『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
ジェーン・カンピオン監督
キルスティン・ダンストというニュージャージー生まれの都会的な顔立ちをしたこの女が西部の砂埃にまみれる姿など到底似合わないだろうと邪にも思っていたが、いやはや、その不自然な”似合わなさ”こそが物語を推進せしむる異化装置であった。更に言えば、カンバーバッチのショットにおける収まりも見事なものだったと思う。英国紳士のカウボーイ姿におさまる肉体の狂気なぞこのメソッドアクターが演じて然るべきである。流石はこの監督は積んできた経験が違うようでキャスティングは申し分ない。西部劇など撮る気は無いのだろう、この映画は人を映すのである。
2年ほど前だろうか、スコセッシが「マーベルは映画でない。テーマパークだ」などという趣旨の発言をして物議を醸したことがあった。多くのマーベル俳優がバカな発言で私を失望させたことはよく覚えているが、カンバーバッチだけは唯一まともな発言をしていた。彼は、スコセッシの発言が劇場のブッキングシステムと映画のフランチャイズ化を穿ったものであることをよく理解していたようだ。この極めてメジャーな英国俳優が現実によく目を向けていることに驚き、安堵したのだが… カンバーバッチが久しぶりに出演を選んだこの作家的で内省的な映画、これがNetflix製作であるという事実には苦笑するのみである。というよりもむしろ取り返しのつかないところまで来てしまったのでないかと、呆れともつかない絶望に近い感情を覚えている。いますぐ劇場へと走って欲しいなどと蓮實的言説を振り翳すつもりは到底ないが… 極度にデジタライズされた西部を見てカンバーバッチは何を思うのだろうか。2021年の暮れにそんなことを考える私は、劇場を出るや否や、家に帰ったらフォードを見ようと心に決めたのである。
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