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今日は今日は今日は

私の文章の書き方として、「同じ表現を何度も使うのを避ける」というものがある。
これは別にある名詞について呼び方を統一しないとかそういう話ではなく、例えば文末の「~だ」「~である」などが連続して用いられないように気を付けているという話だ。

そうした表現を連続することで効果的な表現力を得るレトリック的な用い方をするのではない限り、そちらの方がなんというか自然な気がしないだろうか。
これに気をとられて逆に自然に文章を運べなくなるということもままあることだが、ともかく私はそうしたやり方で表現が読み易くなるように心がけている。

ところが最近の私ときたら、文末でこそないものの、noteの始まりの一文がほとんど「今日は」「今日も」の一辺倒で、多様性というものが全くないのだ。
もちろん多様性のない生活をしているのが原因ではあるものの、ほとんどの文章がそうした始まり方をしているとなれば、読み物として面白くないのではないかという気がしてくる。

このことへの対処法も今のところ思いついてはいない。「なにもない毎日」を表現するに当たって、「今日は」「今日も」という始まり方が順当すぎるのである。
順当であるのならそれでいい気がするが、なんとなく納得がいかない。もう少しやりようがある気がするが、そのやりようとやらが全く浮かばないのだ。

こういうのは書いている側だけが気にしている問題なのかもしれないが、やはり気になるものは気になる。
今後も「今日は」「今日も」の表現に甘んじることがあるかもしれないが、その時は「なにもなかったんだな」と思って見過ごしてやってほしい。

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