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アイリッシュのマギリガン

バーテンダー時代の話を書いたら、色々思い出して焦る。


焦るのはその時代があまりに青臭く、稚拙で馬鹿で、恥ずかしいくらい愛おしいからだ。


あの地下のバーで。

僕はその後の生きていくスキルのほぼ全てを教え込まれたと言って良い。

それくらい、地元に帰ったばかりの僕はどうしようもなかった。





ところで、話は全然変わるが皆さんは結婚式に誰を呼ぶだろうか。


身内や職場の人間、友人は当然として、それ以外の招待客。


特別親しくは無いが、呼ばないといけない人間もいるかも知れない。

或いは、普通はあんまり呼ばないけど、どうしても呼びたいと言う関係性もあるだろう。



その結婚式、僕の席の周りに居るのは、全員がバーテンダーだった。


隣に学歴無駄遣いチーフ、その隣に金髪店長。オーナーの奥様を挟んで、その奥が成田三樹夫じゃないって言ってるでしょオーナー。

反対側。

僕の隣もその隣も、と言うより周りの4つ位のテーブルに居るのはオールバーテンダー。

普段のベストやバーコートではない、ジャケットで擬態した名の知れたバーマン達が、髪型もぴっちりと会場に並ぶ姿は、なかなかに壮観だった。


新郎が重度のバーマニアで、馴染みの店のバーテンダーを片っ端から呼んだもんだから、こんなカクテルコンテストでしか見られないような状況になった。

僕らのせいで押し出された関係者には申し訳無いが、僕だってただ楽しくここに座っているわけじゃないんだ。


全員、同業の先輩。


隣で乾杯前のビールを睨んでいる、高学歴低収入チーフこそもう緊張はしないが、店長やオーナーとプライベートで会ったことなんか無い。


ましてや周りは僕だって行ったことは怖くて無いが、名前は勿論知っている店のオーナーかチーフバーテンダー。


僕は座ってから一回も、背中が背もたれについてない。


「すいません。」


隣のテーブルで手が上がる。


「はいっ!」


会場スタッフの誰よりも早く、声の方向に答えた僕に、隣の隣の金髪店長が低い声で言った。


「やめろ。今日はゲストだ、仕事じゃない。ちゃんと分けろ。それに、お前がチョロチョロするとこちらのスタッフにかえって迷惑だ。」


くすくすくすと、周りで起こった笑い声から視線を逃がすと、会場の隅に急拵えのバーコーナーが見えた。

立っている若い男の子は、多分婚礼や宴会の時だけ簡単なカクテルを作る係なのだろう。

遠目に見ても顔色は真っ白で、上からヒモで吊られている様に背中が伸びている。



無理もない。


多分びっしりと汗をかいているだろう彼の心情を感じて思った。


「君の気持ちは僕が一番良くわかる。」



「ここビールはいらないんで、オールドグランダッドのロックをタブルでください。あとあったらプレーンの炭酸水も、出来れば瓶のまま。」

金髪店長が、実にゲストらしいオーダーをした。

祝宴が、始まる。






披露宴会場を出ると、外はもう薄暗かった。

酔いは確かに回っていたけど、体が重いのは酒のせいだけではない。


ウイスキーの4、5杯目辺りから何だか様子のおかしくなった店長は、

「先輩方のグラスを空けるな。」

と、さっきとは真逆の事を言い出した。
結局、バーコーナーの彼と会場を走り回ることになり、2時間の宴会が終わる頃には彼にシンパシーすら芽生えていた。

当時は無かったが、今ならLINEの交換くらいはするだろう。


「二次会は俺が顔出しとくから、お前らはいいぞ。折角揃っての休みだ、後は好きにしろ。」


歩き出しながら言うと、オーナーは「散れ散れ」と言う風に手をひらひらと振った。


「あら、お揃いで。」

急に話し掛けられ、ぎょっとして振り返るとそこにはBのマスターまるさんがいた。

まるさんの本名は知らない。ただBがぶっちぎりのオーセンティックバーなのは知っている。

ウイスキー、特にスコッチに強い店で、まるさんと金髪店長が、僕には全く理解不能なウイスキー話で盛り上がってるのを、何度か見たことがあった。


