見出し画像

映画『グランツーリスモ』〜命を粗末に扱うのがモータースポーツの美学なんですか?

※映画『グランツーリスモ』のネタバレを含みます

世界的人気を誇る日本発のゲーム「グランツーリスモ」から生まれた実話をハリウッドで映画化したレーシングアクション。
ドライビングゲーム「グランツーリスモ」に熱中する青年ヤン・マーデンボローは、同ゲームのトッププレイヤーたちを本物のプロレーサーとして育成するため競いあわせて選抜するプログラム「GTアカデミー」の存在を知る。そこには、プレイヤーの才能と可能性を信じてアカデミーを発足した男ダニーと、ゲーマーが活躍できるような甘い世界ではないと考えながらも指導を引き受けた元レーサーのジャック、そして世界中から集められたトッププレイヤーたちがいた。想像を絶するトレーニングや数々のアクシデントを乗り越え、ついにデビュー戦を迎える彼らだったが……。

映画.comより

見る前は期待していた。前評判もなかなか良かったし、僕の中では数年前に見た似た題材の『ALIVEHOON アライブフーン』(同じくゲーム出身のドライバーがプロドリフト選手になる物語)が思いの外良かったというのもあって、『ラッシュ/プライドと友情』『フォードvsフェラーリ』に並ぶ近年のモータースポーツ映画の名作の仲間入りを果たしてくれるのではないかと、密かに期待していたのだ。

でもそれは叶わなかった。僕はこの映画は超のつく駄作だと思う。でもそれは僕がモータースポーツファンで、「シルバーストーンやサルト・サーキットが舞台のはずなのに大半がハンガロリングで撮られているじゃないか」とか、「最終ラップで6秒の差をひっくり返すのは無理だろう」とか、「なんでLMP1クラスの車両が映らないんだ」とか、そういうマウントじみたクレームを付けたいというわけではない。それくらいは承知の範囲内だし、別に映画内世界に破綻をきたすほどの間違いではない(し、何よりも大事なことだが、しっかり”それらしく”見えていたので、プロダクションという部分ではかなりいい仕事をしたと思う)。僕がナシだと思ったのは映画としてかなり凡庸なキャラクター配置(特にヒロインのあり方は2023年の映画とは思えない)と、中盤にあったある展開(とそれが含意するメッセージ)についてである。前者については僕がわざわざ言うことではないと思うので、本稿では後者について、いちモータースポーツファンとしてつらつらと書いていこうと思う。

美化された<死>

早速核心に迫るとしよう。僕が心底胸糞悪いと思ったのは、中盤、主人公のヤンが起こしてしまった死亡事故と、そこからの回復の描かれ方である。

物語の中盤、実際のレースにも慣れ始め、自信がついてきたヤン。だがそこでマシンが宙に浮く事故に見舞われ、彼自身は無事だったものの観客の一人が死亡してしまう。これは実際とは時系列が逆ではあるが、実際に起こった事故である(映画内のクライマックスで描かれるル・マン24時間レースが2013年、この事故は2015年)。

もちろん僕はこの事故について、ヤンに責任があると言いたいわけではない。映画内でもしきりに言われていた通り、この事故についてヤンには責任はないと思う。

しかし、だからといってこの事故が誰にも責任のない「不慮の事故」だということにはならないのである。風が強まっていることをドライバーに伝えていなかったチーム、そのような事故が予想できるレイアウトをそのままにしていたサーキットの設備責任者、レース主催者にしっかりとその責任はある。

だからこそ、その後ヤンのメンター的存在であるメカニック=ジャック・ソルターが「レースは危険だからこそ美しいんだ」みたいなことを言うシーンがあって、そこが本当に許せなかった。肝心なところで正確ではない引用で申し訳ないが、この一連のシーンで受ける印象は概ねそんなところだろう。

いちモータースポーツファンとして、という前置きもいらないくらいに当たり前の前提だが、「命がかかっているから美しいんだ」みたいなロマンチシズムは糞食らえである。もちろん安全性の進歩が追いついていなかった80年代頃までは、そういった価値観が共有されていたかもしれないが、94年のアイルトン・セナの死亡事故以降、モータースポーツ界が安全性の向上を第一に掲げながら進歩を続けてきたことは間違いない。そんな中でも残念ながら死亡事故というのは(ドライバー、スタッフ、観客含め)今もなお起き続けている。でも誓って言えるが、それが見たくてレースに関わっている人など一人もいないし、そこに美など存在しない。

レース競技中の死亡事故という痛ましい事件を、主人公のトラウマとそこからの回復という美談にしてしまうこの映画内の展開は、全く持って許せるものではない(実際のヤン選手の心境とも違っているだろう)。こんな神風特攻隊的な価値観が、モータースポーツの美しい側面では決してない。でも、万人にも伝わる形でモータースポーツの本質を描くのは、本当に難しいのではとも思うのだ。

