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『スーパーメトロイド』に無限の広がりを見た話

 先日、『スーパーメトロイド』を遊んだ。人生で1,2を争うレベルで濃密で楽しいゲーム体験だったと思う。興奮冷めやらぬままに、スーパーメトロイド体験の一部分について感想を書く。

当然、ネタバレしかないのでスーパーメトロイドを遊んだことがない人はこの記事を読んではいけない。もしそんなヤツがいたらスーパーミサイルを千発ぶち込んでやる。


プレイ状況

■プレイ時間─10時間ほど
■アイテム取得率─79%

■プレイ環境─Nintendo Switch Online加入特典のスーパーファミコンにて、Nintendo SwitchのJoyコン分離持ち

■プレイスタイル─Nintendo Switch Onlineの一時保存機能は未使用,攻略サイトなどの閲覧もしない

■シリーズ経験─3DSの『メトロイド サムスリターンズ』のみ
■タイトルへの前提知識─ほぼナシ。“名作らしい”とだけ聞いていた状態


前置き 

 僕は『サムスリターンズ』がスゴく好きだ。ところが、サムスリターンズにケチを付ける連中ときたら一言目には「スーパーメトロイドのほうが~」とぬかしやがる。そんなわけで僕はスーパーメトロイドに対して、新しいものを認めず、いつまでも古いものをありがたがる懐古主義の老害共にまつられている“偉大な古典”に過ぎないだろうとたかをくくっていたわけだ。

それがカンペキにひっくり返った。

もちろん、それでサムスリターンズにケチを付けていた連中の“正当性”を認めるわけではない。スーパーメトロイドは“偉大な古典”ではなく、“今もなお語り継がれる圧倒的傑作”だった話だ。


スーパーメトロイドに無限の広がりを見た話

 スーパーメトロイドは一回きりの演出に全身全霊を注ぎ込んでいる。さらに、その一回きりの演出をひらめき・発見と結びつけ、強烈な感動を叩きつけてくるゲームだった。

 実例を紹介しよう。あれはグラップリングビーム入手前のエリアだった。目指すべき場所は、広大な酸の池を隔てた向こうにあり、切り立った高い崖の上にあった。ここに来るまでに身に付けた壁キックのテクニックは、ネズミ返しのように突き出した崖によって阻まれて通じない。さて、どうしたものか。

周囲に目を向けると、パワーボムで壊せるブロックが粗雑に積まれている。そのままでも通れるが、なんとなくキレイにしたくなってパワーボムを使って破壊する。よしキレイになった。む、壁の表面が崩れて、スピードブーツによるダッシュで壊せるブロックがあらわになったぞ。ブロックを挟んで小さな坂があって、そこから先に酸の池が広がっている……

あっ

ここから連鎖的にひらめきが起き、すべてを理解する。小さな坂が発射台のように見える。さっきブロックを壊すことで自分は助走のための道を作ったんだ。助走をつけて走って、跳ぶんだ。

ひらめいた瞬間、喜び・驚き・興奮が全身を支配する。しかし心のどこかでは「まさかそんなこと、できるはずがない」と思っている。興奮につつまれながら1%の疑念をいだきつつ、背中を壁にくっつけて走り出す。超高速ダッシュでブロックを破壊し、発射台に見立てた小さな坂を駆け上がったタイミングでジャンプする。

果たして、超常的な加速がもたらす青白い光につつまれながら、今まで一度もしたことのない大ジャンプに成功する。とどいた本当にできた!


この瞬間、スーパーメトロイドは僕にとって特別なゲームの一つになった


 ひらめきの興奮と、「まさかできるはずがない」をくつがえすおどろき。テレビゲームを初めて体験したときのような衝撃だった。自分がやりたいと思ったことはすべてできる。ゲームに対して、無限の広がりを感じていたときのような感動だった

『ドラッグオンドラグーン』シリーズや『ニーア』シリーズを手がけるヨコオタロウ氏によれば、「自由とは心の中の認識が広がったときに感じるもの」らしい。僕がスピードブーツで走って跳んだときに感じたのはまさにそれだ。

スピードブーツを使って助走をつけた回転ジャンプが本当に必要なシーンはここだけだ。僕が遊んだ限りでは、それ以前にもそれ以後にも存在しなかった。一回だけのアクション。そこにすべてを注いでいる。

ここに至るまでに、スピードブーツで走って跳ぶシーンはなかった。スピードブーツを使ってそんなことができるなんて思いもしなかったわけだ。これはマップを巧妙に構築することで、そうした機会が生じないように“伏線”をはっている

助走をつけて跳ぶことをひらめいたのも、地形にはりめぐらされた“伏線”によるものだ。入り口の右側に広がる空間と、助走をつけるのに適していそうな小さな坂。問題なく通れるが少し邪魔なブロック。その先の発射台のような坂。

そのままでも通れるけど、スムーズな移動に邪魔だから壊したくなるブロック。自分が壊した結果、浮かび上がってくる地形。すべての要素が一つのアクションを導き出す。ゲーム側から直接教えられたわけではない。自分が導き出した答えだ。だからこそ本当の体験になる。


 以上が僕のスーパーメトロイド体験の一つだ。心の底から感動するような体験だった。こうした体験をあと数回ほど連続して叩きこまれたので、僕はスーパーメトロイドを“古典”と揶揄することはできなくなった。

メトロイド、オモロイド!


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