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誰にも課されていない義務

昼寝から起きて夕ご飯ができるのを待っている間(今日は冷凍チャーハンだった)、「今日はどんな記事を書こうか」ということを考えていた。

どんな記事を書こうか、という言い方だと積極的すぎるかもしれない。
何を書いて「今日もnoteを更新しましたよ」と言い張ろうか、くらいの方が適切だ。

何か書きたいことがある日はいい。丁度昨日とか一昨日とかはアイデアがあったので、それをつらつらと書いて記事の体裁を整えることができた。
しかしやはりアイデアが何もない日はどうしても苦痛を感じるのだ。私は何のために書いているのか?
この義務感としか言いようのない感覚はどういうことだ、私は誰にも義務など課されていないというのに、どうして書きたいことが何もない日にまで無理やり記事を更新しなくてはならないのか。

こういう日はもっと簡単な記事でいいのではないか。
私がこのnoteを始めたてのころ、単に日付をタイトルにしていたように。内容も、今日は何をして何時頃に寝て何をして夕ご飯はこれだった、これから何をしようと思う、くらいのごく簡単なものの方が私の精神衛生上良いのではないか。

少し試してみようかと思う。
もちろん書きたいことがある日はその限りではないが、そうでもない日は事実を羅列して気持ちばかりの修飾を加えるだけで充分だと、そのようにしてみよう。

書くことがないのに書くというのは、技術の向上や名を売るためには有効なことかもしれないが、それを行う個人にとっては非常に不健康なことだ。
もっとゆるくやっていこう。でないといつかますます心を病む気がする。

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