なぜこのような見せ場が用意されたのか

なぜ映画製作陣は、実際の時系列の順序を入れ替えてまでこの一連のシークエンスを入れたのだろうか。それはやはり「キャッチーだから」ということなのだろう。

例えばこの映画をきっかけに初めて自動車レースを観戦する人がいたとして、この映画ほどの感動を得られる確率は極めて低い。実際のレースというのは例えば5秒の差を10周かけて縮めることだったり、タイヤの摩耗と燃費を管理しながら2時間を走り切ることだったり、緻密な計算とチームワークに基づいたピット戦略でコース上ではない追い抜きを仕掛けることだったりする。もちろん、車同士が火花を散らす接戦だって起こるが、それはレース時間の10%にも満たないかもしれない。「実況するのが実は難しい」とアナウンサーが言っていたのを覚えている。車は常に動いているが、展開の動きは目に見えないところで起こっているのだ。自動車レースとはそれほどに地味なスポーツなのである(だから、24時間レースなんてとてもじゃないが全部見てられない)。まあサッカーだって90分やって1−0の試合だってあるわけで、どのスポーツもそんなものだったりするのかもしれないが。

我々モータースポーツファンは、そういった「時たま」訪れる激しいドラマや完璧な戦略、あるいはこれまでの歴史の蓄積による「物語」を楽しんで見ているわけだが、それを映像にして誰にでもわかるように提示するのは不可能だろう。だからこそ『グラン・プリ』『栄光のル・マン』から『ラッシュ/友情とプライド』『フォードvsフェラーリ』に至るまで、モータースポーツ映画には必ず大きな事故のシーンが入れられる。危険を冒すドライバーたちの勇敢さの象徴として(そこにはマチズモがあるだろう)。でも我々モータースポーツファンは、コース上で誰かの危険を脅かすようなことは「何も起こらない」レースを望んでいるのである。それでは面白い映像にはならない、というのがモータースポーツ映画のジレンマである。

「見せ物」としてのモータースポーツ

ここから先はぼく個人の意見で、モータースポーツファンの総意ではないかもしれない。でもぼくは、ドライバーや観客の安全が確保されないのであれば、実際にドライバーが車に乗ってサーキットを走らなくてもいいと思っている。遠隔操作の技術が発達していったらドライバーは車に乗らなくてもいいし、それでも観客の安全が脅かされるのであれば、ヴァーチャル世界でe-スポーツとしてやればいい。いずれ誰かの命が犠牲になる前提でもやらなければいけないスポーツなど一つもない。

それでもそういう流れになっていくのが想像できないのは、やっぱり1トンくらいある金属の塊に人間が乗って猛スピードで走るという行為には、(それが命がけだからというわけではなく)バカバカしさにもにた畏怖の念のようなものがあるからだと思う。だから生身の体を使った自動車競技は、今後は単なるスピードの追求ではなく、「見せ物」としての側面が強くなっていくのではないかと思う。そうじゃないと誰ももうやりたがらないだろうし、スポーツとしての発展は見込めないだろう。(その点、ドリフト競技を描いた『ALIVEHOON アライブフーン』はその「見せ物」的側面と映画との相性がよく、優れた映画だったように思う)

映画『グランツーリスモ』は駄作であったが、自分が何を求めてモータースポーツを観ているのかを改めて考えさせてくれたし、e-スポーツこそがモータースポーツの未来なのではないかという考えを強めてくれさえした。

かつては「現役最強」と言われながらも、肉体的な衰えを感じて引退した50歳のレーシングドライバー。そんな彼のセカンドキャリアはまさかのe-スポーツ選手…?!「実際の車での経験がここで生きると思うなよ、老いぼれ」周りの選手に馬鹿にされながらも、「汗も痛みも、ここにはない…涼しい部屋で、走りに100%集中できる!!」とその才能を徐々に開花させていく…続編映画『グランツーリスモ2』は、ぜひこのお話でお願いします。

最後に、おすすめモータースポーツ映画

だったらあんたの納得の行く映画はなんなのさ、ということで。

『アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ』

ドキュメンタリー映画。F1におけるドロドロとした人間模様の中で、純粋にレースをしたいというアイルトン・セナという人物の内面像が浮かび上がる傑作。

『ラッシュ/プライドと友情』

実話を元にしていて、事故を大々的に描いてはいるが、それは悲劇として描かれているし、その中で生きる人達は狂人として描かれているので不満なく見れる。なによりハントとラウダ、二人のライバル関係に主軸をおいた脚本が見事。傑作。

『カーズ』シリーズ

クルマが喋って動き回るので可愛くて楽しい映画なのですが、実はアメリカのモータースポーツ文化をしっかりわかってる人が作ってる感があって、よくできています。マックイーンのキャリア終幕を描く第3作が特に秀逸。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?