「ちょうど良かったまるさん。今まだ早いんで3人でどっかで飲もうって話してたんですよ。どうですか良かったら一緒に。」


待て待て待て。してない、その話してない。


「あ、お前さ最近Sによく行くって言ってたろ。老舗バーのSにうちの新人がお世話になってるんなら先輩としてご挨拶しとかないとな。まるさんもS行きましょうよ。」


この金髪余計なことを思い出しやがって。


「いいねー。行こうかS。」


行くんかい。





メインのアーケード。
通り沿いの外階段を上がった奥に、「bar S」はあった。

今はもうその場所には無いが、建て替え前の古いビルにあったその店は、客の座るカウンターにまでウイスキーのボトルが並び、その数を数えた事は無いけれど、少なくともSよりボトルの並んだバーを僕は知らない。


「おや。珍しい顔が揃い踏みで。なんの帰りかな。」


コースターを置きながら、Sのマスターが言う。

薄暗く、ジャズのかかった店内にはまだ宵の口だからだろうか、他に客は居なかった。

「まあ義理事です。一次会にウイスキー全然種類なくって、物足りないからこちらに。」


こちらに。じゃない。

めっちゃ、飲んでましたよね。最後ボトルごともらって手酌で飲んでましたよね店長あなた。


カウンターに並んで座る4人の、一番端の僕を見て、金髪店長がニヤリと笑う。

ああ、あの顔だ。

店長があの顔の時はかなり酔っている。
そして酔ってる時の店長は、大体ロクなことをしない


「マスター、オーダーはうちの新人に任せます。こいつが選んだウイスキーを全員にストレートでください。チェイサーは無しで。」


今からこいつが右手をロケットパンチで飛ばします。


と言われた方がはるかにマシだった。


知らない間に始まっていた、ラウンド・2。

さっきのバーコーナーの彼とLINE交換なんてしなくて良かった。
1ラウンドだけで試合の終わった彼とは、多分もう気が合わない



問題は1問。
選択肢は、たぶん2、300。


お決まりの、「最近どう?」「まあまあですね」と言う会話を聞きながら、僕は必死に圧倒的に並んだボトルを見ていた。


バーボン、違うさっき飲んでた。アイラモルト、あかん狙ってるのがバレバレだ。ジャパニーズ、美味しいけど今は違う気がする、いや違う。カナディアンテネシーバッティングブレンデッドシングルモルトアメリカン、いやいやいや全部違う気がするし多分全部違う。


マスター邪魔、後ろのボトルが見えない。


そう思って目を上げると、ボトルを拭きながら世間話を続けるSのマスターと目があった。


真っ白な髪をオールバックに固めたマスターは、少し笑いながら視線を外さない。

なんですか、今忙しいんですよ

と思ってたら、




あった。




マスターがさっきからいやに長々と拭いているボトル。



アイリッシュウイスキー「マギリガン」


先週Sに来たとき「珍しいの入ったよ」と飲ませてもらったマギリガン。


強烈にする正解の匂い。


会いたかったよマギリガン。



結局。

まるさんはひとくち飲んでマスターに仕入れの経路を聞いてたし、チーフは3杯目まで同じ酒をオーダーした。


金髪店長は、カウンターに置かれたマギリガンのボトルを見ながら「なかなか良いセンでした。まちょっとズルだけどな。」と笑った。


あの夜からもう20年が経つ。


Sはビルの取り壊しで移転し、代替わりした。
まるさんはまだ現役だが、チーフはバーテンダーを辞め、会社員をしている。

金髪の店長は熊本地震の時に電話があって以来、連絡をとっていない。


そして、僕は。


あの夜の全ての出来事と、あの時の先輩達の言葉達と、

あれ以来一度も出会えていないウイスキーの名前を、今も忘れていないんだ。













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gm
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