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月刊 QはA #7「打ち上げ」

Stiffslack Monthly 2021年10月号に掲載されたコラムのアーカイブです。

20代の頃はライブの打ち上げによく参加しました。当時は今よりも人数規模の大きい打ち上げが多かったように思います。ライブを観に来てくれたお客さんよりも打ち上げに集まる人数の方が多いこともよくあった。ネットのない時代になんかしら情報を入手しにぞろぞろ集まって来てたってのもあるかもしれない。今ではもう打ち上げに参加することもめっきり少なくなったし、ザ・打ち上げみたいな会も減ったんだと思う。

大人数でのりこんだ居酒屋で、トイレに立って席に戻る時に、ふと遠くから自分のいた席の周辺を眺めると、みんな同じような靴を座敷の下にズラッと並べて、同じような服を着て、似たような表情でわいわい話してる、そういう光景を目にして不思議な感覚になることがよくあった。しっくりこない気持ちの一種だったと思う。他人と同じじゃイヤなんだよねって挟持を多かれ少なかれ抱いてバンドを始めたであろう人達が、似たもの同士で群れてアンジョウやってる感じが、どこか腑に落ちなかったのかもしれない。なんなんだろこれはと。さみしいふりしてるくせに、ちっともさみしそうじゃないじゃないか、なんて思えて。で、打ち上げが終わって帰宅して自分の家の玄関で靴を脱ぐ時に、あー、あの座敷の下にズラッと並んだ同じような靴たちも、そろそろそれぞれの家の玄関にぽつんと置かれている時間なんだろうなって映像が頭に浮かぶんです。自分の家の玄関でその種の感情に包まれたら、そこで打ち上げが終わったんだなと実感するというか、そんな感じでした。

もうひとつ打ち上げの時によく感じたこと。仮に、このズラッと並んだ同じような靴たちに向けて音楽をやることを、アンダーグラウンドだのシーンだのと呼んでありがたがってるのであれば、ずいぶん呑気な世界やな、笑ってまうわって。

ライブの後は酒を呑んで騒ごうみたいな、当時のバンド界隈の人達の当たり前が、自分に合わないと感じてたのもあると思う。音楽をやりたい人達というよりも、むしろバンドライフの典型をなぞりたがってる人達とつるんで、自分もそれっぽい行事に巻き込まれてるだけのような気がして、しっくりこなかったんだと思う。今でもSNSなんかで、昨日ライブで呑みすぎて記憶もなくてもうワヤですわーもう酒やめますわー的な、バンドマンが嬉しそうに話しがちな内容を見かけると、僕はちょっとウッとなる。大阪の老舗ライブハウスの多くが漂わせていた(いる)もっと騒いで、もっと呑んで笑って、もう楽しんだモン勝ちなんやでーとでも言わんばかりの空気も、すごく苦手。友達が少なくてもコミュ力が低くても、自分の曲と表現欲があればなんとかつながっていけるのがバンドだと思ってたけど、ここでは音楽の話にたどり着くまでに乗り越えないといけないしきたりやすり合わせなきゃいけない価値観があるんやなあって、界隈と自分の感覚との噛み合わせの悪さを何度となく感じてきたようにも思います。

付け加えると、大阪でライブをする時に集客があまり見込めないとされるジャンルがあったりするのは、ハコが普段から出してる空気感とも無縁ではないと僕は思う。個人的に、僕らのような根暗な小さなバンドとも音楽づたいに関係を持とうとしてくれたベアーズやPIPE69には、とても感謝してます。最近だとハードレインが好きです。

とりとめもないしオチもない上になんか変なところに着地してしまった気がする。でも、おしまい。

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