クラシック音楽が被っていた塵は吹き飛ばされたー『蜜蜂と遠雷』ー
「譜面通り弾く」
たったそれだけのことが、なぜこんなに難しいのか。
音楽は「音を楽しむ」と書きながら、演奏するとなると「楽しい」までなかなかたどり着かせてくれません。
たとえ自分が演奏している間は楽しくとも、録音なんかしたりして冷静に聞いた日には、とても聞いていられなくて赤面しちゃう。
一人にしろ、誰かと合わせた時にしろ、音楽を楽しいと思える場所はとてつもなく地味で長い練習の道のりを超えた先にある。
そういうものだと気付いた時に踏ん張れず、「聴いて楽しめばいい」「弾く場合は自己満足だから一人でする」と割り切った私には、クラシック音楽を極めようと挑戦している人の物語は、眩しくて仕方がありません。
#蜜蜂と遠雷
『蜜蜂と遠雷』恩田陸 著
第156回 直木賞受賞、2017年 本屋大賞受賞。
構想12年、取材11年、執筆7年。
ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。
引用元:『蜜蜂と遠雷』特設サイト
小説であることを全うする
本書『蜜蜂と遠雷』は母の死をトラウマに抱える元天才少女・栄伝亜夜、何かと話題になる異端児・風間塵、華があり見た人を魅了するスター・マサルなど、いかにも小説らしいキャラクターが並びます。
そんな"あるある"の設定に対して「はいはい、そういうの知ってますよ」と斜に構える人たちを簡単に吹き飛ばすほどの物語の力。
読めば読むほど引き込まれ、どこまでが現実に即しているとか、論理的に正しいとか、そんなものはどうでも良くなります。
読者に現実や論理を忘れさせて没頭させる。
それが一番で、それだけでいいんです。小説なんだから。
音楽の知識が無くとも感動させてくれる
本書の功績は「知識が無くてもクラシック音楽が楽しめる」点が大きいのではないでしょうか。
クラシック音楽はある程度の知識がないと楽しめず、ただ眠くなるなんてことも。
わたし自身、プロが演奏してくれる場でちょっと残念な出来事に遭遇したことがあります。
中学生の時のこと。
卒業生のプロピアニストが来校して演奏を披露してくれたことがありました。
一学年が丸ごと講堂に集められ、着席。
簡単な挨拶の後、いよいよ演奏開始。
1曲目に、それは起こりました。
誰かが第一楽章が終わり、第二楽章に入るまでの小休符を曲の終わりと勘違いし、拍手。
それにつられて会場全体に拍手が沸き起こってしまったのです。
わたしも戸惑いながら拍手をしかけたその時、私の耳に飛び込んできた
「まだ終わってないのに!」
と隣の席の女の子があげた小さな悲鳴を、15年以上経った今でも忘れられません。
ここで挙げたのはさすがに基本的すぎるミスですが、クラシック音楽に馴染みのない人は曲の終わりすらわからない。
それくらい遠くて、楽しみ方がわからない人が多いのではないでしょうか。
曲がわかるようになるところから始めたとして、ピアニストによる個性を楽しめるようになるには、さらに長い時間が必要でしょう。
この本ではクラシック音楽を楽しめるようになるための長い道のりが、全く必要ありません。
読み手に知識を求めることがなく、何も知らない人でものめり込んで感動できる。
この本が直木賞・本屋大賞をダブル受賞するほど他作品より抜きんでている理由の一つに、こういった点があると思います。
自分の名前で舞台に立つことの重さを知る
それぞれの思いを抱えたコンクール出場者たち。
コンクールでの成功も失敗も、全て演奏者個人の肩にのしかかります。
舞台上に立つのは演奏者だけだし、その後の評価を受けるのも演奏者だけ。
舞台にいる時間なんてごく僅かで、それ以外の"生活"がほとんど。
生活が演奏者を形作っているにもかかわらず、舞台上の出来栄えのみで全てをわかったように語られてしまう。
そんな無慈悲な環境に身を置く演奏者たちの様子が、鮮やかに描かれています。
舞台以外の場所でのあまりに「普通」の人間らしさと、舞台上での凡人を突き放す表現力。
その緩急に痺れ、何度も泣きました。
余白を楽しむ
物語は1つのコンクールのみを描いて終わります。
そのため語られていない余白がとても多く、その分を自分で補完する楽しさもあります。
たとえば同じコンクール出場者を刺激する存在、風間 塵。
彼は、めちゃくちゃだけどすごい。
音楽がはしゃぎ回り、迫ってくる。
純粋で、計算が無い、個性。
物語中ではそんな塵くんに、栄伝 亜夜ちゃんたちと一緒に振り回されて、ドキドキする。
じゃあ、この後を考えるとしたら?
才能、その一点のみでピアノコンクールを突破してきている塵くんが、今後「どう在りたい」と考えるようになるのか。
その"在りたい姿"の傍に、ピアノは共にあるのか。
才能があっても、本人の在りたい姿と異なっていたら、その才能はいつか消えてしまう。
このままではピアノの才能を使おうとしない彼。
今後だれかが演奏者として引っ張り上げるのか?
ストーリーの続きを妄想しながら、余韻にひたる時間も愛おしい。
隠しスパイスを味わう
本を開いた瞬間、飛び込んでくるのは人名と曲目。
読み進めていくと、コンクールの出場者と演奏予定曲のリストだとわかります。
これ、巻末じゃないのがミソ。
作中で出てくることのまとめは最後に収録され、「あ、ここにまとまってたのか、振り返りやすいな」くらいで消化されるのが一般的ではないでしょうか。
それが巻頭にあることによって、「演奏者が選んだ曲目は、その人が歩んできた人生の目次」のように見える。
最初は読み飛ばした曲目リストに途中から何度も戻り、コンクールの長い道のりの途中であることを噛み締めながら読み進める時間も、とても良かったです。
クラシック音楽が被ったホコリをはらう
新しいものばかり話題になる日本で、クラシック音楽の良さを思い出させてくれる作品は、とても貴重だと思います。
みんなが見向きもしなくなってホコリを被ったクラシック音楽を、丁寧に磨いて光らせる。
それはもしかしたら、斬新で目立つ"新しいもの"を作るより難しいことかもしれない。
"ホコリを被ったクラシック音楽"の「ホコリ」から、あえてかき回し役の登場人物に「塵」と名付けたのではないか、なんてことを想像したりもします。
そしてそんな「塵」を吹き飛ばしたい気持ちを込めて、苗字には「風」。
なんてね。
ともかく、この本が紡ぐ物語で、クラシック音楽が被っていた塵は吹き飛ばされました。
クラシック音楽は、選ばれた人だけのものじゃない。みんなのものだよ。
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