に引き込まれ、席を立った瞬間、身体の椅子に接触している部位の感覚も見ていることからも注意を失い、友達の話を聞くことだけに注意は固定し、しかも注意を向けている自分という気づきも失われてしまうのです…

自己想起していなかったことに気づいたら、またこの練習を「し始める」ことができます。「いつでも、どこでも」、この練習に何より価値を置いてやり続ける修行です。

時に、その修行の成果として、意識の第3状態というものが訪れます。今ここが明瞭に意識され、それまで眠っていた状態から明らかに目覚めたことがわかるのです。ただ「今ここ」しか存在しないし、どこにも行く必要がないことがただ明瞭なのです。努力なしに注意は分割され、自己を想起している状態です。

夜眠っている状態が「意識の第1状態」で、通常の目覚めている状態が「意識の第2状態」で、この努力なしに注意は分割され、自己を想起している状態が「意識の第3状態」です。この状態において初めて人は自分に対して客観的になれる。つまり、自己知識を得ることができるとされます。

興味を持った方が第四の道のシステムの全貌を知るには、『奇蹟を求めて〜グルジェフの神秘宇宙論』by P.D.ウスペンスキーがお勧めです。

『奇蹟を求めて〜グルジェフの神秘宇宙論』by P.D.ウスペンスキー

このシステムによれば、第4の意識状態というものがあり、この状態で初めて世界あるいは宇宙を客観的に知覚し理解することができます。

どうして自己想起し続けることは難しいのでしょうか?

新しい刺激によって、自己想起よりも大事なことがあると信じる「複数の私」つまりパーツが活性化するからです。そのパーツが大事だと思う「仕事」をやり始めた途端、注意の分割の練習は難しくなるでしょう。「そんな注意の修行はどうでもいいから、この仕事をしなきゃ、終わらせなきゃ」とそのパーツは言うかもしれません。「さもないと…」何か恐れていることが起こる… あるいは何か快楽に溺れるには注意の分割は邪魔だと考えるパーツが活性化する場合もあるでしょう。

IFS(内的家族システム)に出会って、今この文章を注意を分割しながら書いていて興味深く気づいたことが2つあります。

一つは、注意の分割の練習は、パーツの活性化を気づきやすくするということ。確かに、何かの自己イメージがむくむくとパーツとして立ち上がるのです。もう一つは、IFS(内的家族システム)があれば注意の分割の練習がより継続できそうに思ったことです。

なぜなら、しばしば内側で実際に起こっていたのは、「ワーク」の名のもとに自分のパーツに対して厳しい軍曹のように鞭打つことだったからです。

その「ワーク」をまさに手放したとき、ノンデュアリティ(非二元)の教えが指し示す気づきそのものとしての不滅のセルフを私が明瞭に体験したことは、防衛パーツがブレンド解除しリラックスしたとき、常に存在しているセルフが顕在するというIFSの理解とも合致します。

IFSを通じて、鞭打つ代わりにパーツとの関係性を育むことができることは画期的な「道」の進化であり、このノンデュアリティ(非二元)の教えを経た過程も、シュタイナーの人智学に絡めて深く理解できる直観があるので、機を改めて想い起こし考察みたいと思います✨

愛しきパーツたちの豊かさとともにセルフ主導で人生を生きるセルフジャーニーの礎として、自分の人生で体現する探究において、望む人には実践的な道として分かち合えるカタチに表現できればと願っています🙏


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