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『幸福はなぜ哲学の問題となるのか』青山拓央1 感想
読んでないので、分からないのですが、タイトルから、幸福は問題なのかな?と問いが立ちました。
もし哲学が答えを出す手段という事なら、私自身は生きてること自体が幸せなので、幸せは解く問題というか、最初から答えがでているという感じです。
個人的には、幸福という答えを導く手段として哲学があるよりも、幸福とは、問うまでもない答えそのものとして感じており、携えている実感です。
なんでそんなふうに考えるのかを考えると、
自分だけの幸福というのはない。というふうに思っているからだと思いました。
また、自分が幸せになりたかったら、まず自分の周りや社会に目をやり、幸せになってほしいと先ず祈り、動いている。
ということにも繋がります。
私が哲学の問題としているのだとすれば、1人の完結した世界ではなく、他者の幸福を考えることが基点になっているのだと思いました。
自分の幸せと他者の幸せを同時に実現する生き方を哲学的に行動として表したいです。
私にとっての哲学は、自分を幸せに導く手段や計算ではなく、自分が他者を導く行動自体が目的となっており、結果としての幸福というより、行動自体の中に、幸福がある。つまり、目的的な行動哲学がそのまま答えだ!と言えるとヒラメキました🌱
これも、読んでないのにタイトルから考えているだけなので恐縮ですが💦
もしかしたら答えのない、あるいは、沢山答えのある哲学を、手段のようにあれこれ用いるのであれば、先に既にそこにある答えを逆に見えにくくしないか?
と、思いました。
このご本を手にとって、考えを照らし合わせてみたいと思います。
※ちなみにサウナで整いながら考えました。
サウナ最高ー🧖♀️
言葉にならないくらい幸せを感じながらこの内容をヒラメキました 笑
一緒にいった従兄弟は、「スマホを触ってない時間が」幸せと言ってました。それもわかるなぁ🤔
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