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note開設から一年

noteを毎日更新し始めてから一年が経ったらしい。
特に強制されていないような習慣がこれだけ続くのは私の人生の中では恐らく初めてのことである。ひとまずはそれが純粋にめでたい。

かなりの頻度で「書くことがない」と悩んで、何度もやめてしまうことを想像したが、何故か今日まで連続で投稿できている。
「最後の社会との繋がり」「努力しているという体裁をとるため」「発信していないと逆に苦しくなる」というような理由からくる強迫観念がそれほどまでに強力だったということか。
あるいは、ただ漫然と同じことを繰り返すことへの適性が、「家でブログを書く」ことができる程度にはあったか、そうできるように成長したか。
「これ!」という理由を選び付けるのが面倒なので、候補をいくつか挙げるだけにしておこう。エディターに長時間向かって悩んでいても、勝手に文字数が増えたりはしない。

一年続けて分かったのは、私の文章を作る能力がどんどん衰えていることと、文章を書くのには時間がかかるということである。

普通、一年間継続した習慣に関する能力は成長しそうなものであるが、私は自分に対してそうは言えない。
自分の書いている文章の完成度は高くないという自己評価と、そう言っておかなければ勘違いされるかもしれないという誰に向けてのものかも知れない予防線と、ユーモアが不要な生活から生まれる文章にユーモアがあるはずがないという推測から、私の作文能力は衰え続けていると考えている。
最近の文章ほど、量が少ない上に内容もない、と感じる。実際は一年前に書いた文章を覚えていないし比較してみたわけでもないので、単にそう考えておいた方が私の気持ちが楽なのだろう。

そして、こうした文章を書くのはとにもかくにも時間がかかる。
下手くそなりに少しでも読みやすい文章や相応の内容を提供しようとしているわけだが、当然そうした試行錯誤はそれなりの時間を要する。
私の場合は集中力がないので、あれこれと考えているうちに思考が脱線していたり、エディターからTwitterやらYoutubeなんかの別のサイトに飛んでいたりしている。その結果、文章はロクにできていないのにただ時間だけが過ぎていくという不毛極まる事態を招き、その都度かなりのストレスを背負いこむ羽目になるのだ。

そのため、最近は文章の量や完成度の如何に関係なく、時間をかけずに書き終えるように努力している。
投稿した文章の内容によって気分がよくなったり逆に悪くなったりするようなこと自体稀なので、そうであるならばさっさと終わらせて発生するストレスを軽減したほうがいいだろう、という考えだ。
短い文章で表現するのは、たいていの場合長いこと文章を書き連ねるよりも難しい。未完成の文章を、時間がかかりすぎているという理由で半ばで切り上げて投稿したことも何度もある。
しかし、それでも時間をかけないに越したことはない。別に内容がスカスカでも誰かに怒られるわけではないし、逆に、気合を入れて書いてもかけた時間と閲覧数が必ず正比例するわけではないのだ。内容が二転三転して分かりづらくなっていることも多々ある。
それなら時間をかけずに終わらせることができるような工夫をしたほうがいくらかいいだろう。


このnoteは、別に誰のためでもなく、ただ自分に言い訳するために書いているようなものなのだ。その要件を満たしていさえすればいいのだから、かかる時間は短いほどいい。
今後はそのことを意識して書くことにしよう。短い文章で終わらせること、書いている途中の文章に失望してうんうん悩まないこと。
それができれば、もうしばらくはこの習慣も続くだろう。多分。

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