見出し画像

2002年 Robert Quineインタビュー

何年か前に、テレキャスターが欲しくて、ネットで調べモノをしていた時、偶然、晩年のRobert Quine(ロバートクワイン)のインタビュー記事にぶちあたりました。亡くなる2年前に掲載されたもので、ぼんやり読んでいると、音楽的なルーツや演奏、機材などについて、ずいぶんしっかり目に話してるなと、引き込まれていきました。

記事中でクワインが自身のセッションワークの中で特に気に入ってるプレイとしてLloyd Cole「Don't Look Back」を挙げていたので、聴いてみようと思ってYoutube(この曲)で確認してみると、それが、ほんとにほんとに素晴らしいギターで、心がザザザーっと動きました。

何度かインタビューの載っているページを訪れて読んでいるうちに、このページ、知らん間に見れんようになったらちょっとややな、と思うようになり、自分用としてですが、この2002年のVintage Guitar Magazine 5月号に掲載されたRobert Quineのインタビュー記事(リンク)を、ざっと和訳してみました。

-----

彼の名前はワインと韻を踏む。

オハイオ出身のRobert Quineは、1970年代のNYパンクシーンの中で極めて重要な人物であった。Richard Hell and the Voidoidsのアルバム「Blank Generation」はオリジナルパンク期の代表作であり、彼のキャリアの中でも、とりわけハイライトと言っていいだろう。

クワインは、当時のシーンにありがちだったスリーコードパンクとは趣の違う、攻撃的でエッジの鋭いギターサウンドとスリル満点のテクニックで、独創的なスタイルを我々に印象づけた。彼のトレードマークでもある黒のスポーツコートと、どこかおじさんのような風貌は、パンクというよりはビートニクのようで、とても謎めいて見えた。

Voidoids後も、数多くのアーティスト、Lou Reed、Tom Waits、Brian Eno、Matthew Sweet、Lloyd Cole、John Zornなどとのセッションワークをこなすなど、彼のキャリは輝かしい。

創生期のロックやロカビリー、ジャズ、60年代のプロトタイプパンクなどなど、あなたはいろんな音楽的影響を受けていると思いますが、誰に一番影響を受けましたか?

「Rock And Roll」という言葉を初めて聞いたのは、1955年の夏、12歳の時だった。ラジオのDJがBill Haleyの「Rock Around the Clock」のことを話す時に、その言葉を使ったんだ。あんまり好きな曲じゃなかったけど。

1952年頃からラジオ「Alan Freed’s Moondog shows」を聴いてはいたんだ。でも当時はよくかわらなかった。その頃の僕は、Frank Sinatraの「Wee Small Hours」なんかを聴いていたわけだから。でも、1955年の終わり頃にFrankie Lyman & the Teenagersの「Why Do Fools Fall in Love」やThe Cadillacsの「Speedo」を聴いて改心したんだ。

1956年の初頭、すべてが爆発したね。Elvis Presley、Fats Domino、Little Richard、Chuck Berry、Bo Diddleyらがいて、音楽的にとてもエキサイティングな時代だった。その興奮は1961年頃まで続いたよ、少なくとも僕にとっては。

僕は、大きな影響を受けたミュージシャンのことについて話し忘れることがあるんだ、ElvisのバンドのScotty Mooreのこととか。この時代をよく知っている人なら彼の重要性を当たり前のことのようにわかっているはずだから。例えば、Chuck Berryの話を長々しても無駄だと思うんだ。1950年代の後半にギターを弾いていた子供達はみんな、否が応でも彼の影響下にあったわけだしね。だから、僕はそこまでビッグじゃないギタリストを、年代を追ってあげていってみることにするよ。

1. Mickey Baker
Mickey Bakerは、1952年からパリに移る62年まで、ニューヨークで数え切れないくらい多くのR&BやR&Rのセッションをしてたんだ。Mickey & Sylvia「Love Is Strange」は、彼の最高のプレイとして最もよく知られてる。Buddy HollyやEddie Cochranなど、ロックンロールのパイオニア達のプレイには、Mickey Bakerの影響があちこちで聴けるよ。無尽蔵なテクニック、とてもアグレッシブなスタイル、ブルージーなスタイル、独特のタッチ。あと、彼のサウンドが徐々に進化していくのを聴いていくのも面白いんだ。1952年頃はLes Paulのファーストモデルを、1955年頃はLes Paul Custom Black Beautyを使ってた。ロックンロールの時代に入って、彼のギターサウンドはどんどん歪んで、よりアグレッシブになっていったんだ。1958年になるとMickey BakerはギターをJazzmasterに変更したんだよね、聴くと違いがわかるよ。Jazzmasterは、Les Paulと比べて、出力レベルも小さいし、サスティンの量も少ない。それでも彼は、今まで聴いたことのないような最高のギターサウンドをJazzmasterから出すんだ。1987年にMarianne FaithfullのセッションでDr. Johnに会って、僕は彼と一緒にプレイしたんだけど、そのセッションが終わった時、Dr. Johnが、僕のギターアプローチにMickey Bakerの影響を感じたって言ってくれたんだ。あの褒め言葉は、ほんとにうれしかったよ。

