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「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」

2021年に出町座で行われた表題の特集について記す。蓮實重彦の『見るレッスン』でケリー・ライカートの名は知っていたが、実際に彼女の映画を見るのは初めてだった。

1. リバー・オブ・グラス

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1994年 リサ・ドナルドソン ラリー・フェセンデン

 寡黙なフィルムに映される情動溢れる男女の逃避行、それはアメリカ映画史に新たな移動神話を刻印する。それは『俺たちに明日はない』以来のロードムービーとの訣別であり、また、祝福でもある。

 『イージー・ライダー』でアメリカ人が目指したのはパラダイスとしてのフロリダだ。まさしく「その次」の生き方として、ユートピアとしてのパラダイスである。しかし、ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で主人公が彷徨の果てに辿り着くのは、リービ英雄の言葉を借りるなら、”thereのないフロリダ”と言える。

 ケリー・ライカートはついにフロリダという幻想を打ち砕く。カサヴェテスのような肌理で、しかし、ショットの力強さの向こうに情感の美しさがある。共感を覚えさせる、絶望に緩やかに流れ込むような2人の逃避行は初期のライカートにしか描けないものだと感じている。

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2. オールド・ジョイ

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2006年 ダニエル・ロンドン ウィル・オールダム

 男2人の再会というのは得てして妙な緊張感があるものなのだろう。それぞれが歩んできた人生と自尊心と、彼らが共有する時代を背景に緩やかに、しかし芳醇に描いていく。

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そして二人は休暇から戻り、それぞれの人生へ戻っていく。


3. ウェンディ&ルーシー

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2008年 ミシェル・ウィリアムズ ルーシー

 ライカートのショットに対する感性、決して必要以上に踏み込むことのない登場人物の使い方、記号としての自動車の使い方。どれをとっても完璧で美しい。フィルムがこの美しさを担保できるのは、ひょっとしたらミシェル・ウィリアムズの貌によるものなのかもしれない、などと妄言を吐いておくことにする。

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4. ミークス・カットオフ

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2010年 ミシェル・ウィリアムズ ブルース・グリーンウッド ウィル・パットン

 フォード以来の男性優位の西部劇、インディアンに対する眼差し。従来のアメリカ西部劇を脱・移動神話として捉え直す。

 映画女優ミシェル・ウィリアムズが銃をブッ放すシーン。被写体への距離、ミシェルの運動性、映像の肌触り。その全てが自然で、ライカートの圧倒的な演出力を感じる。映画的な「運動」を撮れる現代映画作家は他にいるのだろうか。ひたすらに感嘆し続けていたことを鮮明に覚えている。何より2、3回挿入される雲のショットの美しさに打ちのめされた。

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ライカートは日本の劇場では観れる機会も少ないので、今回の特集にはとても感謝している。

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