一日だけ一般的日曜日

ニートである私にとってはほとんど毎日が休日のようなものなので、曜日感覚はほとんど機能していない。
しかし、今日の私は珍しく「今日は日曜日だ」ということを明確に感じながら一日を過ごした。

確か数日前の日記にも書いたはずだが、役所に提出しなければならない書類があるので、それらを用意するために明日はあちこち動き回らないといけないのだ。
役所は平日しかやっていないので、その平日が訪れる前日として、「ああ、ついに明日は外出して色々用を済ませないといけないのか」という落胆が、私に「今日は日曜日だ」と自覚せしめたのだった。

「今日は日曜日だ」、よりも「明日は月曜日だ」の方が非ニートの人々の感覚としては一般的なものだろうか。
休日が終わり、また明日から少なくとも5日間の間働き続けなければならない、そうした怠さは社会に出て働く誰しもが少なからず抱えるところのものだろう。

普段の私はその手の悩みとは無縁だが、今日及び明日だけは(今のところの予定として)例外だ。
とはいえ5日間拘束されるわけでもなければ、上司や同僚と一緒にいなければならないわけでもなく、心身を切り売りしてお金に換えるわけでもない。
私が嫌々動かされるのは明日だけであり、一人で淡々と終えられる用事であり、疲労するといっても自転車を乗り回すのがしんどいくらいのことだ。

働いている人々と比べるべくもなく楽な部類の用事ではあるが(この手の話題について私は努めて卑屈にならないようにしているが、状況が施行に与える影響というのはどうしようもないものもあり、不遜さと卑屈さが両立した妙な心理状態にある)、それでも面倒なものは面倒である。

しかし、この用事を済ませてしまえば当分の間は私が自発的に動かなければならない用事はないはずだ。
その点についてはいくらか安心感がある。
この生活がいつまで続くのか、いつまで続いてくれるのかという漠然とした恐怖はあるが、ひとまずは忘れて早寝早起きに努めることにしよう。
アラームを忘れずに。

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