2. Ritchie Valens
1950年代の後半から60年代の初頭にかけて、Ritchie ValensがDel-Fi(レーベル)からリリースした3枚のアルバムから、僕はギターの弾き方をたくさん学んだんだ。彼は17歳という若さで死んでしまったけど、信じられないほど才能のある人だったと思う。インストの「Fast Freight」は彼のリードギタースタイルがよくわかる最高の曲だよ。Valensのレコードサウンドは独特で、2本のエレキギター、ダンエレクトロの6弦のエレキベース、そこに、エレキとは違うフレーズを弾くアコースティックベース、Earl Palmerのドラムといった構成。それらを、あの美しいエコーチャンバーがあるGold Star Studioで録音してる。

3. James Burton
ギタリストにとってはおなじみの名前だから、彼のことを説明するまでもないかな。

4. Al Casey
あまりなじみのない名前かもしれないけど、すごいプレイヤーなんだ。1950年代から60年代にたくさんのセッションがあって、Al Caseyの最高な演奏のひとつに、1950年代の後半、Sanford Clarkの「The Fool」やJody Reynoldの「Endless Sleep」や「Tight Capris」、あとは彼名義のシングル何枚か。

5. Link Wray
Link Wrayは、目一杯歪んだ攻撃的なギターサウンドのパイオニアで、1958年のシングル「Rumble」は、以降のライブ演奏を変えたね。僕は、彼がEpicから出したアルバムからたくさん学んだよ。

1960年代やそれ以降についてはどうですか?

1961年代の初頭、ロックンロールは過渡期に入っていたんだ、少なくとも僕にとってはね。僕はジャズやブルースのレコードを聴き始めていた。ブルースアーティストであれば、Jimmy Reedから圧倒的に影響を受けた。彼は、みんなが名手と呼ばれるようなタイプのミュージシャンではなかったけど、Jimmy Reedのリラックスしたアプローチには催眠術のような魅力があるって、僕は思ってた。

偉大なジャズミュージシャン、Charlie Parker、Lester Young、Bill Evans、 Jimmy Raney、Gary Peacockがベースを弾いていたAlbert Aylerなどは、ほんとに大きな影響を受けたよ。とはいっても、僕はすらすらとジャズをプレイできるようになったわけではなかったんだけどね。面白い代理コードを聴いているうちに、自分の中にじわじわと浸透していったんだと思う。あと、名手達がギターソロをどうやって組み立てているのかってところも学んだと思う。

1960年代の中頃から、ロックンロールはまた面白くなってきたんだ。初期のRolling StonesやByrds、Velvet Undergroundにはたくさんの影響を受けたよ。

Yardbirdsの頃のJeff Beck、あと彼の最初の2枚のソロアルバムには影響を受けたね。彼のフィードバックの使い方、トーン、狂ったイマジネーション、彼のクリエイティビティには驚かされ続けたよ。この時代、Jimi Hendrixをはじめ、たくさんの革新的なギタリストがいて、そんな彼らに影響を受けないで過ごせるギタリストなんてどこにもいなかったと思うけど、その中でも僕にとってJeff Beckは別格だったよ。影響を受けたのは、フレーズの話じゃないんだ。次に何をするか想像できないようなクリエイティビティに打たれたんだ。

Byrdsの最初の5枚のアルバムは今でも僕をインスパイアしてくれる音源で、1966年頃が好きだ。「Eight Miles High」「Why」あたりは最高だ。「Turn! Turn! Turn!」で聴けるRoger McGuinnのリズムギター、オーケストラのような12弦ギターも素晴らしい。

Albert KingとHarvey Mandelからは、サスティンの使い方、ベンディングなんかを学んだね。

「White Light/White Heat」でのLou Reedのギタープレイは、この時代の一番の衝撃であれほど賞賛に値するものはないね。Lou Reedのプレイからは、Bo DiddleyやOrnette Colemanからの影響をたくさん聴いてとれるんだ。Velvet Undergroundは僕にとって、最後の本物のロックンロールバンドさ。

Velvet Underground以降は、僕はほとんど演奏面で他の音楽から影響を受けなかったかもしれない。Iggy & the Stoogesの「Raw Power」、1972年から75年のMiles Davis、Brian Enoが1982年に発表した「On Land」の3作品くらいかな。

Televisionは、1970年代後半のシンプルで粗野なパンクのフォーマットには、まったくフィットしてなかったように思います。彼らはGrateful Deadと比較されていたくらいですし。その一方で、あなたがVoidoidsでIvan Julianと関わった作品は、パンクの象徴となりましたね。Voidoidsに対しては、当時はどんなリアクションがありましたか?

