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『グリース』 -トラボルタのフィルモグフィにおいて

1978年 ランダル・グレイザー監督

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夏休みに避暑地で知り合った2人は新学期に再会!本当は両想いなのに、不良仲間の目が気になってしまうトラボルタは無関心を装ってしまう!…という馬鹿げた脚本でつまらない話なのだが、映画として自分の中で大事な位置にあるのがこの「グリース」なのである。トラボルタがクネクネ踊ったり高音域で歌ったりするだけの映画ではないのだ。一番大切なのが見てる側の「楽しさ」。徹底的に感情に訴求することに重きを置いたミュージカル。登場人物が歌いだすとセットが変化し、そこは観客と各キャラクターだけの世界になる。いわば脇役がそれぞれの悩みや主張を観客に教えてくれるのだ!ディディの将来への不安やジェフの一途な想いを知っているのは我々だけなのである!これは愛着が湧かざるを得ない。

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「楽しさ」というのはこの映画において大切なものである。それは中身の話だけではない。1970年代といえば、アメリカンニューシネマの時代。敗者のバッドエンドを描いた作品が評価された。さらに社会を見ればウォーターゲート事件やベトナム戦争の敗戦、オイルショック。不況の中で街に漂う負け組の匂い。そこで出てきたのが「ロッキー」。周りの人間を幸せに導いていくロッキーがこの時代の暗い流れを止めたのである。そしてその翌年、この明るく、楽しい「グリース」。これがニューシネマを葬ったというのが僕の持論である。そしてアメリカは楽天的な80年代に突入していくのだ。(見方によっては80年代はノー天気でお気楽でバカでも楽しめる時代なのだが)グリースは80年代という時代の方向性を決めたのである!

 映画史の流れを汲むとトラボルタはまさに時代のアイコンとして充分なほどのカリスマ性を備えている。70年代の「サタデーナイトフィーバー」。ディスコで踊り明かすだけが楽しみの若者。最後に仲間が自殺してしまうことによる孤独。ある意味でとてもアメリカンニューシネマに近い。対して楽しさに満ち溢れた80年代に向けての「グリース」。そして90年代の「パルプフィクション 」タランティーノの自分が好きなものをやるという姿勢が「時代錯誤性こそがアイコンになる」という時代を作った。これらの映画全てでトラボルタのダンスが評価されているのも興味深い。こうしてみるとトラボルタは踊れるだけじゃなくて時代を作れるんだなと思う。

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