僕は1958年からギターをプレイし始めて、大学やその後のロースクールの間、60年代までいろんなバンドで演奏したんだ。1969年の末から76年まで人前でギターをまったくやめてたんだよ、いろんな理由があってね。でも練習は続けてたんだ。1975年にTom VerlaineやRichard Hellが働いている本屋で僕も働いていたんだ。その流れで結局、1976年にVoidoidsを結成することになった。バンドは79年まで続いた。「パンク」が順調に上手くやっていってる頃までだね。パンクは、誰だってやればできるってことを示しながら、でもシーンは徐々にばらばらになっていった。いろんなことがすごいスピードで起こっていたよ、なのでよく覚えていないことも多い。

客のリアクションはさまざまだったよ。Voidoidsはニューヨークのオーディエンスに熱狂的にフォローされていた。僕らは大きな音で演奏して彼らはそれに本気で応えた。Voidoidsでイギリスに2回ツアーに行ったけど、その時の反応は、控えめに言ってもイマイチだった。もうこのバンドはここには二度と来ないだろうって思った人もいれば、気に入ってくれた人もいたんだろうとは思う。

僕らは独特だった。ヘルの生み出すジャーキーなリズムや調子のはずれた演奏。ヘルの作る曲のストラクチャーこそが、僕らが独特だった所以のほぼすべてだった思う。人々が僕らをCaptain Beefheartと比較した理由はそのあたりにあるんじゃないかな。僕たちはCaptain Beefheartからの影響はまったく受けていないけどね。まあでも、Blank Generationというアルバムを作れたことは幸せなことだったと思ってるよ。当時の評判はいろいろだったけど、発表当時より今の方が評価されていることは間違いないね。

Voidoidsの多くの曲の中で、あなたのギタープレイは狂ったような熱を帯びていました。当時のあなたは本当に怒ったりイライラしていたんですか?つまり、あなたは、Voidoidsの曲を「退屈なパンク」な事象の内のひとつととらえていたのか、それとも、あなたにとって曲は演奏を導く音楽的なモノととらえていたのか?

僕の演奏が、イライラしてるように聴こえたり、怒ってるように聴こえたなら、たぶん僕もそういう状態だったんじゃないかな。例えば、人々はVoidoidsの「Betrayal Takes Two」って曲のギターソロは最高だと言ってくれる。少しひねくれた歌詞とともに、静かなバラードのようないい感じで始まる曲なんだけど、ベーシック録りをしていた時、ヘルは、もっとうるさく弾けと言ってきたんだ。僕はこの曲はこのままでこそ良いと思っていたし、彼の意見の真意があまりわからなかったんだよ。僕らは話し合ったんだけど、自分のパートを録音する時までずっと、うんざりした気持ちだった。みんなは今もそういうギターソロを聴いてくれてるってわけだ。でも、彼は正しかったね、結果的にうまくいったんだから。「Blank Generation」でも、ヘルは僕に40テイクはソロを弾き直すように言ったよ。僕は怒ってたし、イライラしてた。でも結果的にはうまくいったと思う。

でもまあ、だいたいは、僕の演奏のエモーショナルなトーンは、シンプルにその曲の歌詞や音楽的なコンテクストに沿っていると思うよ。Lou Reedのアルバム「The Blue Mask」に収録されている「Waves of Fear」は良い例だと思う。この曲に登場する男はノイローゼかなにかで怯えていたんだ。だから僕もその心境でギターソロにアプローチした。自分自身をその男の立場に置いた状態で、即興でプレイしてみたんだ。うまくいったと思ってる。たくさんの人々が私のベストソロだと言ってくれる。

基本的に僕は曲の歌詞を必ず知るようにしてるし、歌詞を尊重したいんだ。僕は、音楽的にみると、いろんな意味ですごくプリミティブなミュージシャンだと自分で思ってる。でも、音楽で感情的にコミュニケイトすることに関しては熟練していると思ってるし、そうありたいと願ってるんだ。誰だって良いときも悪いときもあると思うけど、そういうひとつひとつの経験は自分の一部になるわけで。だから、すべての経験はその人の中にあるし、経験がその人の音楽なんだと思う。Matthew Sweetのアルバム「Girlfriend」に収録されている「Don’t Go」は、好きだった誰かが死んでしまって絶望しているような話を扱ってたんだ。だから、僕はそこから話を継ぐようにギターソロを弾いた。あのソロは、怒ってるように聴こえるかもしれないけど、怒りって意味ではないんだ。

僕のプレイは、極端だったり、狂ってたり、まずはそういう印象で見られてるんだということはわかってる。でも、僕は音楽でエモーションを伝えることができるギタリストなんだ。Lloyd Coleと一緒にたくさん仕事をしたんだけど、彼と作った作品の中には、いくつか本当に誇らしい作品がある。特に「Don’t Look Back」と「Like Lovers Do」の2曲なんだけど、とても詩的で、僕はけっこう巧く自分のプレイにビタースウィートなトーンを反映させることができたよ。ファンの中には、この辺りの曲を私のベストプレイと評価してくれてる人もいるんだ、嬉しいことに。もちろん、そうじゃない人もいる。そういう人達はだいたい、狂ってたり怒ってたり、そういうプレイを期待しているんだと思う。彼らは、「Don’t Look Back」や「Like Lovers Do」をなにか軟弱なモノとして、無視してしまうんだと思う。もったいないことだと思うけど、人それぞれだしね。

Voidoids以降、あなたにはたくさんのセッションワークが舞い込んできたと思いますが、あなたはどのようにその変化に適用していきましたか?セッションワークは楽しんでいましたか?

Voidoidsが解散して、1年くらいなにもしてなかったんだよ。でもちょうど、Lou Reedの話が来て、そこから4年くらいずっと忙しかった。その後は、いろんなアーティストのセッションワークを楽しむようになったよ。Tom Waits、Marianne Faithfull、John Zornとか。John Zornとはたくさんセッションしたな。

ある日は、Bill FrisellやMarc Ribotと日本のテレビアニメのサウンドトラックをレコーディングして、その数週間後、Albert Collinsやオルガン奏者のJohn Pattonとジャムしていた。その辺は、ほんとに楽しかったし、クリエイティビティの領域がぐんと広がったと思う。むちゃくちゃ疲れたけど!

1989年頃から、ポップな仕事もこなすようになってきたんだ。Matthew SweetやLloyd Coleみたいな。今までやってきたこととは、まったくの別物で、すごく面白かったよ。僕はリフやフック、時には、別のコードでのボイシングなんかを提案して、曲をより良いものにしようとしてた。

Lloyd Coleの場合、しっかり組まれたリズムギターをLloydが先に録ってるから、僕は、90パーセントくらい完成している曲にアプローチする形が多かったんだ。大きなチャレンジだったよ。すでにあるバッキングにちゃんとフィットして、かつ曲を高められるリズムギターをもうひとつ提案できるように努力した。トライアンドエラーを繰り返してるうちに、そもそももうひとつリズムギターを足す必要なんてないんじゃないの?ってしょっちゅう思ってた。そういう時は、切り上げてソロを弾くんだ。それはそれでOKだった。「Don’t Look Back」「Like Lovers Do」では、歌詞の内容に呼応するように、曲中ずっとソロを弾いていたんだ。ソロなら、僕のスペースが十分にあったからね。だからうまくいったんだと思う。僕にとって、この2曲は特別なデキだね。

Matthew Sweetのレコーディングの場合、Matthewは、僕がやってくる時点で、それほどリズムギターのトラックを用意していないんだ。だから、僕が良いリズムギターを提案したり、そういうスペースがあった。それが、とてもうまくいった。アルバム「Girlfriend」に収録されている「Winona」は良い例だと思う。

セッションワークが大好きなのは間違いないね。みんなでツアーに出てライブをすることよりも楽しい。ツアーは消耗してしまうからね。ホントはオーディエンスにいい音楽を届けたいだけなのに、ツアーやライブって、自分の意見とかメンバーの意見がよくぶつかったりするでしょ。あれがね。まあでも、お客さんの前で生で演奏することは、特別なことだとは思ってるよ。

最近はどんな活動をしていますか?

ここんところ、ペースは落ちているんだ。あまり気乗りしないこともあるな。デモはたくさん録ってるよ、いくつかサウンドトラックとジングルの仕事があるから。あと、オムニバス用に数曲を手掛けてるところだよ。

あと、Lloyd Coleのアルバム「The Negatives」で数曲やった。「Man on the Verge」って曲には、僕のベストなギターソロが収録されている。Lloyd Coleと最後にツアーした1990年以降、ツアーに出るのはなるべく控えてるんだ。ここ10年だと、日本に2回行ったね。1回目は、1993年。Sionというアーティストとレコーディングしたんだ。2度目は、1999年に斎藤和義というアーティストと、5週間に渡ってツアーしてきた。彼はすごくいいミュージシャンで、今までやってきた中でもベストなバンドになったと思う。彼とは人間的にも音楽的にも打ち解けて親密になった。あらゆる点で、すごくポジティブな経験だった。和義とはレコーディングもしたんだ。

2000年には、最高の経験があった。オリジナルVoidoidsが、レコーディングするためにまた集まったんだ、インターネットかなんかで使う曲のために。22年も一緒に演奏していなかったのに、ぜんぜん良いデキになって驚いた。今後また一緒に演奏することがあるのかないのか、それは誰にもわからないね。

R&Bの巨匠Andre Williamsのアルバムの数曲でも弾いたんだけど、あれはスリルがあったな。友達のベーシスト、Michael DuClosのアルバムでも弾いた。シックなアンビエントノイズの上にスポークンワードが乗っかるような作品だったんだけど、ループマシンなんかを使ったりして楽しかったよ。去年に、Marc RibotからSionの2枚のCDを作らないかって誘われて、それもやったんだ。「Songs」は特に楽しかったな。

初期の頃はどんな機材を使ってましたか?

1958年から62年までは、いろんな楽器を試していた時期だった。OrpheumのFホールの空いたアコースティックギターが最初だった。そのあと、1960年にDanelectroのギターとアンプを買ったんだ。1961年には、Stratocasterとトレモロの付いたアンプを新調して、バンドでプレイし始めた。翌年、1962年には、Jazz BassとBassman(アンプ)を買って、ベースを弾いてたんだ。そのあと、ベースを売ってJazzmasterを買った。Jazzmasterはそのあと10年使ったよ。Jazzmasterと白いトーレックスのBassman Piggybackとのコンビでね。

Voidoids時代はどんな機材を使っていましたか?

1976年製のStratocasterと100ワットのMarshallヘッドと12インチ4発のキャビ。MXRのDynacompやDistortion+を繋いでた。

最近はどんな機材を使っていますか?

ギターもアンプもペダルもたくさん持ってるんだ。今は96年製のテレキャスター、'52リイシューを使ってるよ。Mojo GuitarのChris Cushにモディファイしてもらってる。古いSeymour Duncanのピックアップを2つ積んでて、4ウェイのスイッチで直列と並列を切り替えられるようにしてるんだ。ネック側のピックアップは逆巻きにしていてハムキャンセルできるようにしてる。

アンプは、Fender Deluxe Reverbのリイシューをよく使う。持ち運びも軽くて楽だし、汎用性の高いアンプだね。セラミックマグネットのスピーカーをアルニコのものに変更してるよ。アルニコの方がスムーズに歪んでくれるから。

ペダルは、BossのTU-2 チューナー、Prescription ElectronicsのYardboxとExperience、Electro-HarmonixのDeluxe Memory Man、あとは、Tube Screamerを何種類か。最近のお気に入りは、MaxonのOD 808とVoodoo LabのSparkle Driveだね。まあでも、他にもいろいろ使うんだけどね。Voodoo LabのAnalog ChorusやPedal Powerも好き。Prescription ElectronicsのGermやCarl Martinのcompressor/limiter、BossのCS-3 compressor/sustainerなんかも。

1996年のPerfect Sound Forever誌のインタビューで、あなたは、テレキャスターを完全に攻略した(conquered)とおっしゃってましたが、どういった意味合いだったのですか?

ギタリストって、トライアンドエラーをくりかえしながら、自分にとって特別なギターはこれなんだっていう結論じみたものに、遅かれ早かれ、行き着くもんなんだよ。僕にとっては、テレキャスターこそがそれだと、1961年に気付いたんだ。80年代の前半まで、考えは変わらなかった。テレキャスターこそが自分にとって一番いい音がする楽器だと思ってた。でも、今はストラトも使うんだ。ピックアップが3つあって汎用性が高いことと、アームが使えることなんかが利点かな。

1996年に、僕は、テレキャスターとたくさんのRoy Buchananのアルバムを持って、アパートに閉じこもったんだ、6ヶ月くらい。あの時に、自分のプレイヤーとしての良い面にあらためて気付けたんだ。スタイル的にはなにも新しくはなかったんだけど、今までより威厳のある演奏ができた。みんなそれぞれ意見は違うんだけど、僕にとっては、テレキャスターがいつだって最後の楽器だって思ってる。

By Kathleen Johnson

-----

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?